2011年06月

 2011/06/30 (木) きょうは議会最終日そして2011年前半の終了日


三日前、体調異変で夜中に何度も目覚め、嘔吐を繰り返したので、翌日主治医のところへ行ったら、「急性胃腸炎」と診断され、薬をもらった。


何も考えず何もせず布団にパンツ一枚で寝転がっている一日を送りたかったけれども、昨日の午前中は原稿書き、午後は全員協議会→広報編集委員会と時間に追われ、きょうは議会最終日ということで、勿論欠席するわけにはいかない。


この時刻(午前5時)、胃の淵の痛みがぼくのカラダ全体を繰り返ししめつけてくる。顔までゆがんでくる。しかし公務が私状況に優先するというのは社会人である限り当然だ。


きのう、「私は常に笑顔を忘れないでいたい」と某女性が言っていたが、至言である。陰鬱な顔はひとを不愉快にさせる。今までのぼくはどれだけひとに悪印象を与えてきただろう。腹では泣いても穏やかな笑顔を保ち続けよう。


とりあえず



「モンステラ」への水遣りから、今日一日が始まった。


 2011/06/29 (水) ですます日記


きょうは全員協議会・広報編集委員会エトセトラで明日が議会最終日。
現議員が構成する今議会も二年間を経過し、明日は組織変えも予定されています。いわゆる組織議会ですね。


人事には全く興味がないし、「誰にも左右されず一票を投ずる」という思いしかぼくにはなく、それが全てだと思います。




人間、誰にでもある青春時代。
酒を飲みながら青臭い議論にあけくれていたあの頃に戻りたいとは豪も思わないけれども、あの頃の何人かに会いたいという思いは日増しに強くなってきています。


あれからあとの数十年を生きてきてよかったのかよくなかったのかよくわからないしだからこその煩悩具足でしょうが、衝動的に自分の死をイメージする時、それが甘い誘惑のように感じられることが最近多くなってきました。


勿論、「死に惹かれる」ことと「死ぬ」ことの間には千里の径庭があるのであって、その意味ではぼくらは皆妄想の世界に生きているのかもしれません。



昨晩は蛍乱舞再撮影にチャレンジしました。
が、あいにくの土砂降りで蛍がでてきません。デジカメのフラッシュ発光をオフにして待つこと一時間。ついに徒労に終わってしまいました。


人生は徒労の積み重ねみたいなもんです。


 2011/06/28 (火) 


昨晩の八時半、ぼくは笹岡地係にいた。



安いデジカメなのでよくはわからないけれども、樹木に茂った葉のあわいを沢山の蛍が飛び交っている。かぼそい光の明滅が美しい。


一緒に行ったとんぼさんによると、江戸期には「蛍売り」という職業があったそうだ。


蛍とは直接関係ない下の句を、ぼくは思い出してしまった。


湯豆腐やいのちのはてのうすあかり  久保田万太郎


 2011/06/27 (月) 新しい週


昨日の日曜日は、福井市・鯖江市・坂井市とジプシー行脚を続けていたが、特に福井市では考えるところが多かった。


「響のホール」で聞いた広瀬隆の講演に、改めて原発事故の恐ろしさを感じた。



テレビに登場する大学教授たちの評論には眉唾を感じるのに対して、広瀬さんのような在野の貧乏学者の話は、基本で信じることができる。


明治の黎明期に「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と福沢諭吉が言ったように、ひとは与えられた仕事を地道にこなしていくことだけが全てだ。名声やそれによって入る金は人をダメにする。


話を聞いていての救いはひとつ。
全国の原発を抱える府県の知事のなかで、西川福井県知事のとった態度及びそれに連動した橋下大阪府知事を評価していたこと。


立ち見席に二時間以上居続け足腰の痛くなったぼくは会場をあとにし、鯖江市へと急いだ。
鯖江市議選某候補の事務所へ行ったのだが、そこには旧知のひとがいて長話となった。
話は「進退伺い」のこと。旧知のひとから「進退は自分自身と相談して決めるしかない」と言われたが、確かにその通りだ。


