2009年11月
昨日は変な一日だった。スケヂュール表に、「午前9時・(新)連合福井地域協議結成大会 プラザにて」と書いてあるので、ユニオンプラザへ車を走らせたのだが、着いてみると誰もいない。 ??と思って場所を詳しく調べたら、プラザはプラザでもフェニックスプラザだった。これを、プラザ不合意というのだろう。 大会終了後の事務所への帰路、脇の農道へ車を停めた。私には、右手指先にわずかなマヒが残っていて紙のノートへの手書きが不得手だ。大会で印象に残ったことを、ノートパソコンのメモ帳に打ち込むために車を停めたのだがしかしパソコンが開かない。どうもバッテリーが充電されていないためのようだった。仕方なく前夜の寝不足を解消するために、しばらくの間車のなかで仮眠をとった。仮眠だけれども〇〇さんの夢をみた。 事務所へ戻ると某夫婦が来訪。設計の打ち合わせとなった。私は、設計に関してはセミリタイア人間だ。あわら市議会には政務調査費が無い。おそらく県下市議会で無いのはここが唯一だろう。仕方ないので自分で政務調査費を稼ぐのである
昨日は、同級生6人による鍋囲み会が某氏宅であった。親睦会はいろいろあるが、自分たちで惣菜を買い込み自分たちで調理をするのが安上がりでベストだ。みんなはビールを飲んでいたが、私は焼酎ひとすじに牡蠣・鶏肉・野菜を腹に詰め込んでいた。 中学生時代の同級生だから付き合いは40数年に及ぶ。言ってみれば化石的付き合いなのだが、人の顔色をみて育ってきた私もこの時だけは肩肘の力を抜いたリラックス気分で酒と相対することができる。ということで楽しい酒を飲んでいたのだが、午後9時には某氏宅をひとり出た。就寝時刻を9時と定めていること、及び本日は連合・地域協議会の総会があるため。
例えば私が家族や家のルーツのことを考えるように、あわら市の住民は郷土の歴史を考える。郷土を勉強することは市民としての自然感情だろう。 ということで、昨晩の私の事務所には7人の歴史好きが集まった。もとより誰も学者ではなく好事家の集まりなので、話の中身もあっち行きこっち行きでとりとめがなかったが、なに、それはそれで構わない。時代を経てムラやマチはどんどん変わっていくのかもしれないが、消え行くものを後代に残しておくことはとても大切だ。 旧芦原町のことはよく知らないが、旧金津町の郷土史の大御所たちは既に冥界へと旅たたれた。ならば若い(?)ひとたちが大御所たちの残した記録を言質を、発展的に継承していかなければならない。それが歴史というものだろう。 こういうことは一文の得にもならないことだし生産性もない。基本的には遊びだ。でも、遊びだからこそ一生懸命になれるというのが人間の本質だ。後白河法皇が編纂した梁塵秘抄にも 遊びをせんとや 生まれけん 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ がある。
本日の福井新聞21面に、 アルアラム紙コラムニストのアブデルモネム・サイードという名のひとの論文が載っている。 「日本政治の舞台での自民党から民主党への主導権移行は中東全域に反響を呼び、一般大衆や政治と縁の薄いメデイアは、日本から伝えられる動きに驚きを隠せなかった。この驚きは、中東で日本がこれまで一般的に、政治的な組織体というよりは経済的な存在として見られてきたことに関係している。今回起きた変化によって、政治的な組織体としての日本の姿が前面に押し出される結果となった。内政、外交両面で新政策が明らかになるにつれ、この驚きはより前向きの驚きとなった。・・・」というこの論文を読んで 戦後日本の経済復興期に日本企業がヨーロッパへの電化製品売り込み始めた時、時の仏大統領ドゴール将軍から「トランジスタラジオの商売人」と半ば揶揄されたのを思い出す。バブル崩壊から停滞気味の日本経済とは言え、GDP世界二位の日本国だ。世界の流れがG8からG20へと多極主義化しつつあるなかで、ワスプ以外の米大統領が誕生したことも、日本で鳩山政権が誕生したことも世界平和への糸口になると、私は信じたい。
