2010年02月



2010/02/28 (日) 早朝に雨音を聴きながら

本日の福井新聞一面で「金嬉老氏 入国申請へ」の記事を読んだ。
1968年に静岡県内で暴力団員二人を射殺、人質を取って旅館に立てこもったこの「金嬉老事件」を、僕は既に今はない金津町八日区の銭湯「柳湯」の番台から流れてくるラジオニュースで聞いた。
あの時から40年の歳月が流れている。

その頃高揚していた全共闘運動は、東大安田講堂立てこもりを頂点に終息に向かい、変わって連合赤軍などの暴力行為が世間の耳目を集めるようになった。「浅間山荘事件」が起こったのは、確か僕が23才の時。森恒夫や永田洋子による連合赤軍メンバーリンチ事件の発覚を、僕は、沖縄航路で沖永良部島へ向かう鈴蘭丸の船底で知った。

相前後して起こった三島由紀夫自決事件は僕にとってとてもショッキングなもので、小説家の死というよりも、華麗な日本語文の消滅という思いが強かった。後年、僕は妻と共に小説の舞台となった「金閣寺」を訪れた。

水俣病がマスコミに頻繁に載るようになったのはその頃からだろう。砂田明さんの生舞台を三国町の友人宅で見たのは僕が28歳の時だった。その時初めて一人芝居のすごさを感じた。砂田さんが亡くなって17年が経過している。

チリ巨大地震で「三陸沿岸、大津波3メートル警報 列島各地に午後到達」と気象庁が警戒を呼びかけている。確かに警戒は必要だ。
ふと思ったのだが、チリ沿岸で発生した津波は広大な太平洋をひた走りに走っている。じゃあ、太平洋上を航行中の船舶はどうなんだろう。避けようにも避けようがない。


2010/02/27 (土) 予定満載の土曜日

先日の全協(全員協議会)で予算案についてのいろいろな説明をうけたが、特筆すべきことのひとつに、平成21年度補正予算の結果として財政調整基金(貯金)が増えたことがある(¥12億)。

平成21年度の一般会計は¥170億となり、例年より¥40億程度増えた。これは市内各小中校の耐震補強改修といういずれやらなければならない事業を予算化したことによるものだ。財政状況に懸念はあったが、国の積極的な財政支援という背景とタイミングがマッチしてこの結果を呼んだ。

これからはソフト事業だ。前回の12月議会で僕が一般質問した時、市長は「HEECE構想事業」を語った。
HEECとは健康・教育・環境・コミュニテイ・経済の英語のイニシャル。
今、平成22年度に構想されている事業総括表を目の前にして思うことはいろいろある。
一言で言うならば、街づくりとは人づくりだろう。
昨日の夕刻に金津図書館へ行った。週末を共に過ごす本を求めてのものだ。
何年前だったか、丸岡町が行なっている「一筆啓上賞」の入選作は
「図書館に 僕のなぞとく 鍵がある」だった。
やるなあ、と思った。

本日の午前9時半から、福井県自治会館において「民主党福井県総支部連合会第11回定期大会」が開かれた。かって知ったる顔が沢山あるこのような会へ来るとほっとする。

代表代行の国会議員・笹木氏、県連代表の国会議員・松宮氏のあいさつに続いて来賓諸氏(高島良充民主党筆頭副幹事長、若山樹義社民党福井県連合代表、西川一誠福井県知事、馬場修一連合福井会長)のあいさつがあり(僕は若山社民党福井県連合代表とは普天間基地問題で個人的に何度か語り合ったことがあるのでじっと耳をこらしていた)、そのあと議事に入った。
写真はあいさつする井ノ部航太氏。

若泉征三代表代行が閉会のあいさつをしたあと、政経フォーラムに入った。
政経フォーラムは高嶋良充民主党筆頭副幹事長による講演「鳩山政権下での地域再生について」だった。

2010/02/26 (金) もう週末か

きょうは、昨年の10月に逝った親父の誕生日。
大正生まれだが、皇道派青年将校らが決起したクーデター未遂事件二・二六事件の日に生まれた親父は典型的な庶民だった。いわゆるサイレントマジョリテイとして生きたひとだった。
団塊の世代の男達にとって共通のことかもしれないが、母親と比べて父親は距離のある存在。面影が偲ばれる。

昨夕は建設課上下水道課に出向き、公共下水道整備の進捗状況をいろいろ聞いてきた。
現在の下水道普及率は71・3%とのこと。平成30年頃の完全普及を担当課は目指している。普及工事でネックとなるのが国道8号線だとのこと。その理由はよくわかる。
政権交代で一括交付となったが、その補助率が従来どおりであるかどうか先行き不透明な部分もあるという説明だった。
僕の家が公共下水道となって既に30年近くが経過している。血税の行使に不公平があってはならない。普及のスピードアップを望むものである。 

夜は手話サークル。
暖かい日が続いているので、話題に「花見」も出てきた。忙中閑ありだ。

2010/02/25 (木) 深夜ラジオで「りりー マルレーン」を聴きながら

昨日の僕は、越前市在住の友人と長い間、電話で話をしていた。友人は数年前に脳内出血で倒れた。僕と同じだ。友人の場合、発見が遅かったので治療が後手にまわり、後遺症が残っている。左手に大きなマヒが残り車の運転も不可能だ。
でも言語発信は遅滞なく、しゃべりは相変わらず元気だ。陰を感じさせない。頑張ってCADをこなしている。

僕も又障害とたたかってきたし言語や右半身にわずかなマヒが残っているので思うのだが、障害者と健常者という仕分けに意味はない。あるいは、全ての健常者は潜在的障害者だというべきだろう。