 2011/06/26 (日) 六月最後の日曜日


昨日の午前中、久しぶりに金津図書館へ行った時、旧知の三人組とばったり顔を合わせた。立ち話から始まったのだが、ぼくの体を慮ってか、「ロビーに座って話しましょう」とみんなに言われ、1階ロビーへ。


図書館のありようについて、いろんな意見を拝聴した。
忘れるといけないのでメモ紙をだしたのだが、既に不自由となった右手を動かすことは困難だ。仕方なく、横に座った女性に代筆を依頼した。


「仕方なく」と書いたが、これはこれでリッチな気分であることに気がついた。
なんというか、自分が秘書を持つ大物になったような気分。


これから先の自分の体が直線的に降下していくのかあるいはスパイラル状にゆっくりと降下していくのか、それはわからない。神さまだけが知っている。


勿論、死なない限り生きていかなければならないので、リハビリなどをとおして現状の少しでもの回復を目指すつもりだが、大局としては機能の低下を免れることはできない。それが宿命というものだ。


宿命なのだからじたばたする必要はない。宿命なのだから仲良くつきあっていくだけだ。


広報編集委員会で原稿を指示されたのだけれども、アタマになかなか浮かんでこない。認知力の減退が日々進んでいるんだろう。困ったことである。


今は「認知症」という言葉が市民権を得ているが、昔は「ボケ」と言った。
「ボケ」は「呆ける」からきているが、「呆ける」は「惚ける」でもあって、「一生懸命のあまり、まわりが見えてこない」というニュアンスを含んでいる。
とするなら、ぼくに若い頃からあった資質であって、とりたてて悲しむべきことでもないと思う。


 2011/06/25 (土) 蒸し暑かった昨日


昨日はあわただしい一日だった。
朝早く携帯電話で起こされ、一路三国町へ。設計依頼者の求めに応じて三つの現場を視察。
「牧田さん、もすこし時間がありますか?」といわれて古風な茶店(ちゃみせ)に案内された。
江戸後期の建物とぼくはみた。


土間には白砂利が敷きつめられ、聚楽壁は緋色だ。入り口には、豊田屋哥川の三国町とのかかわりが書かれている。


ぼくは茶店の女主人と、哥川にまつわる話を楽しんだ。女主人の話し振りには凛とした気風がある。聞けば三味線の師匠だとのこと。


珈琲も美味しくもっと居たかったが、9時30分から厚生経済常任委員会が始まるので、その茶店をあとにした。


ところで
昼休みに食事をとる時間のなかったぼくはタイヤキを代用食とした。数年ぶりのタイヤキだったが、店のひとから「クリームにしますか?つぶあんにしますか?板チョコにしますか?」といわれて面食らった。世の中変わったもんだ。
♪およげ! たいやきくん


 2011/06/24 (金) もう週末か


本日も深夜に目が覚めた。一度目が覚めるともう寝付けない気質(たち)なので、自宅を出て隠れ事務所に入った。
隠れ事務所は竹田川河畔に近いところにある。窓を開けると、入ってくる川風が頬にあたって気持ちがいい。


闇は人間の聴覚を研ぎ澄ます媒体だ。
河畔に立つと、JR貨物列車の走る音が川の水面を伝って聞こえてくる。魚の跳ねる音が時折聞こえてくる。


「水に流す」とか「水も滴るいい男」とか、水には本来肯定的なニュアンスがつきまとう。


しかし、東日本大震災で大津波を経験したひとたちにとって水音は恐怖そのものだろう。であっても被災者たちが生きていく上で最も必要なものが水だ。
「最も怖いものが最も必要なもの」というのは人生でよくあることかもしれないが・・。


さあ、厚生経済常任委員会二日目の朝がきた。
まずは、「モンステラ」への水遣りだ。



「モンステラ」への日々の水遣りは、ぼくを勇気づける。


2011/06/23 (木) 厚生経済常任委員会


本日は厚生経済常任委員会初日。午前9時半に始まり、午後3時半に終わった。
市民生活課所管・子育て支援課所管・健康長寿課所管の説明を聞いていて気になる幾つかはあったが、議会最終日(6月30日)に笹原委員長のほうから詳細報告がありなおかつ29チャンネルで放映されるので、詳述は省きます。




