政治の世界も泥仕合で,、政権の中枢にいるひとたちの辞任が続いている。 アガサ・クリステイじゃないけれども、「そして誰もいなくなった」という日が近いのかもしれない。鈴木宗男のような、マスコミから袋叩きにあいながら不屈のメンタリテイを発揮してきたひとも今じゃ塀の中だ。
前外相・前原氏の辞任で同じく脛に傷持つ身としてヒヤヒヤしていた国会議員も大勢いたことだろう。 だからと言って我々庶民はどうすることもできない。ただじっと眺めているしか能がない。しかしひとつだけできることは、ひとを偉いとおもわないことだ。例外的に本当に偉いひとは、死んでから初めてその中身のすごさがわかる。
新聞の社会面を眺めれば悲劇満載だし、テレビのスイッチをオンにすればバカ騒ぎの連続だ。 情報過多の世界は我々から安逸を奪っていく。我々は、昔の日本人が持っていた花鳥風月を愛でる世界に再び戻っていこうではないか。 自然は自然であること自体に充足している。それ以上でもそれ以下でもない。 そのなかでのみ、心の平安を取り戻すことができると思うのだ。
きょうの夕刻、僕は頼まれてラブレターの代筆をしていた。これはなかなか楽しいもんだ。わくわくする。 三十年ほど前にもおなじことをやったことがある。代筆の頼み手は某建設会社社員で、某証券会社女子社員にぞっこんだった。僕は代筆したのみならず、その女子社員に手紙を渡す役目まで負わされた。 手紙を渡した時の彼女の顔が忘れたれない。嬉しいような悲しいような顔だった。 「これが牧田さんからの手紙だったら・・」とつぶやいた時の顔が忘れられない
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