私は時々無性に海が見たくなる。久しぶりにゆったり気分となった昨日の私は、加賀の海へ車を走らせた。好天のせいで昨日の海は穏やかだった。ダーバンのコートを脱いで春のような日差しを浴びながら穏やかな海をみつめる私は、数日前の友人との会話を思い出していた。 友人は、民主党マニフェストの「子育て支援政策」に異をとなえる。「今の世の中、変な親が沢山いる。こどものことなんか考えていない親がいる。支援金を自分の享楽費にまわしてしまうのよ。支援費は、本当に困っている親にまわしてこそ、まわす価値があるのにそんな親に支援費をまわすのは親を堕落させるだけよ。親を峻別しての支援こそが大切よ」と言う。 いつだったか、某保育所の所長と話をしていた時にも、「こどもの支援に金をまわすよりも、親の再教育つまり親育て事業に支援費をつけることを先行させるべき」と、言われた。 加賀の海からあわら市に戻り、喫茶店で珈琲を飲んでいるうちに外は闇につつまれ始めた。私は、坂井市坂井町の「いねす」へ愛車を走らせた。そこでは連合・坂井地域協議会の総会が開かれた。 組織が再編成されるので、坂井地協としての総会は最後となる。記念的な総会だ。 総会終了後、私は社民党代表の方と居残って話をしていた。沖縄に尊敬する知人がいる私にとって今回の政権交代の焦点のひとつは米軍基地問題だと思っている。しかし新聞報道やTV報道では、足並みがそろっていない。
昨年の今頃は、大病を患っての病院生活が終わり自宅に戻ったばかりの頃だった。私は、移ろいゆく自然を眺めながらリハビリとして自宅周辺を歩くという静謐の日々を送っていた。 歩きながら感じたことは沢山ある。@歩くことができるということは素晴らしいことだった。@しゃべる聞くという機能が回復するということよりも、回復しつつあるということにより一層のヨロコビを感じた。@自宅での三度の飯が、味気ない病院食と比べてなんと違うことか。病院食は確かに厳格なカロリー計算と雑菌遮断に裏打ちされている。ひるがえって自宅食にカロリー計算はない(だろう)が、しかし味がある。数値計算のできないあたたかみという味がある。食事は精神的な営みなのだ。@国民皆保険という制度は人心を安定させる(オバマ米大統領も国保制度制定で苦しんでいるようだが是非実現してほしい)。 エトセトラである。 リハビリの日々とは即ち前半生を反省する日々でもあった。しゃかりきで怠惰な生活からさよならをした。「求道僧のようだ」と、私をよく知る友人達から言われるようになった。本質は同じだが、外皮が変わったのだろう。普通の生活が一番大切だと思うようになった。
昨日の午前中は書類づくりに追われ、午後一番で福井市へ書類を持っていった。 帰途、糸川事務所へ寄って秘書氏と長い時間、懇談。戦争がなぜ絶えないのかというテーマの話となった。経済(というよりも商売)が戦争をひきおこすという話には示唆的なところがあり、私にとっては充実した時間帯となった。 あわら市内に戻って、某氏事務所へ。「郷土の歴史」がテーマとなった。殆ど無趣味の私が唯一の趣味としているのが郷土歩きで、この種の話には尽きないものがある。いつも思っているのだが、このあわら市に語り部をつくるべきである。育てるべきである。それが、市の活性化につながる。ハード事業の成否はソフト事業にかかっている。
