2013年05月

2013/05/31 (金) 5月最終日

沖永良部島への追憶の旅をインターネットで調べているうち、この文章に出会った。


映画・「青幻記」は、高木陽一監督の作品で、私がこの島の牛小屋2階で生活していた40年前、偶然、ロケを見たのを覚えている。主演の田村高廣が、墓から亡母の頭蓋骨を取り出しサンゴの浜で洗骨しつつ号泣するシーンだった。


その年の冬、福井市内の映画館
でこの映画を観たのだが、亡母がアダンの樹陰から現れてくる幻想的なシーンは忘れられない。




それはともかく
本日の福井新聞3面に高見順のことが載っている。


30年ほど前、私は、高見著「敗戦日記」を読んでいた。「太平洋戦争の最中(さなか)高見が今のえち鉄に乗って、三国在住の生母を訪ねる場面がある。生母が家に不在なので、近くの某寺に所在を聞きに行く。」というシーンを読んでいた。


ところで、「敗戦日記」を読んでいた頃、私はその某寺の庫裏改修の設計中だった。住職に高見のことを尋ねたら、彼は境内の墓所にある高見の墓へ私を案内してくれた。
「あれ! 高見の墓は鎌倉にあるはずなのに・・こちらへ分骨してもらったのですか?」と問うたら、住職は「バカいえ、こちらが鎌倉へ分骨してやったのだ」と答えた。


ということはともかく
本日、やっと念願のチェアが手に入った。アーキテクトにとって製図台(今ではパソコン画面)の前に座るチェアのすわり心地は生命線だ。イメージが泉のように湧きあがるかどうかはすわり心地の良し悪しにかかっている。


以前使っていたアップダウンチェアは、長年の長時間の酷使によって破断し、ここ数ヶ月はハードオフで買った970円の代用品でまかなってきた。しかし本日やっと念願のすぐれものを専門店で買うことができた。しめて9980エン・・ひとは高いと思うかもしれないが、一生ものだと思えば決して高くない。


今、そのチェアにすわりながら、昨晩の来訪者の話・「山口組と私」を思い出している。あしたのブログに書き込もうかなあ.

2013/05/30 (木) 加賀千代女

写経に挑んだが、お経の漢語の意味がよくわからない。「意味がわからないからこそありがたいのだ」という説もあるが、わかってこそ好き嫌いがはっきりする。その意味で日本の仏教徒は、お経和語語り促進同盟をつくるべきだと思う。


ともかく、私は写経を諦めて、写「千代女五百句」に挑戦中。本来は手書きですべきなのだが、私の右手は不自由なので、パソコン・キーボード叩きに頼った。


よく知らないが、和歌や俳句は花鳥風月の世界だろう。今まではこの世界に対する興味イコールゼロだった。(誰も言わないので自分で言うのだが)年齢とともに私の精神が熟してくると、不思議にこの世界に惹きつけられるようになった。
・・というより、人間嫌いになったことの裏返しだ。


