先日の深夜ラジオで、作家・太田治子が父親の思い出を語っていた。極端な優しさと極端な傲慢さが同居した父親の思い出を語っていた。父親とはあの有名な太宰治だ。
ふた昔ほど前に僕の友人夫妻が娘をなくした。母親はその後、太田治子と往復書簡を交わしていると言っていたので、僕はこの名前を知っている。神仏を信じない母親は、出生に関して数奇な運命を持つ彼女に思いをぶつけていたのだろう。
いつだったか、深夜の三国・雄島で橋の欄干にもたれながら、潮騒バックに母親と長時間話し込んだことがある。「牧田くん、私は死ぬのが怖いと思ったことはないよ。怖いのは時経て親しい友人たちから忘れ去られていくことなの」と言っていた。
彼女は今頃どこでどうしているのだろうか。
事務所の整理整頓をしていたら、少年時代を回顧する習作が引き出しから出てきた。
「牧田孝男少年の日々」
嗚呼紅顔の 少年の
冬のその日の 思ひ出が
走馬の如く 蘇る
貧しかりしも あの頃は
山紫水明に いだかれて
自由気侭が 友たりし
雪降りしきる 冬の日の
木造校舎の 教室に
赤々燃える 炭火鉢
隅に置きたる 弁当の
唾飲みながら 口にする
梅干煮干 たくわんは
おふくろの味 つまりしき
夕闇せまる 放課後の
ほの暗かりし 階段に
すれ違ひたる おとめごの
恥じらふ頬の 紅潮を
恥じらふまなこの 激しさを
光源氏の あざなもつ
我は久遠に 忘るまじ
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