本日の福井新聞見出し記事に「元収容所長の公判結審へ」がある。元収容所長とは、約200万人を虐殺などで死に追いやったとされるカンボジアの旧ポルポト政権の幹部で、人道に対する罪などに問われたトウースレン政治犯収容所の元所長のこと。カンポジアの旧ポル・ポト政権は毛沢東主義の実践者というか継承者として貨幣経済の廃止をも目論んだ。そのポル・ポト派にたいして日本のマスコミは概ね好意的だった。 親分の毛沢東政権の文化大革命は大きく喧伝されたが、死後に四人組が逮捕粛清されあるいはユン・チアンの「ワイルド・スワン」や李の「上海の熱い夜」などで文革の暗部が世に出されるようになった。「中国の赤い星」を書いたエドガー・スノーからして毛沢東の言うがままを書いたに過ぎないと批判され、スノー自身も自らの無知を認めている。 私は、李志綏・「毛沢東の私生活」を一番興味深く読んだが、いずれにせよ独裁政権はマスコミを規制し提灯記事ばかりを書かせ、その真実というか暗部はのちの世にしか顕わにならない。それが歴史の鉄則なのだろう。
深夜ラジオで、ノンフィクション作家の柳田邦男が絵本のことをしゃべっている。最近は自己中心的な親が増えてきていることを嘆いている。又、親子の肉声を通してのコミニュケーションが大切でその為の方法としての絵本読みを訴えている。自己中心的な親が増えてきていることは、その方面で働いている人達からよく聞く話でもある。 私にも三人の子供がいる。三人とも既に成人しているが、私は自分がどういう親だったのか反芻してみた。 こどもたちが小さかった当時、自由業の私はこどもたちとキャッチボールなどをしていつも一緒に遊んでいた。その意味でのコミニュケーションは結構持っていた。だけど絵本読み聞かせはあんまりしなかった。面倒くさいのである。読み聞かせよりも、話し聞かせのほうが楽だった ある晩、一緒の布団で昔話をした。「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おばあさんは毎日山へ芝刈りに、おじいさんは川へ洗濯に行きました。」と言ったら、こどもが「とうちゃん、それは間違いや。反対や」と言う。「どっちでもいいが。何で間違いや?」と聴いたら「だって、学校の先生がそう言ってた」との答えが返ってきた。「これはおかしい。男女共同参画社会の理念にあわないのではないか。学校の先生がそういうこと言ってはいけんなあ」と思った。 小学校時代は私にもなびいていたこどもたちも、中学生以降は妻ひとすじとなってしまった。妻は「これやから、団塊の世代の男たちは困る。阿吽の呼吸で意思の疎通が計られると思っている。だけど、時代がちがうんや。今は、徹底的な会話が必要な時代なんや」とよく叱責された。 そういうことで父親としての自分を自己採点すると100点満点で60点くらいつまり普通だったと思う。
昨日は土曜日ということで喫茶店で時間を過ごしてきた。ここ数十年間、私は喫茶店へ行くことが殆どなかった。いろんなことに追われて、行く時間がなかったのがその原因だ。でも、還暦を迎えてからは一週間に一度くらいのペースで行くようになってきた。飲み屋へ行かず人と会うことのない生活を送っているので、喫茶店で隣席から聞こえてくる会話に刺激を求めているのかもしれない。 喫茶店は飲み屋の喧騒とは別の静謐の世界だ。 家でつくる珈琲とは違って極上の香りが鼻孔に入ってくる。流れてくるBGMがモーツアルトだったりするとザルツブルグを思い出す。ハイジを思い出す。「喜びも悲しみも幾歳月」を思い出す。 悪魔のように黒く地獄のように熱く天使のように清らかで恋のように甘い汝が名は珈琲 タレーラン である。 若い頃の喫茶店通いはブルージーンズの尻ポケットに文庫本を入れてのものだった。一杯の安珈琲で数時間ねばることも稀ではなかった。要するに喫茶店が図書館の役割を果たしてくれたのだ。そこが還暦過ぎの喫茶店詣でとは根本的に違うところだ。 ↓拡がる棚田 日本の美しい風景だ。