三国土木事務所での打合せ終えて事務所に戻ると、来訪者3名。
偶然だが、同じ時刻の来訪。持ってきてくれた煎餅と珈琲で市政を語り合った。
語り合いは夜まで続いたが、夜になっても暖かい。つい一週間前の寒波が嘘のようだ。
お袋から灯油の購入を頼まれたが、今回で最後となるかもしれない。CO2排出による地球温暖化防止は21世紀の課題だが、それはそれとして春がはやくくるのは嬉しいことだ。

昨日は、全協(全員協議会)が開かれた。
第47回あわら市議会定例会の日程は次の通り。  
付託議案先は次の通り
平成22年度の当初予算案が提出されるので、大きなボリュームだ。深夜ラジオを聴きながら、それぞれの議案書にインデックスを貼った。じっくり検討しようと思っている。

2010/02/24 (水) 本日は全協

昨日の夕刻は、建築耐震調査設計を業務とする友人と会った。同じ設計事務所で働いていたかっての同僚だ。
昨今の耐震調査の進捗状況を聞いていたのだが、学校についての耐震補強改修工事はここ2、3年がピークだろうとのこと。
勿論、自治体によって進捗の差はある。あわら市の場合、小中校の耐震調査設計はほぼ終わって議決承認され工事が進んでいるが、例えば隣市・坂井市の場合はこれからみたいだ。

昭和56年に施行となった新耐震建築基準法以前の建物は世の中にゴマンとある。友人は「学校の次は病院にシフトされるのではないか」と言っていた。

2010/02/23 (火) 春間近

本棚に並ぶ本の背表紙・「縄文から弥生へ」を眺めているうち、若い日を思い出した。

30年ほど前、福井市の文化会館で全国図書館大会が開催された。皇后陛下や時の文部大臣・永井道雄氏らが出席しての盛大な大会だった。
当時、若狭・三方町の「鳥浜貝塚」縄文遺跡の発掘が全国的に脚光を浴びていた頃で、発掘チームの棟梁が「縄文人の生活」というタイトルの基調講演を行い、僕はその講演の手話通訳を仰せつかった。
普通、通訳者は講演前に講演者と会って四方山話をする。講演のキーワードや講演者の話のリズムを事前に知ることで通訳がスムーズになるからだ。
僕はその先生から、縄文人の生活の概要をいろいろ伺った。

「縄文前期で日本列島に住む縄文人は30万人くらいでした。添加物がないので健康な食生活だったと思われるかもしれないが実はバランスが悪いのです。貝ばかり食べているとビタミンがかたよるので平均寿命は20数歳。28歳にもなれば、長老的存在だったはずです」と聞いた。
近畿圏は渡来系が多いとよく言われるが、仮にぼくの先祖が縄文だったとしてその時代に生きていたなら僕はとっくに死んでいることになる。今交際しているひとたちの殆どとは出会うこともなかったことになる。

2010/02/22 (月) 昨日の日曜日

昨日の午後は、芦原温泉某旅館において、「F-TOP21 国政・県政報告会」が開かれた。
議員関係では、民主党国会議員諸氏が国政報告をした。我々地方議員の場合、国政情報はマスコミ、インターネットによるものが多く、その意味で生の声に触れるのは貴重な経験だ。
報告後、会場からさまざまの質問が出てのやりとりがあったが、耳に残ったもののひとつに新幹線問題がある。
整備3新幹線のなかで北陸新幹線が最も有利な位置にあることは確かだが、その場合に3セク化される在来線についての費用負担などの論議が全く出てこないことに対する質疑応答だった。
これについては、一昨日の地域戦略局でも同じような話があった。
今後の推移を見守りたい。

県政については小浜の西本氏が代表して報告を行なった。嶺南と嶺北の地域格差是正、琵琶湖・若狭湾快速鉄道の実現などを訴えた。


僕のお袋が敦賀市生まれなので、嶺南に対しては第二のふるさとの感がある。

夜は懇親会。僕にとっては珍しいことだが、ビールを飲みながら懇談を楽しんだ。
午後9時に中締めとなり、僕は場を出て家路についた。
自宅まで一時間弱w歩きはリハビリの基本だ。暗い夜道のひとり歩きは自分自身との対話の時間帯でもある。手や足や内臓が僕の脳に何かをささやき続けてくる。

2010/02/21 (日) 未明に熱々珈琲を飲みながら

昨日の午前中は、民主党地域戦略局へ行った。昨年夏の衆院選で一緒に汗を流した人たちと顔を合わせて、和やかな気分になった。

午後一番で、福井県肝友会の「肝硬変・肝がん患者等の療養支援などを求める請願書」の署名集めに歩いた。
事務所に戻りラジオのスイッチを入れると、バンクーバー五輪の中継だ。

肉体の限界に挑むひとたちもいれば、肉体の回復につとめるひとたちもいる。
20世紀・英の劇作家は「地球は大きな劇場だ。そこに生息する人間ひとりひとりが劇の主人公である」と言っていたが、まことにその通りだと思う。

余談だが、冬季五輪テーマミュージックの最高傑作は、グルノーブル五輪の♪「白い恋人たち」だろう。後日、映画館で「グルノーブル五輪」を観たが、BGMとして流れていた♪「白い恋人たち」は甘くせつないメロデイだった。

CADを始めたら、知人来訪。
高速道路無料化や暫定税率のことなど民主党マニフェスト部分的違反のことをいろいろ指摘され、半ばうなづきながらも半ば反論するという論議に終始した。

夕刻に女性ふたり(+少女児1名)が来訪(まれだけど、僕の事務所には女性の来訪もあるのです(笑))。
女性たちお帰りのあとの、頂いたカツオ生削りをサカナにしての焼酎晩酌はたいそう美味しかった。