2011/06/22 (水) 無題


昨晩は、家のことについての妻との話が続き、結局は10時半就寝となった。いつもより数時間遅かったおかげで今朝の起床時刻は5時。


熱々珈琲カップを持って竹田川河畔にたたずみながら思うのだが、これくらいの時刻での就寝起床がカラダに一番いい。


というようなことを書いていた午前7時、知人O氏が隠れ事務所にやってきて「牧田、ブログを書いたり書かんかったりしていると狼少年になってしまうぞ」と言う。
それならば日記のタイトルを「狼日記」に変更しようかと一瞬思ったが、それだとぼくは女性の敵と誤解されてしまう。第一、’70年代初頭の連合赤軍事件を彷彿とさせるのでやばい。
今までどおり「議員日記」でいくのが可もなし不可もなしで、それでいいのだと思った。
三国土木事務所からの帰り、とんぼさん宅で写したサギソウ


 2011/06/21 (火) 深夜にCADをやりながら


ここ10日間ほど厭世観がひどくて、こんな日記など書くのを止めようという気分になり、二日前に「ご愛読ありがとうございました。しばらく休みます。」と書いた。


だけれども、翌日から
①なにがあったんや?
①どこの病院に入院したんや?  
等々の携帯コールが入り始めた。


ま、おっさんたちの携帯心配コールなど意に介さない強靭なココロを持ったぼくではあるけれども、議会を終えた昨夕、隠れ事務所に高級焼酎を手に持ったひとりの美女があらわれたのにはびっくりした。


デジカメ撮影の構図を「焼酎プラス美女」にしようと思ったのだが、「やめて、牧田さん!でも手が写るだけなら構わないわ」といわれ、結果として下の写真になったのである。



この日記をご覧のみなさんは、美男美女ふたりだけの世界の会話を、「さぞかし歯の浮くようなセリフの連続だろう」と思ったに違いない。


しかし事実はそうではなく
彼女は彼女の人生観を語り、ぼくは、愛するふたりのこどもたちと妻のことを語った。
そしてふたりは別れた。

今朝、三国土木事務所へ出かけようとした時、ラジオから伊集院静の声が流れてきた。
弟を海で亡くし、はやくに妻(女優・夏目雅子)を病気で亡くしたどちらかというと無頼派小説家だ。仙台に住んで16年という。


東日本大震災を体験した彼は、無数の死者と等身大で向き合っている。
死者の数がどれだけ膨大であろうと遺族にとってはかけがえのないひとりひとりであることを、かみしめるようにしゃべっていた。


昨年、かけがえのない宝を亡くしたぼくにはその思いが痛いほどよくわかる。小説家ではないので、言葉で表現できないだけだ。


ぼくのように体験を共有していない殆どのひとたちが死んでいったひとたちにせまれる術(すべ)は、想像力の駆使だけだ。政治家と違って、小説家はものごとを根底から問い詰める。伊集院静は3月11日の夜、仙台の星空を眺め続けていた。


「悲しみから逃れる時が、いつかきっとくる」。
ぼくは彼のこの言葉を信じて生きていこうと思う。



 2011/06/19 (日) 無題


ご愛読ありがとうございました。
しばらく休みます。

 2011/06/18 (土) 土曜日の朝に


きょうは土曜日。
週休二日制が定着したこんにち、大半のひとが趣味やレジャーの二日間を送るのだろうと、ぼんやり思っていて思い出したのが、森本哲郎の随筆。


そこには「中国語では大半が90%、多半が70%、中半が50%、小半が40%をさす」と書いてあった。
さすが漢字の国だけあって、中国では割合を漢字で4段階にも分けている。


ぼくが「大半のひとが趣味云々」と思った時の大半に対するイメージは「100%ではないが、50%をはるかに超える」であって、その限りでは間違っていないのだけれども、中国語では段階がより厳密であるということだけはいえる。
よく聞く「中国人は理屈好き」は本当なのだろう。