ということで、これから始まる旅の空で見た風景、出会った老若男女(特に女)の印象を句にしてしたためよう。

遅まきながら私は自称・俳人となるのであります(俳号は既に決めている)。元禄年間に芭蕉翁が歩いた道をたどりたいのであります。


むざんやな 甲の下の きりぎりす 芭蕉



加賀千代女


屠蘇酒や 又とそまでの 遊びぞめ


鶴のあそび 雲井にかなふ 初日哉


福わらや 塵さへ今朝の うつくしさ


よき事の 眼にもあまるや 花の春


かざらぬは 初音も来よし 庭の竹


仕事なら 暮るゝおしまじ 若なつみ


白い手の 鳥追いもあり 若菜畑


たから船 よい間所に かゝりけり


七草や あまれどたらぬ ものも有


七草や 雪を払へば それでなし


初空や 鳥はよし野の かたへ行


道くさも 数のうちなり 若菜摘


我裾の 鳥も遊ぶや きそはじめ


うつくしい 夢見直すや 花の春


初空に 手にとる富士の 笑ひ哉


鳥一つ ふたつも見るや 初かすみ


七草や 似合ぬものは 蕪かな


七草や 三つ四つふたつ 置所


花よりも 名に近づくや 福寿草


福寿草 まだ手もをけぬ 所より


おしめども 春は留まらで 啼く蛙


とぼし灯の 用意や雛の 台所


永き日を 又つぎのばし 土筆哉


山吹の ほどけかゝるや 水の幅


しずかさは 何の心や 春のそら


吹ふけど 花に欲なし 鳳巾


あしあとは 男なりけり 初桜


浮島を 青う突き出す 柳哉


うぐひすや 又言いなをし いいなをし


鶯や 水音のんで 言はじめ


まつかぜの 小声になるや 藤の花


若くさや 帰り路はその 花にまつ


梅が香や 鳥は寝させて よもすがら


ふたつみつ 夜に入りそうな 雲雀哉


うつむいた 所が台や すみれ草「吉崎紀行」


おのづから 手も地につくや 糸ざくら「吉崎紀行」


隠すべき 事もぱれ也 雉の声


かさとりの 山や笑ひも もどかしき「吉崎紀行」


かほる風 おくにひかへて 松の花「吉崎紀行」


汐越しの 松や小蝶は 中もどり「吉崎紀行」


四季色々 殊更春の うへ木茶屋「吉崎紀行」


ながき日も 眼に暮るゝ也 竹のうら「吉崎紀行」


水鏡 見るそだちない 蜆取「吉崎紀行」


女子どし 押してのぼるや 山ざくら


朧夜や 見届けたもの 梅ばかり


手折らるる 花から見ては 柳かな


見てもどる 人には逢はず 初桜


もえしさる 草なになにぞ 春の雨


青柳は 何所に植ても 静かなり


あがりては 下を見て鳴く ひばりかな


明けぼのの さくらに成りて 朝日かな


海士の子に 習はせて置 汐干哉


淡ゆきや 幾筋きえて もとの道


言さして 見直す人や 朧月


鶯は ともあれここの 初音かな


うぐひすや 冬其儘の 竹もあり


梅が香や 朝ゝ氷る 花の陰


梅が香や 尋ねるほどの 枝にさへ


梅が香や 戸の開音は おぼえねど


梅咲や 何が降ても 春ははる   


朧夜や うたはぬ歌に 行過し


隠れ家も 色に出にけり 桃の花


駆出る 駒も足嗅ぐ すみれ哉


影は滝 空は花なり いとざくら


きじ啼くや土いろゝの 草となる


声たてぬ 時かわかれぞ 猫の恋


このころの 田にもこぼるゝ かはづかな


転びても 笑ふてばかり ひ々な哉


囀りを 世にや譲りて 松の琴


咲事に 日を選ばずや 梅の花


里の子の 肌まだ白し もゝの花


下萌えや 水仙ひとり 立ちしざり


それほどに かはかぬ道や もゝのはな


手折らるゝ 人に薫るや 梅花


短冊は 風をあつかふ さくら哉


蝶々や 裾から戻る 位山


蝶々や 何を夢見て 羽づかひ


蝶々や をなごの道の 跡や先


散事を 待つとはおかし 餅の花


どち見むと 花に狂ふや よしの山


ながれては 又根にかへる 柳かな


ぬるみはやし 町のかた野の 水くるま


花もりや 人の嵐は 昼ばかり


春雨や うつくしうなる 物ばかり


春雨や 土の笑ひも 野に余り


昼の夢 ひとりたのしむ 柳哉


拾ふもの みな動く也 塩干潟


広瀬にも 穴のあくほど 桜狩


ふみ分て 雪にまよふや 猫の恋


道くさに 蝶も寝させぬ 花見哉


結ふと 解ふと風の やなぎかな


もゝさくや 名は何とやら いふ所


鑓もちや雛のかほも恋しらず


若くさや 尾の顕るゝ 雉の声


をしなべて 声なき蝶も 法の場


おされ合ふて ものの根を根に 春の草


何やらの 時見置たる 根芹かな


春風も ゆだんはならず 鹿の角


春風や いろゝの香を そゝのかし


山陰や 忘れた比の すみれ草


朝夕に 雫のふとる 桜かな


東路の 花はしづかに さかりかな


うぐひすは 言そこなひが 初音かな


梅さくや 寒いゝが 癖になり


おそろしや 高い所に 啼く雲雀


朧夜や 言葉のあまる わたし守


きじの音に あちら向たは なかりけり


きのふけふの 雨にも下りぬ 雲雀哉


誰からも 見てわするゝや 松の華


蝶ほどの 笠になるまで したひけり


つくつくし こゝらに寺の 跡もあり


出そこなふた 顔してひとつ 蛙かな


二三里は 二度も来る日や 桃の花


庭に出て 空は見やらず 春の雨


春雨や みなぬらしたき 物の色


はる雨や もとより京は 京の土


春降し 雪にて雪は 消えにけり


踏むほどの 所にものや はるの雨


松ばかり 松とこたへて 朧月


むさし野は 霞のうちの 霞かな


むめが香や 後のそしりも けふの風

2013/05/29 (水) きょうもCAD

芭蕉が越前に入った旧暦8月10日は、新暦では9月10日過ぎになる。9月上旬といえば秋風の立ち始めた頃である。先に山中で曾良と分かれた芭蕉は、金沢からついてきた立花北枝と共にこの日大聖寺をたって吉崎に着いた。蓑笠庵高橋梨一はここのところを次のように書いている。