昨日の午前中は、岡山県津山市議会・広報調査特別委員会のみなさんと議会広報誌についての情報交換。議会での一般質問者が大変に多く(30名くらいか)、一般質問に約一週間を充てるという説明にはびっくりした。皆さんの雰囲気は明るく饒舌だ。私の学生時代のクラスメートだった津山出身者のやや陰のある静的イメージと対照的で、「人間さまざまや」と思った。 午後は全協.夕刻に終了後懸案の用事で坂井市役所へ車を走らせた。用事をすませ坂井市役所を出ると辺りは既に闇の世界だ。4日間の視察で訪れた関西圏とは決定的に違う。けれども、これでいいのだと私は思った。「闇は一切を拒否するアナーキーな世界だ」と、寺山修司も書いている。 自宅への帰路、携帯電話が鳴った。会ってしばらくの間よしなしごとをしゃべり合ったあと、私は旧芦原庁舎へ向かった。 そこでは湯のまち駅前・有楽荘跡地の活用に関するワークショップが開かれていた。このワークショップに出るのは初めてだ。耳目をひく意見も幾つかあったが私個人としては、「湯のかおり」の演出が大切だと思った。現代の社会は匂いをどんどん消し去っている。五感のなかで嗅覚が一番退化しつつある。しかしもともとが犬の千分の一しかない嗅覚という生理的機能を復建させることは、人間を必ず追憶の世界にひきずりこむ。バーブラ・ストライザンドなのである。
昨日は「坂井地区介護保険広域連合議会」の視察研修で生駒市役所へ行った。生駒市の介護保険料は4,300円/月。ちなみに坂井地区の場合、4,100円/月だ。人口11万7千人の生駒市は大阪市のベッドタウンとして発展してきた都市で、第一号保険者(65歳以上)は18.7%。坂井地区の22%と比較すると、当然ながらかなり低い。 介護保険課と福祉支援課が独立している。われわれに説明してくれたのは福祉支援課で、一言で言うならば、介護予防に重点を置いた総合的な施策を講じている課である。都会地に通勤する人達が多いせいか、介護保険料を払っていることでの権利意識があり、その故にボランテイア意識がかなり進んでいると私は感じた。進んでいるというのはボランテイア活動を楽しんでいるということだ。無論無償ボランテイアだ。 生駒市は生駒山を背景とした坂道の多いまちで、私が6年間住んでいた神戸のまちと似ている。夜景はきれいだが、障害者や高齢者にとっては自宅から外へ出にくいまちという説明を受けた。外へ出ることで出会いがあり活性化がはかられる。 二日目の本日は長浜市役所へ。長浜市役所は建物がかなり老朽化していると私はみた。 それでいいのだ。耐震補強がしてあればそれでいいのだ。役所は公僕の働き場所なのだから、機能さえしっかりしていれば市税は他のところに使うべきだ。それが「私たちは市民のために働いている」というメッセージになる。 長浜市の介護保険料は4,324円/月。高齢化率は坂井地区とほぼ同じだが、旧市街地のほうが周辺(山間部)よりも高齢化率が高いという担当課長の説明には驚いた。普通は逆じゃないか。その理由を尋ねたら、旧市街地にドーナッツ化現象が発生している故との答えが返ってきた。 高齢者介護連絡員として市内薬局・薬店と郵便局を市が委託しているという説明をうけた。郵便局は都市部に統合されるのではなく、さまざまな意味で地域の拠点であり続けるべきだと思った。生駒市と同じくさまざまのNPOが協力しあって障害者・特定高齢者支援のネットワークを形成しているような印象をうけたが、思うに、なくなってしまった地域社会の復権を目指しているのではないだろうか。