 2011/06/17 (金) 無題


お袋が高女の時の同窓会の為に敦賀へ行くと言うので、JR芦原温泉駅まで車で送った。
駅構内の階段をゆっくりと上がっていくお袋の後ろ姿は丸くて小さい。


たわむれに 母を背負いてそのあまり
        軽きになきて  三歩あゆまず  石川啄木



啄木は26歳で亡くなっているから、母は50歳前後だっただろう。ほんの150年前の日本人の平均寿命はそれくらいだった。
軽度の障害者となっているぼくに、母を背負う力はない。人生の晩年を彩るものは哀愁なのだ。


ともあれ
駅構内にはやくエレベーターを設置することが大事。


 2011/06/16 (木) 深夜にじゃがいもを食べながら

二年後から始める予定の放浪の旅。


その旅先をどこにするかはまだ確定していないが、有力な選択肢はふたつあって、ひとつは近江の国、ひとつが加賀の国だ。


昔から北陸3県の県人気質をあらわすのに「越中強盗・加賀乞食・越前詐欺」という言葉が有名だ。
越前は単位人口あたりの会社社長の輩出数が全国一で、これは近江商人の系譜からきていると思われる。
しかし、(継体天皇の御落胤という噂のある)ぼくは、商売よりも加賀百万石の文化に惹かれるので、きのうの昼は仕事の時間の合間を縫って、加賀国「かぼちゃ村」へ事前調査に行ってきた。
ふたりで食べる海鮮料理昼定食は、頬が落ちるほど美味しかった。


話は変わるが
昨日所用で向ケ丘へ行った折、マラソンおじさんOさんに偶然会った。
みのもんたのワイドショーに出たこともある(旧)金津町ではちょっとした有名人のおじさんは、ぼくに言う。
「わしは今89歳や。わしはいろんな場所で80歳まではフルマラソンをこなしてきた。しかし寄る年波で体力が落ちて81歳から85歳までは10kmコースに切り替えた。さらに体力が落ちて86歳から88歳までは3kmコースにシフトダウン。そして現役を引退した。今はボデイビルに余念がない」と、両手のダンベルを上げ下げしながら言う。


単位kmを単位mに切り替えても無理であろうと思われるぼくには、驚きの連続だった。


 2011/06/15 (水) 昨日の一日


昨日は早朝に三国町の某建設会社社長が来訪。打ち合わせをこなしたあと、あわら市庁舎へ行き、議会事務局と総務課を往復した。


そのあと三国土木事務所で担当課と打ち合わせ。
打ち合わせが終わったら既にPM12:30だ。急いで隣市・坂井市の会議場へと車を走らせた。


旧知の坂井市議の一般質問を傍聴したあと、近くにある坂井地区介護保険広域連合経由で、あわら市内の工事現場事務所へ。事務所での打ち合わせを終えて帰宅した時には4時をすぎていた。
やっと昼飯にありつけたのだけど、この時間帯での昼飯は変な気分だ。


疲れを癒す為、夜は妖しい照明で琥珀色に輝くウイスキーの置いてある場所へ三人で出かけた。
カウンターに座ると、最近のできごとが走馬灯のようにアタマをかけめぐる。
よくしゃべりよく笑った。ついでにカラオケマイクを持ち「港町ブルース」を唄った。


 2011/06/14 (火) ゴーヤスクリーン


昨日の早朝、伊井工業団地・(有)タツカワの社長・達川さんから、「ゴーヤスクリーンのチャレンジが今年も始まった」という電話が入ったので、議会終了後に記者として工業団地へ行って取材した。




「社長の弁」
①初めての昨年は失敗したが、二度目の今年は是非とも成功させたい。


①昨年失敗した原因は、水の遣りすぎにある。暑くてはかわいそうだと思い、朝な夕なに水を遣りすぎたこと・つまり猫かわいがりが原因で、この点はゴーヤも人間も同じだ。


①私のとこのスクリーンは、会社で不要となったパレットを土台としたことに特徴がある。つまり産廃利用だ。エコだ。


①私のとこのスクリーンは、ゴーヤとアサガオとすだれをくみあわせたことに特徴がある。三位一体の改革で他にはないだろう。


「記者の感想」
達川社長のゴーヤスクリーンにかける情熱は本物で、こういう情熱を持っていれば女性にももてるだろうと思った。
ぼくは、自分で自分を取材しているような気分になった。