「吉崎の入江、吉崎の御堂とて一向宗東西の道場あり。蓮如上人の旧跡にて南の山を蓮如山といふ。吉崎の西は入江にて、南を蓮が浦といふ。江の内に加島あり、此の辺佳景の地なり。此の江を西へ渡りて浜坂村にいたる。汐超村を越えて高き丘あり。上平らかにして広く、古松多し。其下は外海のあら磯にて、岩の間間にも亦松樹あり。枝葉愛すべし。」
                   「金津のいしぶみ」より
この薄い冊子には、既に逝った何人かの知人も紹介されているので、ついつい何度も読み返してしまう。


金庫のことを冗談で書いたら、複数の電話があったので、デリートしました。

きょう、金津図書館へ本の返品に行ったら、「返品については、芦原図書館へ行ってください」という貼り紙がしてあった。仕方なく芦原図書館へ行ったのだが、係員が「議員さん、議員さん」と言う。


一瞬、「議会が終了したのだから、既に俺は議員ではないはずだ」と思ったのだが、よく考えたら「俺は6月いっぱいまで議員報酬をもらうのだから、今はまだ議員のまま」であることに気がついた。


いずれにしろ俺には先祖伝来の「牧田」という名前があるのだから、それ以外の呼称は気持ち悪い。その気持ち悪さを15年間感じ続けてきたのだが、あと一ヶ月で開放される。

2013/05/28 (火) 薔薇が咲いた薔薇が咲いた

昨日の午前9時半から広報編集特別委員会が開かれた。広報編集特別委員会はあわら市内全世帯に配布される「議会だより」(年4回発行)を作製する為の委員会で、編集としては今任期の委員、しかし、配布される時は新しい組織の委員の手となる。


さて薔薇がいっせいに花開き始めた





「美しいものには棘がある」とはよくいったもので、この薔薇の枝にも無数の棘がありなおかつ薔薇の葉に隠れて蜂が巣作り中。


たのしみは 朝おきいでて 昨日まで
         無かりし花の 咲ける見る時   橘曙
   


しかし、咲く花もあれば散る花もある。
新聞記事で見た「2万人の死と2万1人の死がどれだけ違うかを描けるのが文学。個人の死と震災での2万人の死を重ね合わせることで、息子の死も含めて一人一人の死をただの数字からすくい上げたかった」という、ある人のコメントが頭にこびりついて離れない。

2013/05/27 (月) 今朝の感動

今朝起床しオープンカフェに出ると、水遣りを怠らず丹精込めて育てた薔薇の花
が一輪咲いている。私にはとても感動的で、感動は小さなことにあるのだと思った。





目を転じるとサギ草



昨日、とんぼさんからいただいたものだ。花が咲くのが待ち遠しい。


「黙して語らず」の植物たちの世界。私はこの世界と共生しようと思います。

2013/05/26 (日) 昨日の続き

「橘曙記念文学館」は足羽山の上り口にあった。





中へ入った(入場料100エン)が、私以外に来館者はいない。仕方なく係員女性に語りかけた。「もしもしお嬢さん、私は『あわら市議会のキムタク』と呼ばれている男です」と自己紹介をした。話の軸は「福井市語り部の会」に移行したが、未婚の女性と話しするなんて何年ぶりだったろう。






橘曙と松平春嶽の交友は有名だ。曙が亡くなった時、春嶽が詠んだ歌を展示コーナーで初めて見た。


敷島の 道のしるべは 絶えにけり
        今より何を たづきにはせむ



春嶽はよほど曙が好きだったのだろう。

2013/05/25 (土) 妄想日記初日

今朝4時半に起きると、ソファにひとりの中年紳士が寝ている。
起こし、酔い覚ましの珈琲を出して「このブログのタイトルをどう変えたらいいのかなあ?」と問うたら、「貴方はいつも妄想ばかりしゃべっているから、『妄想日記』がいいのではないか」という答えが返ってきた。


妄想日記・・なかなかいい。
小説家・三木卓は、「人はおそらく人生の大部分を妄想に費やして生きているはずである。妄想こそ意識だというべきだし生活だといっていい。ただ人は恥ずかしがって口を噤んでいるだけだ。」と「馭者の秋」のなかで書いている。
                      

