昨日の午前中、ぼくはとんぼさんから魯迅論を聞いていた。
魯迅が仙台医専に留学し藤野厳九郎から可愛がられ、それが小説「藤野先生」に結びついたのは有名な話だが、文人・魯迅の形成には関係していない。魯迅が医専二年の時に寄宿舎で見た「中国人がスパイ容疑で惨殺される瞬間を同じ中国人が手を叩いて笑う」幻灯を見て同胞の蒙昧さにショックを受けたことが文人・魯迅形成の起因となったのである。
魯迅はその時点までの中国と決別した。中国的なあらゆるものと決別した。
これは「農村が都市を包囲する」的スローガンを掲げた毛沢東とは対照的だ。だけど、魯迅が過去の中国と決別しようが、毛沢東が「中華人民共和国」をつくりあげようが、中国は5000年の歴史を持つ中華帝国であり続けていると思う。
携帯電話が壊れてしまったのでドコモショップへ行き、一番安い電話を購入した。一番安いモノでもワンセグ機能がついているのには驚いた。来訪客のいない間にワンセグで党首会談・民主党vs自民党を見ているうち、若泉さんを思い出した。ぼくが一番先に知り合った民主党国会議員が若泉さんで都会的なスマートさはないが脂ぎった口調で熱弁をふるうタイプ。
リップサービスの部分もあるのかもしれないが、坂井郡六町(当時)の持つ潜在的な可能性をいつも話していてくれたような気がする。
自民党が菅内閣不信任決議案を提出して、きょうが賛否投票の日となっている。
最末端地方議員の分際でこんなこと言うのは僭越だろうが、投票結果如何に関らず管内閣は辞職してほしい。解散総選挙に走ることは東北地方を干すことになる。そうなったら日本も終わりだ。終わりということがどういうことかはよくわからないが、どこかの国に併呑されるということか。
「フォトタイム」
本日は、地鎮祭がとり行われた。
地鎮祭は厳粛な行為で、読んで字の如く「地を鎮める儀式」だ。
施主としての礼拝を終えたぼくは新しい人間に生まれ変わったような気がした。
余談だが、地鎮祭は大相撲と関係がある。
大相撲は西洋スポーツとは起源を異にする。力士が「四股を踏む」のは地の神の怒りを鎮めるための宗教行為である。
その大相撲の歴史のなかで史上最強の力士は?と聞かれれば、白鳳でもなく大鵬、双葉山でもなく雷電為右衛門そのひととぼくは答える。
江戸中期に浅間山大噴火で被災した雷電少年はその後の活路を江戸相撲に見出した。
身長196cmの腕(かいな)力はすさまじく、カンヌキで相手力士を死に追いやったエピソードは有名だ。初代横綱・谷風も本番で雷電と戦おうとはしなかった。雷電が横綱になれなかったのはお抱え藩・出雲藩の藩主との折り合いが悪かったせいだと言われているが、言葉の本来的な意味での強者はそんなことつまり名誉やなんやかんやとは無縁なのだ。
そういうことを考えながら、某会社に車を走らせ、GF(正確に言えばGFのうちのひとり)と顔を合わせた。
GFから「今朝地鎮祭をしてましたね。礼拝する姿を拝見しましたわ」といわれ、「どこで誰が見ているかわからない。凛としたたたずまいを維持しよう」とぼくは思った。