さあ、きょうも会議だ。

2010/02/20 (土) 早朝に「濃厚うまみ醤油味・堅焼き」を食べながら

昨日は、このホームページ日記の不具合に関するご指摘電話やご指摘メールがいろいろ入っておおわらわだった。
不具合というのは、「2フレームに分割されたトップページの左半分又は右半分が表示されない」というもの。パソコンやインターネットの原理などの皆目わからない僕は早速市役所に出向き、パソコン識者職員Y氏から対応方法を拝聴した。
①画面上方部にある「ツール」をクリック
②インターネットオプションをクリック
③「履歴」を削除  これでOKだそうです。
やってみたら、表示がとてもスムーズになりました。Yさん、どうもありがとうございました。

夜は事務所でふるさと談議。
会を重ねる毎に集まる人数が増えて熱気も大きくなってきた。セミリタイアした年配者が殆どの会だけれども、人生に歳は関係ないやね。というよりも歳の積み重ねは対人関係においての頑なさや構えをなくし、素(モト)の自分自身を自然にさらけ出すことができるようになる。

気がつくともう7時だ。きょうは土曜日だけれども、県連へ行く用事が入っている.。

2010/02/19 (金) 視察研修

厚生経済常任委員会・視察研修」第一日目の午前中は「羽島市資源物ストックヤード・現場視察」。
家庭から出る資源ゴミを土日に限って受け入れる施設だ。19品目への分別をしなければならないが、工場が少なくサラリーマン世帯の多い都市近郊ではこの種の施設が意外と多いのかもしれない。

午後は、「伊賀市中心市街地活性化」の現場を、「えち鉄・湯の町駅前ひろば利活用ワークショップ座長の高田先生の案内で歩いた。
桃青・松尾芭蕉の生家跡近くを歩いた時は心が躍った。20年近く前、敦賀市疋田の西村家住宅で「奥の細道・素竜子本(コピー)」を拝見していたからである。

西村家住宅の広大な庭には
百年の 景色を庭の 落ち葉かな 芭蕉  の石碑があった。

伊賀上野の場合、芭蕉を輩出し、伊賀忍者・服部半蔵を輩出しており住民もそのことに誇りを持っている。つまり数百年間の郷土を愛する意識が積み重なっている。街の活性化事業においてソフトの中心軸を持っていると言うことができる。
翻って芦原温泉の場合、たかだか百数十年前に田んぼで温泉が発見されただけのものだ。地域住民の個別利害を超えた一体的共同性を獲得するのはなかなかむつかしいかもしれない。

二日目の「三重中央開発(株)」の広大の敷地を車で回りながら見聞した諸々は衝撃的であったとも言える。



金津町議時代に瀬戸内に浮かぶ豊島を訪れ膨大な産廃の山を見た時の衝撃を負のイメージの最たるものとするならば(豊島問題にはあの有名な弁護士・中坊公平が動き、あの有名な建築家安藤忠雄が動いた)、昨日訪れた「三重・・」は正のイメージの最たるものだった。
頂いた資料は分厚いもので、PDF化することなどとてもできない。
資料を目の前にしてどうしたものかと思案している。
本日夜は、「(仮称)ふるさと語ろう会」です。


2010/02/18 (木) 視察研修を終えて

今回の視察研修の第一日目は「羽島市市民生活部環境課」「伊賀市中心市街地活性化基本計画・現場視察」第二日目は「三重中央開発株式会社視察」。
なかでも二日目には驚いた。そこには産廃処理の全てがあった。

詳述はあしたします。
陽光眩しい太平洋側から水雪降りしきる陰鬱北陸に帰ってきたら体が冷えて仕方ない。太平洋側の温暖地域と比べて冬の厳しい北陸地域に住んでいる我々は、比較するならば気質も湿り勝ちだ。しかしそう言っていても始まらない。

湿り勝ちの気質を奥行きのある気質と捕らえなおそう。そうすることによって自分に自信を持とう。

とりあえず体を暖めるためにお湯割り焼酎をコップ一杯だけ飲んで寝ます。


2010/02/17 (水) 昨日の一日

今朝は午前3時半に起床。
事務所に入りラジオのスイッチを入れると「ハートブレイク・ホテル」が流れてきた。エルビス・プレスリーだ。
40年ほど前に「女の子二人と男の子二人」で、映画・「エルビス オン ステージ」を観に行った。ダブルデートではあってもデートにかわりはない。僕はせいいぱいのおしゃれをしてそのデートに臨んだ。おしゃれといってもスーツなどあるはずもなく、ジーパンとTシャツのいでたちで頭髪にポマードをつけただけだったが、プレスリーが「この胸のときめきを」を歌った時、映画館内の熱気は最高潮に達した。

昨日の午前中は、三国町の某保育所で所長と子育て支援の功罪について語り合った。
思うにこういう話し合いは「パーソン ツー パーソン」よりもミニ集会形式にした方が多様な意見が反映されて、より効果的なのではないだろうか。
余談だが、このひとの息子さんは、プロレスラーだ。メキシコと日本で戦っている。
サインを頼んでおいた(笑)。

意見書を頂いて事務所に戻ると、民主党関係者Aさんが来訪。ファンヒーターの灯油がちょうどきれてしまったところなので、来訪者には大変申し訳ないことをしてしまった。
来訪者は、僕のホームページのトップページ画面左半分が出てこない、と言う。
以前にも、複数のひとからそう言われたことがあった。パソコン識者に聞いたところ、「基本ソフトのバージョンに問題があるのではないか」という答えだった。

昼飯を食ったあとの休憩時に浅田次郎を読んでいると、匿名電話が入ってきた。
匿名電話なので内容は書かないが、支援制度の悪用についてのもの。
国の様々な支援制度は自助努力では対応できないひとたちに対してのものであるはずだ。間違った制度使用は納税者に対する大きな裏切りだ。

