きょう(18日)の金津祭り山車巡航表
昨日は意義ある一日であったような気がする。
午後一番に坂ノ下八幡神社の例祭に行った。例祭の始まる前に、区長や理事たちと議会の話になった。
「国会議員であれ、あんたら地方議員であれ別に何人いようと構わない。だけど、みんなボランテイアでやればいいんや。所詮員数集めの議会や」と言われた。
ボランテイアという言葉で職業としての議員を否定するのは先進過ぎるかもしれないが、一理ある。ただし、政務調査費はつけるべきだろう。
次の国会で国会議員定数削減あるいは議員年金廃止の法案が出てくる可能性がある。
議員定数削減になると例えば国会の場合は少数野党が消えていくし、地方議会の場合、地域のすみずみの声が反映されにくくなるので、むしろ市民みんながボランテイア議員となる道をさぐったほうがいいのではないかと僕は思うのである。
僕の敬愛するY先生は「例えば地区の区長がそのまま議員として任務をこなせばええんじゃないか、涙金で。」と言っている。地方議員は地域住民と一体という観点にたてば、うなずける理屈だ。
問題は「区長が市政の監視役という立場を維持できるかどうか」だ。
昨日、一気呵成に読み終えた吉村昭著「羆嵐」は実に読み応えのある小説だった。大正4年に北海道の入植村で起こった「日本獣害史上最大の惨事」を著者の思い入れを省いて冷静にたどったドキュメンタリーだ。頭の頂から足先までが2・7m、体重が383kgの巨大羆が6人の入植者を食い殺し住民を恐怖のどん底に陥れる。
巨大羆に襲われた妊婦が足を食べられ胸の肉を食べられながら、「子宮の胎児だけは食べないで!」と懇願するシーンで、僕は白土三平の劇画のあるシーンを思い出した。
飢餓状態にある農村で、妊婦が盗んだ米をむさぼり食っている。盗人を捕らえるために現れた官憲の眼の前で必死に食っている。
妊婦は「この米を欲しがっているのは私じゃない。私の腹のなかにいる胎児じゃ」と言いながら必死に食い続ける。忘れられないシーンだった。
最後に現れた荒くれ羆うち名人猟師・銀四郎が主人公といえば主人公だ。
生態系の維持と称して現代人は獣と人間の住み分けに必死だが、それは人間界の勝手な理屈で山間地の生息動物にとって、生息領域を拡張する人間達はインベーダーでしかないのだ。
写真の整理をしていたら
なつかしいものが出てきた。
伊井・応蓮寺境内の太子塔前にてマイクを持つわたし。
10年程前のものか・・・若々しい。