すべての人間は弱い。
だれもが恐れをもっているが故に弱いのである。
にもかかわらず一方が「強い人」になり他方が「弱い人」になるのは、「心のなかの苦悩」に対する反応に二つの逆の型「強い反応」と「弱い反応」があるからである。「強い反応」は「自分の弱さを隠すために確信と攻撃という外見を装い、他人に恐れを感じさせることによって自分の恐れを隠す」。
「弱い反応」は「狼狽したり、またその結果、隠したいと思っている弱さを暴露する」。 P・トウルニエ
この文章を読んだ十数年前は格別の印象はなかったのだけれども、今読み返してみるとなかなか興味深い。人間の味がわかるようになるのは、60歳を超えてから、ということかもしれない。
「フォト日記」
今朝ぼくが自宅周辺を歩いた時、K病院建設着々進行が目に入った。
総合病院はどうしても威容となる。
30年ほど前、S建築事務所に在籍していた時、ぼくは「ピア」や「ベル」の常駐監理(サブ)をした。その頃には「ピア」や「ベル」が県内最大の巨大建築物であったはずだ。
現場内をいろいろ動き回ったが、広すぎて自分が現場内のどこにいるのかわからない。平面図のマイクロフィルムによる縮小版を見てかろうじてわかった。「百聞は一見に如かず」という格言があるが、全てにあてはまるわけではない。「百見は一聞に如かず」もまたあるのだ。
工事現場の昼休みは、ギャンブル教室の場でもあった。
背中に刺青をしたこわもての職人たちがやっているオイチョカブ教室では、とび職が「これはよう、前の現場で資材を盗んでつくったカネやあ」といいながら万札をはっている。すごいもんだとぼくは思った。
ポーカーでは、担当建設会社御曹司が強かった。ぼくら貧乏人と違って、カネはいくらでもある。ワンペアかツーペアでも平気で勝負をしてくる。勿論ポーカーフェイスを維持できる。ポール・ニューマンのような端整顔ではなかったが、ギャンブラーとしての品格を持っていた。
当時は今と違って職人たちの気質も荒っぽかった。鉄筋棒を振り回しての喧嘩を数メーター手前で見た時にはぞっとした。誤ってぼくにあたっていたら、冥土暦30年となっていたかもしれない。