昼一番で民主党支持者Bさんが来訪。
今年と来年は選挙の年だ。そのあれこれを話し合っているうちに、時間がどんどん流れていった。

今日と明日は「環境調査特別委員会」の視察研修だ。
ただいま、午前6時すぎ。では、行ってきます


2010/02/16 (火) 昨日の一日

昨日は出ずっぱりの一日だった。

午前中は三国・陣ケ丘で打ち合わせ。
終了後、事務所に戻り、「札幌味噌イラーメン」一袋を腹に入れてから某医院へ。といっても体調不良故ではなく 血圧の薬がなくなったため。血圧を測ってもらったが「136-76」のいい数値だった。

受診がてら議会報告をしている時に市役所から携帯コールが入った。
一ヶ月分の血圧薬をもらってから、市役所に行き打ち合わせ。偶然だが知り合いの聴力障害者がきていたのでインスタント手話通訳もこなした。
そのあと年金相談のための某銀行経由で三国土木事務所へ行き確認申請業務打ち合わせ。

ここ数年間、建築確認申請業務から殆ど手が離れていたが、その間に業務が非常に複雑化しているのに驚いた。全て姉歯が悪い。

帰宅し猪肉をつまみにしての晩酌。何故か体の冷えを強く感じたので、厚着をして布団にもぐった。肝炎患者の会の請願署名名簿つくりを依頼されていることを思い出し、「体のやまい」のことをいろいろ考えているうちに眠りの世界へ。最近の僕は熟睡できない。夢うつつの世界で喜び悲しむ。

午前2時に目が覚めた。
事務所に入りNHKラジオのスイッチを入れると、立松和平がしゃべっている。勿論録音なのだけれども、数日前に亡くなったひとの声を聴くのはなんとも不思議な気分だ。
「ラジオででは顔は見えない。心だけが見えます」と語っていた。小説家らしいレトリックだが、真理だと思う。


2010/02/15 (月) 幹事会

昨日の午後4時半から、民主党県連・幹事会が開かれた。当面の問題に関するエトセトラが報告された。昨年夏の衆院選以降、幹事会のスケヂュールが強化されてきたように思う。今月の27日には福井県自治会館で定期大会を開催する予定。参院選候補内定者の井ノ部航太氏も会の席上、挨拶をした。とにかくいろんなことを考えさせられた幹事会だった、
午後6時に終了しての帰路、まだ道中が明るい。段々日がながくなってきている。

帰宅してからしばらくの間はバンクーバー五輪をテレビ観戦。
20年ほど前に行ったカナダはとにかく広い国だった。トロントは英語圏だがモントリオールは仏語圏で、ケベック州の独立をめぐって住民投票をすることが話題になっていた。

ホームステイで世話になった夫婦の家の夕食風景を思い出す。
家族全員が食卓につくと、お父さんが「今日一日で印象にのこったことは?」と子供達に尋ねる。子供達の答えが済むと、「きょうはモーツアルトをかけます。アーメン」とかなんとか言って蓄音機をまわす。それから夕食をいただくのだ。
清教徒風の家庭で育ったこども達はもう三十路に入っているはずだ。清楚さを失っていないと思う。


2010/02/14 (日) 日曜日の朝

昨日の夕刻、坂ノ下区・八幡会役員の引継打ち合わせのため、自宅近くの料理屋へ歩いた。途中の金津大橋から眺める山麓が残雪に輝いてとても美しい。

息を呑む風景とはこのことだ。気取って言うのじゃないけれども、一昨年の暮れに大病を患って以来、あわら市内の山・海・川がいとおしくてならない。

引継ぎ打ち合わせが終わって、宴の席となった。他の5人は生ジョッキー、僕は芋焼酎で乾杯をした。
食べ物つまみは牡蠣フライ。一番好きなのは鯵フライだけれど二番手はこれだ。生でもフライでも美味しい。生きているうちに広島へ行く機会をとれたならば、広島在住の旧友・村津くんにおごってもらおう。
話のつまみは猥談。日ごろ謹厳実直な僕であってもやっぱり男だ。ついつい引き込まれてしまった。

散会となった時、料理屋の主人から「牧田さん」と呼び止められた。
「小布施の温泉のことや。まちの活性化の話をしたい」と言う。12日に開かれた臨時議会の議案のひとつ・湯の町駅前ひろば利活用にリンクした話を始めた。
大変に興味深かったが、酩酊気分で拝聴するのは失礼と思い、「後日、来ます。じっくりと拝聴します」と答えて別れた。


2010/02/13 (土) 昨日の一日

昨日は市議会臨時会が開かれた。

議案は次のとおり
第4号 専決処分の報告について
(平成21年度 金津小学校校舎耐震補強・改修工事請負契約の変更)
第5号 平成21年度あわら市一般会計補正予算(第9号)
第6号 工事請負契約の締結について
(平成21年度 芦原中学校屋内運動場耐震補強・改修工事)
第7号 工事請負契約の締結について
(平成21年度 金津中学校屋内運動場耐震補強・改修工事)

主な内容は、「学校耐震補強・改修工事」及び「湯のまち駅前多目的広場整備」に関することだったが、これらが議会承認されて本当に良かったと思う。ほっとした。

こども達の安心安全を担保することに遅滞は許されないことだし、広場整備に関しては事業費の2/3が県の「ビジットふくい」事業からの補助といういわば千載一遇のチャンスだったからだ。

但し、それらを審議する所管委員会で疑問符が出てきたことも事実だ。僕も発言したが、承認に至るまでのに問題点をいくつか感じた。行政側はそれらを反省点として今後をしっかりと考えていただきたい。