いろんなことに追われた土日だったが、メダカの水槽に小砂利を敷き詰めている時だけゆったりした気分になった。水槽と言っても単なるプラスチックの箱だが、小砂利を敷き詰めた水槽を群れなして泳ぐメダカを見ているだけで、自分自身が洗浄されたような気分になる。何故だろう。養老猛の本に、「脳には右脳と左脳があるのだから人間はもともと分裂症だ」という一言があったと思うが、そう考えると納得できることが沢山ある。 昨日の夕食時、TV画面には事業仕分けの様子が流れていた。コメンテーターが「財務省のシナリオどおりじゃないか」と言っていた。透明性の確保は確かに良いことで、衆人環視のなかでムダか否かが検証されるのは殆どエポックメーキングだとも思うが、その一方で地方自治体への情報が途絶え地方の現場が混乱しているとの声も大きい。民主党は地方主権をうたっているのだから手順のわかりにくいトップダウンは逆効果になるのではないかとも思うのだが、一介の地方議員にはよくわからないところだ。突然画面が蓮舫議員のアップに切り替わった。今年の春だったか、「ユアーズホテル福井へ蓮舫を聴きに行かないか」と誘われたのだけれども、何かの都合で行けなかった。相手への目線の凝視度がTV画面でも伝わってくる。「行っときゃよかったなあ」と思った。 さて、今日明日と「坂井地区介護保険広域連合議会」の視察研修だ。行き先は生駒市と長浜市。インターネット検索でその市の概要が瞬時にわかるのだから便利な世の中になったものだと思う。瞬時にわかること自身が功罪を持っていることも確かだが、とにかく瞬時にわかる。友人知人に電話をして、介護の問題点の再確認も済んだ。用意万端となったのだ。そろそろ夜があける。それでは、行ってきます。
今朝の福井新聞には、来日したオバマ大統領の「演説全文」が載っていた。一ページ全体にわたってのものすごい字数なので、読むのが億劫になる。でも、これが映像だったら、(勿論通訳付きだが)そんなに億劫ではないだろうと思った。私の読み能力の浅さもあるのだろうが、言葉が書かれたものであることとしゃべられたものであることとの違いがあるのかもしれない。そういうことで「オバマ米大統領演説全文」はとばして他のページをめくると、目に付いた記事がふたつある。 ひとつは、「民主の陳情一元化ルール」。・昨日開かれたこの幹事会には私も出席したので記事を裏打ちするデイテールもわかる。資料も持ち帰ってきた。これを詩的にひとことで言うならば、平成七年に亡くなった詩人・谷川雁の「東京へ行くな」だろう。 ひとつは、「普天間 辺野古以外を模索」。・私の恋人は奥さんではなくて沖縄だ。沖縄に複数の友人がいること。沖永良部島で過ごした一時期があること。琉球弧をうたった小説家・島尾敏雄にいかれていた時期があること。新婚旅行先が沖縄だったことエトセトラだが、今、その新婚旅行を思い出した。私たち夫婦は、那覇の(確か)西武プリンスホテルに泊まった。夕食を済ませた私たちはホテル最上階の広いゴーゴー喫茶バーに行った(古いね・・笑・・)。そこは米兵たちでいっぱいだった。私たちのテーブルにブルーの瞳の若者たちが座った。そのうちのひとりと私はバーボンウイスキーで乾杯した。日米・馬の骨会談だったが、私はどこから来たのかとたずねた。「空軍に所属している俺の故郷はカリフォルニア。果てしなくひろがる青い海はここ沖縄とそっくりだぜ。お袋を思い出すぜ」という答えが返ってきた。 余談はともかく今回の総選挙で当選した沖縄の国会議員は四区とも辺野古移転に反対している。民意はそこにあると言うべきだ。「国外移転が無理ならば、県外移転を考えればいいじゃないか。なにも膨大な金食い虫の沖合い基地建設などしなくてもよかろう。日本航空問題で地方空港は青ざめている。北朝鮮の脅威もあるのだから、日本海側の開店休業的地方空港に分散移転してもいいじゃないか」と、国際情勢解説者・田中宇氏も語っている。