 2011/06/13 (月) 議会初日


本日は第54回あわら市議会定例会の初日。6月30日が最終日です。
詳しくは、あわら市ホームページをご参照ください。


 2011/06/12 (日) 缶珈琲を飲みながら


昨日は早朝から深夜まで、さまざまのことのあった一日だったが、とりわけ自分の性格の根底にある嫌らしさを感じた一日だった。
それはプライベートなことなのでこの日記に書くのを省くとして


元金津中学校校長・西川先生から案内状をいただいていたので、昨晩7時に、「荒川洋治講演会」を聞きに三国未来館へ行った。
20数年前にこのひとの三国町での成人式・記念講演の手話通訳をした時から詩集を覗き込むことが時々あったけれども、随筆・「ボクのマンスリー・ショック 」を読んだ時点でこのひとが嫌になりその後遠ざかっていた。


だから、久しぶりに聞いたことになるが(例えばこういうこと)、思ったことは省くとして
司会の女性(今ふうの女子アナといった感じ=はしゃぎすぎ)の「荒川先生の読書量は?」という質問に、「一ヶ月百冊くらいです」と答えた。これだと一日三冊強ということになり、詩評などを書いている時間は全くないのではないか。所詮我々凡人には理解できないことだ、とぼくは思った。



友人Nさんが持ってきたチラシ
500エンかかるけど多数御参加ください。


 2011/06/11 (土) もう週末か


鴨長明は住まいを方丈としたが、それはやはり住まいだから可能だった。3.7帖のプレファブを仮設事務所として使い始めて一ヶ月が経過したが、接客できない。


昨日など千客万来で、仕方なく野外接客となってしまった。晴れていればそれも構わないが、雨の日の野外接客は不可能だ。


そこで
きょうは、模様替え工事に挑む。不可能という文字は私の辞書には無いのだ。というより、辞書自体が無い。
      ↓
      ↓
そういう訳で、きょうは早朝から工夫しつつ模様替えにいそしみ午前9時半に終了。来訪者4人の受け入れが可能となった。マヒのある体で重いものを運ぶのは大変だったが、済んでみると足腰の痛みが心地よい。




閑話休題
昨日の午後、返本のため金津図書館へ行った。二階が図書館という珍しい存在なのだ。本を小脇に抱えながら階段を上がる足元がおぼつかない。
「本を持ちましょうか」という声がうしろからかかった。
「牧田さんのしんどい体・しんどい気持がよくわかります。だって私も脳梗塞を患いましたから・・」と言われた。


同じ体験をしたひとと話をしていると、気持ちがほぐれてくる。


自宅に帰ってからぼくは考えた。
ぼくは元気ではない。しかし病気でもない。元気と病気という二元論は既にぼくにはなじまない。ベルリンの壁も壊れてしまったことだし、両者のあいだに壁を屹立させてはいけない。元気のなかに病気を感じ、病気のなかに元気を感じることがこれからの生き方の指針となりそうだ。


 2011/06/10 (金) 物々交換掲示板


先日、友人Tさんから、「牧田さんのブログに「物々交換掲示板」をつくったらどやろか」との相談を受けた。


考えてみると
15年間使っていた「プレファブ事務所」の譲渡をこのブログで申し出たことによってそれが可能となった(交換用品は芋焼酎一本だ)。


お袋が「臼と杵、誰かもらってくんなるひとえんかの(注:臼と杵、誰かもらってくださる方、いないだろうか=福井弁)と言うので、このブログにその旨を載せたところ、早速細呂木方面からとりにきた男がいた。


昨日、「うーん、どういうスタイルの掲示板にしようか・・」と思案しながらあわら市庁舎内を歩いていたら、美形の女子職員に呼び止められた。
カウンター越しに話をしていた時、もうひとりの美形女子職員が加わった(ぼくと話したかったのだろう)。
「まあ!牧田さん、臼と杵なら、保育園が欲しかったのに!」と言う。


このブログをUPしたら、旭区の初老男性から「臼と杵はわしが欲しかったのに!」という携帯コールがあった。


ぼくは「物々交換掲示板」をつくることにした。
規約
①管理者は私です。


①譲りたい(交換したい)ものの説明文(含デジカメ写真)、及びペンネーム(含連絡先・電話番号)を表紙のメールから送ってください。


①日本国内で使用流通が禁止されている物品(例えばシャブ例えばヘロイン例えば爆発物例えば原爆製造機密書類)は掲載できません。
(理由:このブログを毎日見ている警察官がいる)。
午前5時。ぼくは「モンステラ」に水遣りをしている。