所管委員会の審議内容は、本議会において委員長から報告される。報告だからその内容はどうしても整理整頓されている。
僕は過去に確か二回一般質問で「ケーブルテレビによる情報公開」を訴えたことがある。今、本議会はケーブルテレビで流されているが、本当の情報公開は委員会の放映だと思う。

議会が終了して、僕は事務所に戻った。
「疲れたなあ」と思いながら泡盛焼酎・「島唄」を飲んでいると同僚議員たちがあらわれた。
そのうち糸川支持者のひとたちがあらわれて、夜は糸川後援会の場となった。
終了したのは10時。帰宅し就寝。
夢のなかでここ数日のできごとが走馬灯のように流れた。


朝起きて朝刊をひらくと、「玉置宏 死亡」の記事が載っている。
「一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です」で始まる「ロッテ 歌のアルバム」は長寿テレビ番組として有名だった。
はるか昔の学生時代に僕はこの番組の裏方アルバイトを三回やった。楽屋で当時の売れっ子歌手たちと話したりした。

どんな歌手がいただろう。
ピンキーとキラーズ、黒木健、布施明、梶光夫、三沢あけみ、テンプターズ、小川知子エトセトラ。
便所でおしっこをしていた時、隣でおしっこをしていた布施明のかぶっていた帽子を「素敵ですね」と誉めたら(勿論おべんちゃらだ)、「君にあげるよ」と言ってプレゼントされた。
きさくな彼は、その後、オリビア・ハッセイと結婚し離婚している。

2010/02/12 (金) きょうは臨時議会

本日の朝日新聞10面・「声」の欄の、「読書ばかり 人生を棒に振る?」を読んで考えた。

字毒のひとは昔、僕の周囲にも何人かいた。僕自身も30歳代の終わりまで読書に相当な時間を割いてきた。しかし、40歳代に入ってからあとは殆ど読まなくなった。
読書は日常の普通の営みに対する関心を無くさせる。

・歯を磨く時間がもったいないと思うようになる。
・服装に対する関心をなくす。
・髭剃りや散髪の時間をカットする。
・性格が暗くなる。
・周囲のひとたちとのコミュニケーションをおろそかにする。

要するに家人はじめ周囲のひとたちに迷惑をかけてきた。立居振舞のチェックに余念のない今の自分を思うと、隔世の感がある。
生活が自己完結するのならば何をしていても構わないと思うけれども、ひとは共同体のなかで生きていかざるを得ない。

ということで、「なにごともほどほどに」を今の座右の銘としている。


2010/02/11 (木) きょうは国民の休日


せわしない日々が続くので知らなかったが、バンクーバー冬季五輪が近づいてきた。五輪はともかく、バンクバーにはちょっとした思い出がある。


十数年前、僕はホームステイのため妻と一緒にカナダの首都トロント郊外のオークタウンへ行った。航路は北極海まわり。


機上から見る北極海は黒く沈んで荒涼としていた。「風景」という言葉を拒否する風景だ。


飛行機は給油の為、バンクーバー空港に着陸した。滞在時間は約二時間。僕と妻は空港内休息所からバンクーバー郊外の景色を眺めていた。その時僕は開高健のエッセイを思い出した。


開高が「オーパ!」の取材の為にこの空港に降りた時、初老の日本人紳士が空港の鉄柵に手をかけ、日本の方角を眺めているのに気がついた。
近づき、「何してまんのんや?」と聞いた。
初老の紳士の口から、「日本からここにやってきたのですが、体がはやく着きすぎたために、心はまだ北極海上空を飛んでいるのです。ですから心が到着するのを待っています」という答えが返ってきた。


せわしない日常だけれど、こういう「心を掴む一行半句」を忘れてはいけないと思う。


2010/02/10 (水) 未明の北潟湖で


小説家の立松和平が亡くなった。新聞に出たこの見出し記事で、僕は心臓がドキドキするほどショックだ。


僕より一歳上の若すぎる死だ。何十年か前のデビュー作・「遠雷」をたまたま図書館で借りて読んだが、都市近郊の農村の変貌をリアルに描いていて、特にビニールハウスでの恋人どおしの性交シーンが目に焼きついている。


ちょうどその頃、僕は福井市幾久町に建設中の大型ショッピングセンター「ベル」に監理建築士・サブ(つまり子分)として出向していた。
商業活動調整協議会が日米構造協議で日本市場の閉鎖性の象徴的存在として批判を浴び始めた頃で、この会は後に撤廃される。


いずれにしろ、地方都市や地方都市近郊がアメリカ型に大きく変貌し始めたころに「遠雷」は出版された。


今年に入ってからも、深夜ラジオで、曹洞宗大本山永平寺の始祖・道元やインドなどアジアの風景を彼の栃木弁アクセントの朴訥な語り口で聞いた。
合掌。


昨日の午後は、「坂井地区介護保険広域連合議会」が開かれた。夜は意見交換飲み会だったが、僕は某会場で議会報告をする事になっていたので行けなかった。
マイクを持ってつまりマイク・マキとなっての報告終了後、三国で打ち合わせ。
会が気になっていたのでその後飲み会会場へ走ったが、会は既に終了し散会していた。


残っていた数人と握手した。坂井市議のみなさん、来たる四月の坂井市議選をがんばってください。又、お会いしましょう。


2010/02/09 (火) きょうは坂井地区介護保険広域連合議会


昨日は、忙し過ぎる一日だった。


朝飯を食って自宅から事務所へ向かう時、あるひとに呼び止められた。
「配偶者の障害のことで困っている。調べてもらいたい」と言われ、仔細を聞いた。
某建設会社での打ち合わせ経由で担当課へ行き例の件を説明してるさなか、横の廊下を議長や議会事務局局長が歩いてくる。
「?」と思っていると、「10時から旅館組合との交換会ですよ」と言われた。手帳を繰ってみると確かにその予定が明記してある。