昨日で議会定例会が終わり、任期は6月いっぱいなのだけれども、気分的にはもう議員生活から決別し妄想的心の旅を開始しているのだから、このタイトルが最適だと思う。


ところで昨晩の来訪者は5人。料理名人・Hさんのつくった大皿の中身に舌鼓を打ちながらの話題のひとつが長持歌についてとなった。
僕は「長持歌の歴史」に関する熱心な討議を聴きながらビールと焼酎を飲み続けているうちいつのまにか泥酔。朝目覚めたら、中年紳士ひとりを除いて誰もいなかった。宴(うたげ)の場提供者の私としては、彼ら彼女らが無事に帰宅できたのだろうか、ストーカーに襲われなかったのだろうか、ということがどうしても気になる。


ということはさておき
実は昨日の朝、長持歌資料を持ってHさんと共にあわら市教育委員会へ行ったのだが、「市教育委員会としては対処できません」が回答だった。Hさんは、来週早々NHK福井か福井市教育委員会に持っていくそうだ(そちらは対処したがっているとのこと)。そうなれば、あちら側から新聞報道されるかもしれない。


あわら市の財産になると思っていた僕は、いささか残念。
ということはともかく
今朝は、福井国際交流会館へ。Fトップ主催の森田実氏講演・「これからの政局について」があった為である。森田氏の講演は今までに何度も聴いているが、今回の講演が一番興味深かった。





氏は、メデイアが流そうとしない阿部政権に対するオバマ政権の冷遇ぶりなどの舞台裏を話したが、氏自身が郵政選挙の際は橋本政権を痛烈に批判してテレビ界から干された経験を持っているので、話には真実味があふれていた。


氏は、(憲法9条擁護の観点から)ポツダム宣言受諾後の現憲法の成立過程について話した。現憲法は戦勝国アメリカの外圧による産物ではなく、例えば南原繁や丸山真男が憲法草案に関わっていた事実を挙げた。浅学非才の私は知らなかったことである。
氏は現在の天皇制について、源頼朝が鎌倉政権を築いた時から、建武の中興・徳川家康の政権奪取そして薩長による明治憲法の成立を語った。


氏の話を拝聴しながら「うーん、議員の頭に必要なのは歴史意識だ。それがあってこそ初めて選民という呼称に値するのだ」と思った私は、講演のあと、ひとり「橘暁曙記念文学記念館」に向かった。

2013/05/24 (金) 本日は議会最終日

昨日は久しぶりに数人が中島道子さんを囲んでの昼食会。





中島さんは85歳という年齢にも関わらず記憶力抜群で、「さすがもの書きの頭は違うなあ」と思ったが、それよりも昼食会に初めてきたSくんの、多賀谷左近三経についての話が面白く、「人生はセミリタイアしてからなのか」とも思った次第。


僕は福井市の建築指導課とアポイントをとっていたので、途中に昼食会を抜け出して福井市役所へ。頼まれていた建築確認申請がやっと決裁になった。7年前に発覚した姉歯事件のあと、行政の設計事務所に対する指導がとても厳しくなったようだ。「なったようだ」という言い方は変なのだが、この間(かん)僕もいろいろなことがあって、経過がよくわからなかった。

2013/05/23 (木) 文字あきを変えてみた

昨日は今年最高の気温で、もう夏なのだと僕は思ったが、夏といえば思い出すのがこの歌だ。


春過ぎて 夏来にけらし白妙の 
        衣干すてふ 天の香具山
  持統天皇


確かまだ議員になっていなかった十数年前、旧金津町の保育所の先生数人及び男性数人とともに大型の車で奈良へ行ったことがある(その先生方も当時は初々しくきれいだった)。僕は運転せず、もっぱら持参のウイスキーを飲み続けあられを食べ続けしゃべり続けていたが、この山を眼にした時、古代の舞台に立ったような気持ちになった。そういう時、ひとは沈黙の世界に入るのである。
持統天皇は香具山を上のように歌い、それは百人一首2番に収録されている。


しかしこの歌には異説があって、それは「衣干すてふ」ではなく「衣干したり」だったのを家持か誰かが筆入れをしたというものである。


思うに筆入れされた「衣干すてふ」の方に僕は魅力を感じる。
「衣干したり」ならば、眼前の光景を歌ったものに過ぎないが、「衣干すてふ」となると伝聞の世界、歴史追憶の世界、バーブラ・ストライザンドの世界に鮮やかに豹変する。


この頃の僕は、雑誌でも新聞でも「歴史」の二文字が眼に入ったら、そこから読み始める。女性の次に好きなのが「歴史」だと言っても過言ではなくなってきた。
ということはさておき
あしたは議会最終日です。このブログをごらんのみなさん、長い間、ありがとうございました。
タイトル「議員日記」は近々「旅日記」に変更されると思います。

2013/05/22 (水) 本日は厚生経済常任委員会

昨日は総務文教常任委員会を傍聴。本来だったらこなさなければならない物件が他に二件あったのでとてもあわただしい日となってしまった。年金生活者を目前にしてのこのあわただしさを不幸というべきか幸福というべきか。