この観葉植物をもってきてくださったかたのことを想いながら・・。


 2011/06/09 (木) 化学物質過敏症


昨日の午前中、ぼくは化学物質過敏症のひとと会って話を聞いていた。
化学物質過敏症とは極めて微量の化学物質にもカラダが反応してしまう難病で、同じ悩みを語り合える過敏症者は福井県内にひとりだけとのこと。
話を聞いていて思ったことは大きく分けてふたつある。


ひとつ
我々の社会のインフラがいかに沢山の化学物質を内包しているかということであり、かつぼく自身が毒素的存在であるということ。
ひとつ
見た目には普通と変わらないことが、世のひとから偏見を受けやすいということ。


ブラックジャックでもない自分にとってこういうひととの連帯がどうやったら可能なのか、考えさせられた時間だった。


参考・いのちの林檎


 2011/06/08 (水) 深夜に


一昨日の主治医による助言が功を奏したのか、少しだけ前向きな気分になって、昨日はあわら市内のあちこちを車で行ったり来たり。


午後の定例会議を終えて伊井地区に行き、盟友から会社経営の諸々を聞いていた時に携帯電話が鳴って、「後日、議会報告をしてほしい」と言われた。気分がさらに高揚した。


隠れ事務所に戻ってCADにいそしんでいるうち、柱時計が5時を打ったので帰宅。はやばやと夕食をとり布団にもぐりこんだ。
夜伽のお相手は清水義範著・「幕末裏返史」で、徳川幕府が政治権力を天皇に奉還するまでの秘話(虚実ないまぜの気もするが・・)をつづったものだが、国難の時に我々が学ばなければならないものはエポック時の歴史であると、つくづく思う。


今朝は2時に目が覚めた。
野外椅子に座ってぼんやりしていたら、野良猫が産まれたばかりの子猫をくわえながら目の前を平然と歩いていく。午前2時の暗闇の世界でも小動物たちは動き回っているのだ。


 2011/06/07 (火) きょうは定例会議 


昨日の午後、ぼくは3年前に脳内出血で倒れた時の主治医・K先生と会った。倒れてからものごとに対する感じ方が明らかに変わってきており、それが脳神経学的に見て異常性を有するものなのかどうかの相談だ。


鬱という言葉を時折入れ込みながらたどたどしく現在の心境をしゃべたあとの主治医のコメントは「牧田さんは自己分析をなさりながらしゃべるから大丈夫です。抗鬱剤を飲む必要はありません」だった。


実はそういう答えを期待して会ったのであり、相談というものはえてして予定調和的なもので、西洋医学のベテランはそのことを熟知しているのだろうとぼくは思った。


先週は、東洋医学系のひとたちといろいろ相談して、骨や筋肉繊維のしくみを聞いたので、洋の東西を往還したことになる。
これからも時間の許す限りリハビリに励んでいこうと思うが、でも一番のリハビリは夕食時のコップ一杯あるいは二杯のお湯割り焼酎だ。脳がマヒしてアタマになにも浮かんでこない。曹洞禅が言うところの「無心」だ。
「無心」になるための修行はなにもいらない。アルコールを友とすることで「無心」の境地を会得できる。

「フォト日記」
敷地の表層地盤改良工事が始まった。



震災などの折、地盤の液状化を防ぐ意味でも地盤を一定以上の強度として、瑕疵担保責任を保証させることは確かに必要だ。
しかし、とぼくは思う。
絶え間のない戦争・内乱・殺戮を繰り返す愚かな人間社会が悠久であるはずはなく、いずれ人間が消滅したのちの地球は原生林の貌を顕そうとする。
その時、地下に刻んだ諸々は自然の摂理に対する妨げとなる。