「忘却とは忘れ去ることなり」という人口に膾炙した言葉があるが、この言葉は初期認知症のひとたちのために用意された言葉だと思う。


芦原温泉旅館協同組合へ車を走らせ、会に出席。
組合側のひとたちのかなり不揃いな意見を拝聴しているうち、時計が正午の時報を打った。
組合側の知人と一緒に某喫茶店へ。知人からある件での行政側の対応のまずさを指摘された。議会の役目は行政を監視することだ、すぐに担当課へ行こうと思った。


午後は全協(全員協議会)。12日の臨時議会を前にしての全協だが、ここでも議論百出だった。


そのあといくつかの場所を飛び回ってから、えち鉄・湯の町駅前ひろば・利活用のワークショップへ。議員6人がオブザーバーとして参加していた。


午後から夜にかけて幾つかの携帯着信が入っていたが、全く出られるような状況ではなかった。不義理をして申し訳ないと思う。


9時半に帰宅し、やっと飯にありついた。昼飯抜きの一日が終わった。
しかし食べないことでヤワな頭がすっきりしていたような気がする。考えてみると、我々の先祖は江戸期まで一日二食だった。欧化政策の結果かどうかは知らないが三食が常態となったのは明治以降と聞いたことがある。


お袋は、牧田少年(当時僕は直毛だった。朝陽に輝く金髪の可愛い笑顔で周囲の大人たちから愛されていた・・と思う)幼少の頃、「腹八分目」といつも言っていた。
親父は「人の一生は重い荷物を背負うて歩むが如し」という徳川家家訓を牧田家家訓としていた。
それを考えると水呑百姓となった牧田家も遠く先祖を遡ると武士じゃなかったのかと思うことがある。


僕は若い頃に読んだ三島由紀夫著・「葉隠れ」に心を打たれた。著書で鍋島藩家老・山本常朝の「武士道とは死ぬこととみつけたり」を引き合いにだして、人間の尊厳を書いていた。一方で同じ三島が人間のはめはずしをからかった「不道徳教育講座」を書いている。
そして三島の系譜にのる現代の言論人は西部進じゃないかと、時々思う。
僕は彼の読者ではないが、何かのエッセイで読んだ「人間は70%誠実・30%猥雑」を至言だと思うのだ。

2010/02/09 (火) きょうは坂井地区介護保険広域連合議会


昨日は、忙し過ぎる一日だった。


朝飯を食って自宅から事務所へ向かう時、あるひとに呼び止められた。
「配偶者の障害のことで困っている。調べてもらいたい」と言われ、仔細を聞いた。
某建設会社での打ち合わせ経由で担当課へ行き例の件を説明してるさなか、横の廊下を議長や議会事務局局長が歩いてくる。
「?」と思っていると、「10時から旅館組合との交換会ですよ」と言われた。手帳を繰ってみると確かにその予定が明記してある。


「忘却とは忘れ去ることなり」という人口に膾炙した言葉があるが、この言葉は初期認知症のひとたちのために用意された言葉だと思う。


芦原温泉旅館協同組合へ車を走らせ、会に出席。
組合側のひとたちのかなり不揃いな意見を拝聴しているうち、時計が正午の時報を打った。
組合側の知人と一緒に某喫茶店へ。知人からある件での行政側の対応のまずさを指摘された。議会の役目は行政を監視することだ、すぐに担当課へ行こうと思った。


午後は全協(全員協議会)。12日の臨時議会を前にしての全協だが、ここでも議論百出だった。


そのあといくつかの場所を飛び回ってから、えち鉄・湯の町駅前ひろば・利活用のワークショップへ。議員6人がオブザーバーとして参加していた。


午後から夜にかけて幾つかの携帯着信が入っていたが、全く出られるような状況ではなかった。不義理をして申し訳ないと思う。


9時半に帰宅し、やっと飯にありついた。昼飯抜きの一日が終わった。
しかし食べないことでヤワな頭がすっきりしていたような気がする。考えてみると、我々の先祖は江戸期まで一日二食だった。欧化政策の結果かどうかは知らないが三食が常態となったのは明治以降と聞いたことがある。


お袋は、牧田少年(当時僕は直毛だった。朝陽に輝く金髪の可愛い笑顔で周囲の大人たちから愛されていた・・と思う)幼少の頃、「腹八分目」といつも言っていた。
親父は「人の一生は重い荷物を背負うて歩むが如し」という徳川家家訓を牧田家家訓としていた。
それを考えると水呑百姓となった牧田家も遠く先祖を遡ると武士じゃなかったのかと思うことがある。


僕は若い頃に読んだ三島由紀夫著・「葉隠れ」に心を打たれた。著書で鍋島藩家老・山本常朝の「武士道とは死ぬこととみつけたり」を引き合いにだして、人間の尊厳を書いていた。一方で同じ三島が人間のはめはずしをからかった「不道徳教育講座」を書いている。
そして三島の系譜にのる現代の言論人は西部進じゃないかと、時々思う。
僕は彼の読者ではないが、何かのエッセイで読んだ「人間は70%誠実・30%猥雑」を至言だと思うのだ。

2010/02/08 (月) 昨日の日曜日


昨日は午前9時に坂ノ下区民館へ。消防出初式が開かれたためである。
出初式では例年、消防署署員から住宅火災発生時の初期消火の方法についての説明を受ける。
火事は大変に怖いもので、20年程前に隣家が深夜に火災発生した時に、僕は殆どパニックになった。その時の心のありようは今でも鮮明で、もし僕に文才というものがあったなら、短編私小説「炎の恐怖」を書けたはずだと思う。