2013/05/21 (火) 昨日は議会初日

昨日が議会初日、24日が議会最終日の予定です。
ということで、昨日上程された議案は
 議案第40号  専決処分の承認を求めることについて
(平成24年度あわら市一般会計補正予算(第10号)) 
 議案第41号  専決処分の承認を求めることについて
(あわら市税条例の一部を改正する条例の制定について) 
 議案第42号   専決処分の承認を求めることについて
(あわら市国民健康保険税条例の一部を改正する条例の制定について)
 議案第43号  平成24年度あわら市公共下水道事業会計予算繰越計算書の報告について 
 議案第44号  平成24年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計予算繰越計算書 の報告について
 議案第45号   平成25年度あわら市一般会計補正予算(第1号)
 議案第46号  平成25年度あわら市水道事業会計補正予算(第1号) 
 議案第47号   あわら市一般職の職員等の給与の臨時特例に関する条例の制定について
 議案第48号   あわら市郷土歴史資料館条例の制定について
 議案第49号   あわら市民文化研修センター条例の一部を改正する条例の制定について
 議案第50号   あわら市図書館条例の一部を改正する条例の制定について
 議案第51号   人権擁護委員の候補者の推薦について
 請願第 4号   年金2.5%の削減中止を求める請願

そのあとは一般質問で、それが終了したあとは、広報編集特別委員会。
委員はみんな忙しそうで、今回の編集作業には僕の出番が多いような気がした。

2013/05/19 (日) きょうはトリムマラソン

昨日の午後5時、僕は福井パレスホテルにいた。柔道整復師会懇親会の会場だ。来賓挨拶に立った東村福井市長が「北朝鮮が短距離ミサイルを今朝2発、午後に1発日本海に向けて発射した」と言った。
同じテーブルの各市市議諸氏に、「今までのお付き合いありがとうございました。老兵は消え去るのみでございます」との口上を述べ深々と頭を下げて会場をあとにした。

帰宅し「困ったもんや。北朝鮮がミサイルを3発ぶっ放したらしい」と妻に言うと、「みんなが一緒に死ねるならそれもいいじゃないの」という答えが返ってきた。
去年亡くなった丸谷才一が書いた何かのエッセーのなかの「死が怖いのは、暗闇の世界へひとり引きずり込まれていくからであって、核戦争で人類が瞬時に消滅するのならば、ある意味幸福な死というべきかもしれない」という言葉を思い出した。
本日はトリムマラソン


ゲストは谷川真理。14年前にもゲストとして来ているが、あの時のはちきれるような肢体は若さに支えられていた。
マラソン開会式会場はいかにも健常者の祭典といった雰囲気で、私のようなよたよた歩きのおじさんがいては、皆さんに申し訳ないと思い、そそくさと会場をあとにした。

「俺の友人は動植物だけなのだ」と思いながら帰宅しオープンカフェに出てみると、びっくりするような光景が待っていた。


丹精込めて育てているバラの枝に、蜂が巣作り中なのだ。眼前に座った私の存在を全く意に介せず一心不乱。
僕は、「頑張れよ、僕も応援する」と、心でつぶやいた。

 2013/05/18 (土) 思い出の沖永良部

来月からしばらくの間自由の身となる僕にとって、「沖永良部島紀行」をいつするのかが、重要なテーマとなってきた。

42年前私が一番美しかった時、サンゴ礁にあこがれてたどり着いたのがこの島で、ギター片手の船旅の途中に知り合った平(たいら)さん夫婦のお世話で、島の北端・国頭(くにがみ)にある平さん所有の牛小屋の2階にひとり住み着いた。

孤独な瞑想の日々を続けるうち、若い何人かのひとが共同生活者となった。
恋に破れて逃避行の途中という名古屋の男、サッカーのワールドカップ観戦のために医学部院を一年間休学中だという男、自称詩人で考古学研究中の学生、北海道のムツゴロウさんのところでコンブ漁をしていたアベックとかだった。
北陸の片田舎育ちで極め付きの常識人の私には、みながヘンなひとにうつった。

毎晩のように、土地の漁師たちと蛸をサカナに焼酎を飲んで語り合った。酔うと裸になって「えらぶ百合の花」を歌ったものだ。飲む場所は海岸線でその浜の砂はサンゴのかけらでできていた。それを土地のひとは星砂(せいしゃ)と呼んでいた。

