昨日の午前中は、民主党・県連事務所へ。
午後は暇なのでDVD・「仁義なき戦い」を観た。
終戦直後から始まり70年代初頭にほぼ収まった実録広島ヤクザ抗争史だ。
この時代は僕の誕生から成人式までと重なり、終戦直後の焼跡闇市に流れる「リンゴの歌」から70年代初頭のネオン街に流れる藤圭子の「夢は夜開く」までの沢山の映像BGMはとてもなつかしいものだった。
まさに「歌は世につれ世は歌につれ」だ。
余談だが
20歳の頃、僕は「貞松浜田バレー団」というプロのバレー団稽古場に、数ヶ月出入りしていたことがある。止まり木に右手を添え、「アン ドウ トロー」という指導者の掛け声のもとにつま先をはねあげる練習はハードなものだった。
しかし練習後の飲み会は楽しかった。
僕はバレリーナを夢みる少女たちに持ち歌をひっそりと聞かせていた。
今でこそ僕の持ち歌は「港町ブルース」だが、当時のそれは
「圭子の夢は夜開く」だった。
帰り際に手作りのサンドイッチを僕にそっと手渡してくれたバレー少女・A子ちゃんは今頃どこで何をしているのだろうか。
話がそれてしまったが、僕にとって「仁義なき戦い」のなかで一番光っていたのは主役の菅原文太ではなくて準主役の北大路欣也だった。
実は、今までにこのひとの出演映画を観たことはなかった。だけど周囲のひとたちから「牧田は北大路欣也に似ている」と、よく言われた。やっと出演映画にめぐり合い、「なるはどなあ」と思った。
昨日の日曜日は午後5時に仕事を切り上げ自宅に戻った。大相撲千秋楽を観たかったためである。予想どおり白鵬が14勝1敗で初場所の幕を閉じた。
私見で史上最強の相撲取りはというと、それは白鵬でも大鵬でも双葉山でも谷風でもない。雷電為右衛門そのひとである。
10年程前に「雷電為右衛門伝記」を読んだことがあるが、現役時代の彼の負け数は
Σ10、勝率は9割6分2厘だった。
伝記によれば、天明の大飢饉で路頭に迷った彼は、生まれ故郷の信濃国を離れ江戸にでる。モンゴル出身の白鵬もそうだったろうが、まことの強力(ごうりき)はハングリースピリットによって育てられるのだ。