昨日の場合、加えてあわら市役所職員が来て、小冊子「自主防災組織説明会資料」を配布した。あわら市内には131地区があるけれども、組織がたちあがっているのは27地区にすぎないとのこと。
この動きは阪神淡路大震災が発生してから促進されている。
(余談だが、僕の第三のふるさとが神戸で第四のふるさとは淡路島の離島・成ケ島だ)
僕は次の予定があったので20分程いただけで、某寺院へ向かった。


その檀家寺では、新年の通常総会が開かれていた。
議事進行をじっくりと聞いた。(余談だが昨年のこの総会では中座した。糸川正晃氏の報告会が春江町の公民館で開かれたためだ。その時は、友人の大溝・Kさんと一緒にその場へ向かった。公民館の館長が十数年前に福井県PTA連合会で一緒だった人なのでびっくりした。縁である)


通常総会が終了して懇親会となった。周りから酒をさかんに勧められたが固辞し弁当だけを食べた。午後、三国へ行く用があったためだ。酒のない弁当はクリープのない珈琲となぞらえられるが、よく考えてみると僕の飲む珈琲は砂糖なしクリープなしだ。よってこの諺は僕には当てはまらない。


午後3時から坂井市三国町の民主党議員・辻人志氏の「励ます会」が三国町・社会福祉会館で開かれた。国会議員や県会議員など来賓の多いのにびっくりした。夏の参院選に立候補する井ノ部氏もきていた。
僕個人の知り合いも多く、終了後は挨拶に余念がなかった。

2010/02/07 (日) テリとムクリ


昨晩は、JR芦原温泉駅駅前の某寿司屋にいた。地区の団体の新年会だ。
議員なのでこういう時は頃合を見計らって酒を注いで回る。
地区のひとたちは当然ながら僕が大病を患ったことを知っており、「カラダに気をつけにゃあかんぞ」と言ってくれた。言われるたびに「もったいないお言葉を・・」と恐縮した。


コンパニオンガールズの焦点の定まらない話を聴くより、ずっとありがたい。
ある席では、これからの地区のことをいろいろ相談された。
ある席では、学校給食のことでのご意見を拝聴した。


気がつけばもう9時だ。一本締めで散会となり外へ出た。舞い散る粉雪が頬に当たる。ほてった体にはこれが心地よい。竹田川の川面が外灯に反射してファンタジックだ。


こういう時僕はいつも冬のアルプスとザルツブルグ音楽院を思い出すのだが、昨晩はなぜか金沢の風景が頭に浮かんできた。兼六園の雪吊りの風景が頭に浮かんできた。
10年前に熟年男性7人でここを訪れた時、僕は耳かき(¥170円)を買った。今でも愛用している。


その兼六園に隣接して成巽閣がある。
1863年に加賀藩13代藩主・前田斉泰が御母堂のために建てた隠居所だ。
この建物のエントランスの唐破風を思う時、僕は建築家となっている。


唐破風とは屋根意匠のひとつ。「テリ」と「ムクリ」の併用意匠だ。
「テリムクリ」は「照り起くり」で、照りは反りのことを、起くりはゆるやかな起き上がりのことをいう。
松岡正剛によれば、「仏教建築にひそむテリと自然信仰からおこった神祇建築のムクリとが習合したのもの。絶対矛盾の自己同一」だそうな。矛盾があるから魅かれるのかもしれない。
ついでに言うと「モッコリ」は「ムクリ」からきている。

2010/02/06 (土) 昨日の一日


僕の事務所にはテレビが無いので、日々の情報は専ら新聞とラジオとインターネットに頼っている。
ということで、昨日の午前中はCADと向き合いながら、国会論戦を聞いていた。


10時頃に三国の友人が来訪。友人はまだ若いのに首即ち頚動脈を煩って、整体に励み悪戦苦闘中だったとのこと。だいぶ回復してきたがマヒは少し残っているそうで、規則正しい節制ある生活が大切と言っていた。というよりも諭された。


午後は某建設会社へ行って打ち合わせ。打ち合わせ終えて事務所に戻ると坂井市議・某氏が来訪。午前中は坂井市役所において、「これからの学校給食の方向」についての討議をしていたとのこと。


あわら市の場合もそういう問題を抱えている。旧芦原町はセンター方式を採用し旧金津町は自校方式を採用している。そして芦原中学校に隣接する給食センターが老朽化し建替えしなければならない時期にきたのに伴い、方式を現状のままとするか改変するかがテーブルの遡上に乗ってきた。
今後、焦点となっていくだろう。


余談だが
僕が小学生の時に給食はなかった。アルマイトの弁当箱持参だった。冬の教室ではコークスだったか炭だったかが赤々と燃えていて、火鉢の横に置いて温めた弁当を2限目終了後に食べるのが楽しみだった。つまり早弁だった。


給食は中学生になってから。
脱脂粉乳以外は総じて美味かった。担任の先生が「好き嫌いせずに全部食べなさい」と言うのが嫌だった。口がまわらないので思っただけだが、「好き嫌いは本人の自由じゃないか。残しても構わないじゃないか」という思いがあった。
でも本当はそれは口実。
給食時に左右の席のクラスメートから、残り物をもらって食べるのが学校へ行く唯一の楽しみだったからだ。
現在の僕からは想像できないが、あの頃は恥という概念のあまりない子供だった。