沖永良部から帰ってきたら、このブログに紀行を書きます。

 2013/05/17 (金) もう週末か



大田昌秀著「これが沖縄戦だ」を読み終えた。
’45年、沖縄に上陸した米軍と日本軍との間での戦闘で十数万の沖縄民間人が、火炎放射器で焼かれ餓死し海辺の崖っぷちからの飛び込み自殺を余儀なくされ、8月15日の敗戦を迎える。その死体写真がこれでもかという程に写っているのがこの本で、改めて’72年の沖縄返還の意味を問い直さなければならないと、僕はオープンカフェのチェアに座りながら思った。

そこへ現れたひとがこういうペーパーを携えていた。
長持唄も年々忘れられていくもののひとつだと思うと、誰かがリサーチしなければならないのではないだろうか。

 2013/05/16 (木) 昨日の一日

昨日の午前中は福井市建築指導課にて長時間の討ち合わせ。帰途、DVDレンタルショップに立ち寄り「八つ墓村」を借りる。再鑑賞となるのだが、この頃は怖い映画だけが好きになってきた。

午後は、議会活性化特別委員会が開かれ、終了後に「最後の委員会だったので、市議選が終わってからご苦労さん会をやろうか」という声が出た。しかし、その頃の僕は風となって(つまり旅の人となって)いる可能性があるので、残念だが出席できないかもしれない。
ということはともかく
5月も中旬となり、昨日は主治医のもとを訪れ、なんやかんやを相談した。
血圧は127-78で極めて良好、ただし鬱の気ありということで、数週間前に市庁舎で計った血圧測定値の195と比較すると雲泥の差だったが、だからといって節酒や節煙に努めたわけでもなく、思うに体の欲するままに自然体で動いていることがよかったのかもしれない。

ところで、まだ6月に入ったわけでもないのだけれども、僕の気分は既に新生活を開始した。そうなる理由のひとつは、議会で登庁しても6月に立候補する現職議員の胸中にあるものが選挙運動であることが(口に出しても出さなくても)よくわかるからで、その分だけ僕は別の道を模索することになる。
ということはともかく
昨晩、僕は妻と喧嘩をしてしまった。僕のことを「おおらかな人間」と言う人がいるけれどもそれは違う。配偶者どおしの関係という観点では保守的であって、それを直そうと思っても直せない。僕の言葉は粘着質になり、妻の論理的な応酬に対して、ただ黙するしかなくなる。自分が外面(そとづら)だけの人間であることに対して嫌悪感が湧き上がってくる。いつものパターンだ。

午前1時。白ワイン・ロマネコンテイ1935を持ってオープンカフェに出る。喉下を通る白ワインは、愛・憎しみを彷彿とさせる。夜空に、宮沢賢治の顔が浮かび上がってきた。

 2013/05/15 (水) 無題

何人かの人から「6月以降もブログを続けてほしい」と言われ、とまどっている。

そもそも僕がこのブログを書き始めたのは、金津町議に当選した十数年前、町議選時のウグイス嬢の旦那さんから、「議員にはブログで議会報告をする義務がある」と言われたのがきっかけだったし、生真面目な僕は生真面目に議会の内容を書き連ねていたのだが、半年もすると、「生真面目なのは面白くない。自己宣伝はくだらない。何でもいいからもっと柔らかく書けないか」とのお叱りを受け、もともとがかたい僕の頭で柔らかいことが書けるのだろうかとの心配を持ちつつ、当時読んでいた椎名誠の「身近で体験して思ったことだけを書く」というエッセーに対するスタンスに共感し、「よし俺も半径2km以内で見たこと聞いたこと触れたことだけのなかで印象に残ったことを書こう」と思い直したのを覚えている。

その後そういう気持ちで無責任に書いてきたのだが、初めのように「議会報告」のかたちをとり続けていたら、精神的圧力で頬はげっそりこけ歯茎は根元からやせ細り髪はおおかた抜け、数年間でブログを辞めていたと思う。

好きに書いているうち、「顔のわからない読者の思いを忖度することなく、自分自身だけに語りかけているのだ」というふうに気分が変わってきた。特にこの数年間で、(個人的なことからであるが)心にぽっかり穴が開きよりよいあしたに対する意欲を失い、現世よりも死後の世界に心が惹きつけられるようになり、さりとて現世にも未練があるという心的状態となり・・・ウウーン何を言っているのかわからなくなってきた。