今朝は、強い雨音で目が覚めた。午前3時に事務所へ行き、寒いのでストーブに火をつけた。ストーブに火をつけたのには、もうひとつ理由がある。尻の肛門近くにできものができてとても痛いのだ。ハッキンカイロで局部を暖めても、痛みが治まらない。体全体を暖めようと思って、ストーブに火をつけたのである。 暖まるまでの間、百人一首の 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 凡河内躬恒 を考えていた。 初霜が葉っぱに貼りついたくらいで花と見間違うほどに人間の認知力はヤワなものではない。新古今和歌集はシンボリズムを目指している。 段々、昨日の記憶がよみがえってきた。昨夕の来客から「今度要らなくなったソファーを持ってくる」といわれた。11月8日日記を読んだのだろう。謝謝である。 昨日の夜は糸川氏支持者が部屋いっぱいになる程に集まった。話の軸は来年夏の参院選のこととなった。いろんな情報を聞いたが、それらはここで書くことではないだろう。PS民主党が陳情行政廃止をうたったにも関わらず(相対的には少なくなったのだろうが)陳情は多いそうで、民主党県連がこれをどうみているかは容易に想像がつく。 きょうは、福井県民主党幹事会が開かれる。ウイークデイも休日も関係ない日々が続く。
来週は「坂井地区介護保険連合議会」と「厚生経済常任委員会」の視察研修が予定されている。 「坂井地区介護保険連合議会」の研修先は生駒市役所と長浜市役所。「厚生経済常任委員会」の研修先は松坂市役所と香芝総合福祉センター。 何故視察研修などをしなければいけないのかという意見が市民の間に前からあるのは重々承知しているが、共通に抱える問題に対して別の市がどう取り組んでいるのかを窺い知ることのできるのはこの機会をおいて他にはないので、貴重な経験だと基本的には思う。 他の市の場合、月数万円の政務調査費があるのに、当市ではそれが無いのでより一層そう思う。他市の議員から「なんで政務調査費が出ないんや?」とよく聞かれるが、出ないものは出ないのだから仕方ない。政務調査費が出れば、個人・会派研修が可能となり必要書類の購入などが可能となり随分と情報取得や発信がしやすくなると思うのだが、出ないものは出ないのだから仕方ない。町議時代も含めると随分いろんなところへ視察研修に行った。初めて行ったのは仙台近郊で、テーマは「介護保険」と「合併」だった。 どのテーマにしろ完結はしない。続いていく。ひとの一生もそうなのだ。宮本輝も随筆のなかで「人生は永遠の中の一瞬」と言っている。
四国・高知県の北東部にあわら市の姉妹都市・香美市がある。昨日、この香美市の議員団が防災無線などの視察研修のためにあわら市を訪れた。そして昨晩はあわら市の議員団との情報交換親睦会が開かれた。 いつもそうなのだが私の横には女性議員が座り、女性議員は香美市のあれこれを私に語った。「議員定数は25人で人口2万数千人の都市としては定数が大きいです。しかし、面積が538km2で棚田、集落が広範囲に点在しているから定数を削減すべきではないのです」と語った。 土佐藩は幕末に土佐勤皇党の武知半平太や脱藩英雄・坂本竜馬などをうみ、薩摩・長州とならんで明治維新の原動力となった藩だ。そこで私は、「越前藩主・松平春嶽と坂本竜馬の接触を知ってますか?」と聞いたのだが、「NO」という答えが返ってきた。我が越前藩も藩主・松平春嶽、橋本佐内、熊本からドラフトで来た横井小楠、光岡八郎などの活躍で幕末の雄藩となったのだが、そのことは全国的にはあまり知られていないようだ。思うに越前人は総じて謙虚で、自らを語らない。奥ゆかしさは利点でもあるが深読みすれば欠点でもあると思った。 女性議員は「土佐の国は紀貫之で有名です」と言う。勿論、土佐日記を指してのことだが、女性らしい言い方だと思った。それまで漢文のみが文章であった男性文化社会(暇人社会か)に初めて和文を取り入れたのが、紀貫之の「土佐日記」であり、当時の女性インテリたちはそのことに拍手喝采したのだろう。