 2011/06/06 (月) 市議会定例会


先日(6月3日)の全員協議会において、第54回あわら市議会定例会(6月13日~30日)の議案書が配布されました。提出議案は次のとおりです。


議案番号  件名 
 議案第42号  専決処分の承認を求めることについて
(平成23年度あわら市産業団地整備事業特別会計補正予算(第1号))  
 議案第43号  平成22年度あわら市一般会計繰越明許費繰越計算書の報告について
 議案第44号  平成22年度あわら市一般会計事故繰越し繰越計算書の報告について
 議案第45号  平成22年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計予算繰越計算書の報告について
 議案第46号  平成23年度あわら市一般会計補正予算(第1号)
 議案第47号  あわら市税条例の一部を改正する条例の制定について

「フォトタイム」
今朝、ぼくは、加賀国を目指した。
写真は那谷寺奥の院・自然智の里=生雲の玄関にたたずむわたし。



標高470mの当該地から、白山連邦や加賀国がパノラマ状に拡がる。
ぼくは白山信仰にもとずく「神は自然なり」の摂理を充分に体感した。


 2011/06/05 (日) 久しぶりの予定なし日曜日

「民報・あわら」がきょうの新聞折込に入っていたので、しばらく眺めていた。


そのあと、藤沢周平原作「武士の一分」をDVDで鑑賞。
ぼくは昔から藤沢周平が好きで、出た本の殆どを読んだ。「海坂藩もの」や「捕物控えもの」を読んだあとは、必ず澄み切った気分になるのがいい。


今回が二度目の鑑賞で、一度目は数年前の市議会関西視察研修から帰りのバスの中だった。観終わったあと、「素晴らしい映画やった。あわら市議会の議員が役者になって同じ映画をつくろうやないか」との声が誰からともなくでた。


瞼を閉じて寝たふりをしていたら
別の誰かが「妻・三村加世役は、女性議員Uさんで決まり。加世を騙して体を奪ってしまう海坂藩悪徳番頭は、〇〇議員が一番適役やろう。主人公・三村新之丞(木村拓也)役は、なんといっても牧田で決まりや」と大きな声で言う。


「確かにあわら市議会で一番の端正顔はぼくかもしれない。しかし、木村拓也ほども端正ではないだろう」とぼくは思った。
人間はおべんちゃらを言われていい気になってはいけない。常に謙虚であることが大切だ。


2011/06/04 (土) 熱々珈琲を飲みながら


昨日の午後1時半に始まった全員協議会は午後6時過ぎに終わったが、暫時休憩の間の雑談は、国会での菅内閣不信任決議案が否決されるまでの管さんvs鳩山さんの裏談合をめぐってのものに話題が終始した。


TVでは被災地のひとたちが不信任決議案の提出それ自体が復興を遅らせるものだとして怒っていたが、巷間伝えられるとおり管内閣の能力欠如が復興をおくらせるものだとするならば、首を挿げ替えることの動きには意味があると思う。


鳩山さんの動きが、(わずかな可能性としてあった)解散総選挙への道筋を防いだと考えるならば意味ある動きだったといえなくもない。


しかし勿論鳩山さんの怒りは収まらない。


阿刀田高がエッセイ・「いびつな贈り物」のなかで、「騙されることはあっても騙したくない。それで生きていけるなら、そのほうがずっといい」と書いている。
庶民の間での騙し騙され嘘つき嘘つかれの関係に対する人生訓としては、これが至言だとぼくは思うが、国会という立法府の世界では認められない。騙された方が悪いという言い方を認めると詐欺の是認になってしまう。


福沢諭吉が、「学問のすすめ」ではなくて「詐欺のすすめ」を世に問うたとするならば、子どもたちを含めた若いひとたちの未来は暗雲だらけだ。


「民主党は裏切る政党」という取り返しのつかない不信感を多くの国民に植えつけてしまった。


 2011/06/03 (金) 小鳥の囀りを聞きながら


本日の朝日新聞2面を見て笑ってしまった。
書いたのは「政治部記者」なのだろうけど、以前は「芸能部記者」だったのではないかと思いつつ大笑いしてしまった。


けど笑ってばかりいられない。原稿書きに精出さなければならない。


 2011/06/02 (木) 無題

昨日の午前中、ぼくはとんぼさんから魯迅論を聞いていた。
魯迅が仙台医専に留学し藤野厳九郎から可愛がられ、それが小説「藤野先生」に結びついたのは有名な話だが、文人・魯迅の形成には関係していない。魯迅が医専二年の時に寄宿舎で見た「中国人がスパイ容疑で惨殺される瞬間を同じ中国人が手を叩いて笑う」幻灯を見て同胞の蒙昧さにショックを受けたことが文人・魯迅形成の起因となったのである。