夕刻に友人来訪。喫茶店へ珈琲を飲みにいった。僕は珈琲、相手はココア。
話のテーマは子育て支援の功罪。その時、僕は朝のラジオで聞いた国会論戦を思い出していた。

 2010/02/05 (金) 静かな夜


「東京地検、週刊朝日に抗議 石川議員捜査の記事
東京地検は3日、衆院議員、石川知裕容疑者(36)らが逮捕された収支報告書虚偽記入事件を扱った週刊朝日2月12日号の記事について「まったくの虚偽だ」として、山口一臣編集長あてに抗議文を送ったことを明らかにした。検察当局が捜査関連記事で出版元に抗議するのは異例。
記事は「子ども“人質”に女性秘書『恫喝』10時間」の見出しで、ジャーナリスト上杉隆氏が執筆。
関係者の証言として、特捜部が1月26日に石川容疑者の女性秘書をだまして事情聴取に呼び出し、「主人に電話をさせてほしい」、「ダメだ」などとやりとりがあった、と報じた。
山口編集長は「記事は丁寧な取材を重ねたもので、自信を持っている」とコメントしている。                        (2月4日日本経済新聞35面)」



を読んで地検のおぞましさに呆れたのだけれども、自分の経験で思い出したことがある。僕は自分の生活時間帯に「区切り」を持たないメリハリのない人間だ。これでは駄目だと思ったことがある。


先日、ある公的施設に行った。夕方に行ったのだけれども、わからないことが沢山あったので逐一質問しているうちに時間はどんどん流れていった。疑問が全て氷解した時、時計は8時を過ぎていた。
「遅くまで付き合ってくださってすみませんでした」とお礼を言ったのだが、「いやあ、いいんですけど、きょうは妻の変わりに子供迎えで保育園に行く予定だったんです」と言われた。淡々とした感じの受け応えではあったが、僕は強く反省した。


ひとの生活は、公的生活と私的生活のダブルスタンダードで成立している。だからこそ「定時」というものがある。我々は社会生活を営んでいるのだから、「定時」をお互いに尊重するのは最低限のマナーなのだ。

2010/02/04 (木) 早朝に熱々珈琲を飲みながら


午前3時に目が覚めた。熱々珈琲を飲んだあと重装備のいでたちで雪かきに挑む。
午前5時に雪かきを終えた。

冬季用甚平に着替えストーブに火をつけてから再び熱々珈琲を飲む。福井新聞を開くと一面に「小沢氏は不起訴 東京地検方針・嫌疑不十分」が出ている。
インターネットを検索するとこういうのも出ている。


こういうのを読んでいると米国におけるトヨタ自動車のリコール騒動も何か裏があるのではないかと思ってしまう(笑)。リコール対象となっている車はアメリカ現地法人において生産されたものでだろう。80年代、アメリカとの貿易摩擦が問題になった時、摩擦解消の為、トヨタがアメリカに配慮して現地法人を使うことにした経過があるからだ。
ということを書いていたら、早朝ラジオニュースが「日本国内でトヨタプリウスのブレーキ効き具合についての苦情あいつぐ」を報じている。
となると何が何だかよくわからない。

今朝は6時に電話がかかってきた。「もう会社に出てきている」と言う。
「2月3日の日記に書いていたけど、牧田はんは確かに欝タイプのひとや」と言われた。僕は受話器を置いてからしばらく考えた。


欝の反対は躁だが、例えばこれを陰と陽に置き換えてみるとわかりやすい。
ひとにはこの対気分が体の中に混在している。
陰が顔に顕在している時、陽は胃の淵に潜在している。その逆もいえるのであってつまち陰と陽は表裏一体だ。陰も陽も実体だ。
テレビでぎゃあぎゃあ笑っている芸人たちを見ていると、お笑いの元祖・柳家金五郎を思い出す。あのひとの私生活は笑いのない静かなものだったらしい。人間みなそうだろう。

  2010/02/03 (水) きょうは節分


先日事務所に来た知人から、「牧田はん、通院しているんか?」と唐突に聞かれたのでびっくりした。「何で?」と問い返したら、「だって、最近の牧田はんのブログを読んでいると鬱病ではないのかと思うことが時々ある」との答えが返ってきた。


来客が帰ってから、しばらく考えた。
勿論、僕は鬱病患者ではないけれども、そもそもが欝気分を持っていないひとなどこの世にはひとりもいない。だから、こんな駄文にもそれが投影されることがママあるのかもしれない。


欝というよりも、コンプレックス気分だろう。
昔、精神科医師兼作家・なだいなださんの本を読んでいた時に「ナルホド」とうなづいたことでもあるが、コンプレックスを劣等感とだけ訳するのは間違いだ。その裏に優性志向がある。
つまり劣等感と優性志向感は人間のありように関して表裏の関係となっていてその振幅の大きいひとがコンプレックスの強いひとということになる。


そのふり幅に執着せず、淡々と生きていくことができたら、社会はどんなにか穏やかになることだろう。

 2010/02/01 (月) きょうから二月


きのうが61回目の誕生日で、きょうから二月。


同じくらいの年齢の何人かの知人が病の床に伏している。僕の経験からしても冬の寒さは相当こたえるはずだ。CO2過剰排出による地球温暖化を食い止めることが我々の使命であることは勿論だが、雪国に住んでいる身にとっては自明の

「春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
 の歌のリアリテイは、太平洋岸に住んでいるひとたちにはわからないだろう。


「春(はる)の語源は(冬の寒さを)ふりはらう、からきている」と辞典に書いてある。
その昔、天皇制は祭政一致であった。邪馬台国女王の卑弥呼も国政を司りながらかつシャーマンのような存在であった。
冬は万物が枯れている。それは世界の終わりの到来。
彼女は冬の間、執務室で神々に祈った。世界を終わらせようとする邪気をふりはらうべく、一心に祈った。その甲斐あって地表に緑の草花が芽吹いてきた時、どんなに嬉しかったことだろう。


そしてもうすぐ節分だ。
節分は季節(春・夏・秋・冬)を分ける節目の行事だが、春の節分だけがイベント化されているのは、一年の始まりがここにあるという思いの共有化からきている。