30歳代の終わりまで、本を乱読していた。その後、社会人であることに忙殺され始めた私は殆ど本を読まない生活に入ったが、近年、又本好きになってきた。ところで、若い頃に読みふけった小説家のひとりに村上春樹がいる。 このひとの本・「海辺のカフカ」を読んだのが二ヶ月前のことだけれども、いまだに読後の余韻が体にしみついている。余韻は不思議な感覚と言ったほうがいいのかもしれない。 福井新聞で共同通信社が、「村上春樹の世界」をシリーズで追っている。このシリーズを時々読んで不思議の謎が少しわかったような気がする。 「・・一番危険なのは自分のボイスを何かの装置で吸収されてしまうこと。カルトはそれをやる。本人が気付かないうちに倍音を奪われてすごく平板な声になってしまう・・」は、「アンダーグラウンド」の基調メッセージでもあるのだが、「海辺のカフカ」の場合、雨月物語の冥界奇談の投影もあるとされていて、昨年暮れに臨死体験をした私はそこに強くひかれるのだろう。 傍目には意識不明でも当事者の私の脳内には昭和初期の映画フィルムのようなジャミジャミが確実に流れていた。現世か冥界かも含めて自分の居所が不明で、時間も交錯していた。覚醒した私はそれを意識の極度な混乱と思ったのだが、最近は意識の開放だと思うようになってきた。いや、意識の解体というべきか。逆説的な言い方かもしれないが、そこに倍音を形成・維持できる可能性があると思うようになってきた。
追今週13日に放映予定のテレビ番組・「大田総理」に、糸川氏がゲスト出演するとのことです。
民主党が政権与党となったことで、周囲の雰囲気がこんなにも変わるものかと驚くことがよくある。昨日も市役所で某氏に呼び止められた。「あんたはあわら市議会ただひとりの民主党員として、まわりからやいのやいのと言われながら、孤軍奮闘してきたんや。今からは、自信をもって頑張っていかなあかんぞ」と言われた。確かに私は若い頃からずうっと反自民で、自民党に投票したことは一度もない。 しかしラジオで国会中継を聴いていると、鳩山政権は産みの苦しみにあえいでいるようにも感じられる。私自身も個別には民主党のマニフェスト全てを無条件に支持するものではない。が、例えば事業仕分けのあり方に対する考え方を聴いていると今までだったら隠されていたものが今からは白日の下に出てくるような気がする。「政界の裏の動きは夜の高級料亭で」という定番が過去の遺物となるのはとてもいいことだ。 私も料亭へは行かない。行く金がない。だから市政はじめあわら市に関する話の場所の殆どは事務所ということになる。当然きれいな女将もいない。コンパニオンもいない。いないほうがいい。 しかし先日の親睦会に珍しくコンパニオンが出てきた。若いコンパニオンだから何をしゃべったらいいのか皆目わからない。仕方なく、若い頃の一時期を過ごした沖永良部島の自然を話した。思い出を話した。聞いていたコンパニオンが「牧田さんてもてるでしょ?」と言う。そう言われるのは嬉しいが、それは誤解で私には艶話がない。子孫が生きてよかったという世の中を模索することのみが関心事のどちらかというと堅い人間だ。それがいいのか悪いのかわからないが、とにかくそういう人間だ。
というようなことを書いていた午前6時半、事務所玄関のブザーがなった。長時間、福祉相談を受けた。 本日の午前中は衆議院選2区総括支部会が開かれる。朝飯をよく噛んで食べて、きょう一日を元気でやりぬこう。