魯迅はその時点までの中国と決別した。中国的なあらゆるものと決別した。
これは「農村が都市を包囲する」的スローガンを掲げた毛沢東とは対照的だ。だけど、魯迅が過去の中国と決別しようが、毛沢東が「中華人民共和国」をつくりあげようが、中国は5000年の歴史を持つ中華帝国であり続けていると思う。


携帯電話が壊れてしまったのでドコモショップへ行き、一番安い電話を購入した。一番安いモノでもワンセグ機能がついているのには驚いた。来訪客のいない間にワンセグで党首会談・民主党vs自民党を見ているうち、若泉さんを思い出した。ぼくが一番先に知り合った民主党国会議員が若泉さんで都会的なスマートさはないが脂ぎった口調で熱弁をふるうタイプ。
リップサービスの部分もあるのかもしれないが、坂井郡六町(当時)の持つ潜在的な可能性をいつも話していてくれたような気がする。


自民党が菅内閣不信任決議案を提出して、きょうが賛否投票の日となっている。
最末端地方議員の分際でこんなこと言うのは僭越だろうが、投票結果如何に関らず管内閣は辞職してほしい。解散総選挙に走ることは東北地方を干すことになる。そうなったら日本も終わりだ。終わりということがどういうことかはよくわからないが、どこかの国に併呑されるということか。
「フォトタイム」

本日は、地鎮祭がとり行われた。



地鎮祭は厳粛な行為で、読んで字の如く「地を鎮める儀式」だ。
施主としての礼拝を終えたぼくは新しい人間に生まれ変わったような気がした。


余談だが、地鎮祭は大相撲と関係がある。
大相撲は西洋スポーツとは起源を異にする。力士が「四股を踏む」のは地の神の怒りを鎮めるための宗教行為である。
その大相撲の歴史のなかで史上最強の力士は?と聞かれれば、白鳳でもなく大鵬、双葉山でもなく雷電為右衛門そのひととぼくは答える。
江戸中期に浅間山大噴火で被災した雷電少年はその後の活路を江戸相撲に見出した。
身長196cmの腕(かいな)力はすさまじく、カンヌキで相手力士を死に追いやったエピソードは有名だ。初代横綱・谷風も本番で雷電と戦おうとはしなかった。雷電が横綱になれなかったのはお抱え藩・出雲藩の藩主との折り合いが悪かったせいだと言われているが、言葉の本来的な意味での強者はそんなことつまり名誉やなんやかんやとは無縁なのだ。


そういうことを考えながら、某会社に車を走らせ、GF(正確に言えばGFのうちのひとり)と顔を合わせた。
GFから「今朝地鎮祭をしてましたね。礼拝する姿を拝見しましたわ」といわれ、「どこで誰が見ているかわからない。凛としたたたずまいを維持しよう」とぼくは思った。


 2011/06/01 (水) きょうから六月


きょうから六月。


昨日出会ったひとから「最近の牧田のブログは酒飲む話ばっかりやなあ」と言われてぼくは反論できなかった。


タイトルが「議員日記」なのだから、議会報告を主軸にした日記としなければならないのは当然だ。ふりかえると、中学校統合・二校存続問題が浮上し二校存続維持が決定するまではこまめにそういうことをやってきた。


だけどそのあとは、興味が「ふるさとの歴史」に移ってしまった。いや、興味というと語弊があるかもしれない。まちづくりの根底には、歴史認識が不可欠だと思うからだ。


ともあれ、きょうからぼくは変わる。
猥雑な自分を隠し、清廉な自分を書いていこうと思う。

ただ今、午後7時。
来訪客たちと現在的な諸問題を語り合っているうちに、この時刻になってしまいました。
疲れた・・
ということで、気分転換の為、今から飲みに出かけます。