 2013/05/14 (火) 昨日の全員協議会
 
昨日は全員協議会が開かれ、議案の説明を受けた。

第65回あわら市議会定例会提出議案は次の通りです。

 議案番号  件名
議案第40号   専決処分の承認を求めることについて
(平成24年度あわら市委員会一般会計補正予算(第10号))
 議案第41号  専決処分の承認を求めることについて
(あわら市税条例の一部を改正する条例の制定について)
 議案第42号  専決処分の承認を求めることについて
(あわら市国民健康保険税条例の一部を改正する条例の制定について)
 議案第43号  平成24年度あわら市公共下水道事業会計予算繰越計算書の報告について
 議案第44号   平成24年度芦原温泉上水道財産区水道事業会計予算繰越計算書の報告について
 議案第45号  平成25年度あわら市一般会計補正予算(第1号)
 議案第46号  平成25年度水道事業会計補正予算(第1号)
 議案第47号  あわら市一般職の職員等の給与の臨時特例に関する条例の制定について
 議案第48号  あわら市郷土資料館条例の制定について 
 議案第49号  あわら市民文化研修センター条例の一部を改正する条例の制定について
 議案第50号  あわら市図書館条例の一部を改正する条例の制定について
 議案第51号  人権擁護委員の候補者の推薦について

ということはともかく
今朝は2時半に起きて、DVD「霧の旗」(松本清張原作)を見る。’65年制作の映画だから主演の倍賞智恵子は当然若い。かたくて陰影がある。寅さんシリーズで見せる倍賞とは全然違うのだ。歌も上手いし才女なんだろうなあ。


僕は高校生の頃、「さよならはダンスのあとで」をいつも一人で歌っていた。つまり倍賞ミーハーだった。


もう一人印象的だったのが清村耕次で、この俳優は50年ほど前、NHKテレビの「事件記者」にアラさんとして出ていた。映画では大岡昇平原作の「野火」に敗走する帝国陸軍兵士の役で出演し、飢餓状態で洞窟のなかに隠れ、死んだ同僚兵士の肉を食らうシーンでのくぐもった表情が忘れられない。
清村は40歳の時、首吊り自殺であの世へ行く。  合掌

 2013/05/13 (月) 新しい週の始まり

数年前に逝った親父の遺品のひとつに「吾等かく戦えり・比島に於ける垣兵団」(426頁)がある。



生涯学習館への引越し準備の為に図書館が利用できないので、このところ僕は繰り返しこの本を読んでいる。


フィリピンは太平洋戦争時に日本軍が玉砕した島国で、かろうじて帰国できた元兵士たちが戦時体験を綴ったのがこの手記集だが、僕はこの手記集を読んで、何故親父が戦争体験を子ども(僕や妹)に話さなかったのか、ちょっとわかったような気がした。腐乱しあるいは白骨化した友軍兵士のあいだを逃げ回るうちに心が幽鬼になるという極限の体験は、どのように言葉を労しても語りつくせないものであったはずで、帰国してからの彼の人生は散華した戦場の友への鎮魂の人生であり、変な言い方だが、しゃべらないことが鎮魂の深さを物語っていたのではないだろうかと思う。

 2013/05/12 (日) 

昨晩は、中央公民館において「ふるさと語ろう会・年次総会」が開かれ、事務局から本年度の活動方針が提案された。


会員は仕事現役人間or仕事リタイア人間と様々だが、特徴は年寄りが多く、殆どが男性でかつ一家言持つひとばかりで、一番若く一番の常識人である私が会長の責務を担っているのは心苦しいと言えば心苦しいのだが、あまり深く考えずに楽しんでやっていきたい、と思う。

新しい入会希望者が二人現れたのも嬉しいことだった。
本年度は八回の事業案が上程されたが、いずれも軽い気持ちで参加できるものなので、入会希望者は、私の事務所(℡73-0863)へご連絡ください。

 2013/05/11 (土) 


蛍の季節が近づいている。
小説家・宮本輝の「川三部作」のひとつが「蛍川」で、そのラストシーンが忘れられない。山あいで主人公が蛍群と出くわすのだが、蛍の乱舞が幻想的で美しい。乱舞を滝のように形容している。もうすぐ消えていく命が必死に生きていたことを証明しようとしている・・と、私は感じた。

金津にも蛍の名所は幾つかあり、私は少なくともそのうちの3ヶ所を知っている。それらの場所に車で行ってライトをパッシングすると、蛍の群れがやってくるのだ。去年行けなかったので、今年は是非とも行きたい。

ところで、最近の卒業式では、何故「蛍の光」が歌われなくなってしまったのだろう。メロデイを大事にして欲しいのは勿論のこととして、あの歌は循環経済推進の歌だと思う。蛍の光だけで読書はできないかもしれないが、要は姿勢の問題だ。

 2013/05/10 (金) 奥越にて

昨日の朝、四人の男達(四人のなかで私が群を抜いて若い)が、大野市にある「笛資料館」へ向かった。


1159年、平治の乱に敗れた源義平は大野の穴馬を訪れ、村長(むらおさ)・朝日助左エ衛門に温かくかくまわれた。助左エ衛門の娘「おみつ」が身のまわりの世話をするうち、ふたりは相思相愛となりやがて「おみつ」は義平の子を宿したのである。そうこうするうち義平の父・源義朝が討たれたことを知りあだ討ちのために京へ向かうこととなる。その際「おみつ」に記念として手渡したのが義平愛用の「青葉の笛」で、現在も朝日家が保存管理している。

ということを朝日家当主の奥さんからうかがったのだが義平は源頼朝の異母兄弟になるのだからこれは一種の貴種流離譚だ。貴種は旅の空でお手つき女性をつくるのである。

私を貴種と噂する人もいるが、私は貴種流離譚をつくらない。現在の世には貴種も卑種も雑種もへちまもないのである。

 2013/05/09 (木) 加賀の海にてしばし憩う私

加賀の海にてしばし憩う私


昨日、「市議選立候補説明会には19組が集まった」という携帯連絡がありました。
これで投票選になることが確定。いいことです。


昨晩は、「原発を考えるあわら市民の会」の打合わせで5人が事務所に集まり9時に終了。諸氏が帰ったあとにテレビをつけたら「プロ野球・阪神巨人戦」の実況中継だ。

僕がアンチ巨人である理由のひとつは、12球団のなかで巨人だけが巨人軍と呼ばれることに起因する。プロ野球は娯楽であって軍隊組織ではないのに・・と思ってしまうのだ。

ということはともかくとして画面は延長戦。延長12回表・阪神の攻撃で、ランナーを一塁においてピンチヒッターの桧山が右翼に二塁打を放ち、ランナー(田上だったかな?)は一挙生還し勝ち越した。これで愛する阪神は巨人戦3連勝だ。弱いと言われる阪神もやる時にはやる。

 2013/05/08 (水) 市議選告示まであと一ヶ月

昨日の来訪者議員によると、本日8日は市庁舎において市議選立候補説明会が開かれるそうで、「そういやあそんなのがあったなあ」と昔を思い出したが、いずれにしろ自分にはもう関係のないことで、とりあえず、「誰がいい人なのかはわからないけれども、立候補なさる皆さんはそれぞれに頑張ってください」とこのブログで申し上げます。

そんなことよりも、二日前に国道8号線で白バイに捕まったことが悔やまれる。
「交差点内運転注意義務違反」で点数は1点減点、罰金は4千円。私は直進してくる車に対して充分注意しながら右折したつもりだが、白バイには「もっと慎重に右折しなければなりません」と言われた。
交通法規の遵守は人命に関わるので当然のことであり、何年前だったか、連続6回シートベルト着用違反で免停になってからはすっかり心を入れ替え、ひたすらゴールドカードを目指しつつ運転してきた私にとっては、ちょっと残念。

 2013/05/07 (火) きょう一日を頑張ろう

ただ今午前5時。
 

しらみみ始めた東の空は僕を励ましているようだ。きょう一日を頑張ろう。

あたりを見回すと、昨晩に洗った普段着ズボンが目に入った。


洗濯機に頼らず手で洗った衣類には、特別な香りがある

 2013/05/06 (月) 無題

本日の新聞に「中坊公平・死亡」の記事が出ている。

記事では彼の人生を「‘84年に大阪弁護士会会長に就任し、‘85年以降、豊田商事の巨額詐欺事件の破産管財人として被害者を支援。‘90年から2年間、日弁連会長を努めた後、産業廃棄物の不法投棄に苦しむ香川県・豊島(てしま)で、豊島としての原状回復を求める島民を支えた」と紹介している。

この記事を読んで、僕は十数年前を思い出した。
当時金津町町議だった僕は「環境委員会」のメンバーの一人として瀬戸内海に浮かぶ豊島を訪れた。我々を出迎えた産廃反対期成同盟委員長は初老の男性で、‘60年代後半の全共闘リーダーを思わせる機関銃的しゃべりの硬派おじさんだった。おじさんはマイクロバスを運転しながら我々を産廃現場へ案内し、涙ながらに豊島住民の怒りと悲哀を語った。

おじさんは産廃反対期成同盟会館会館へ戻ってから、豊島がゴミの山となってしまった経過を説明し、弁護団長が中坊になったエピソードを話した。

以下委員長が語った要旨

「期成同盟委員の間では、中坊先生になってもらわねば、という声が圧倒的でした。しかしながら超有名人である中坊先生の報酬は半端なものであるはずがない。誰が工面できるんや、という声も又圧倒的でした」

「私は中坊先生の下を訪れ、弁護を依頼し、報酬はいかほどでございましょうか?と聞きました。」

「先生は、『勿論私はびた一文いただこうとは思っていません。私がその件に関して黙っていたのは、住民のみなさんに、田地田畑を売ってでもという真剣な気概があるのかどうか、みたかったからです』とおっしゃいました」

軟派人間だった僕が、「私心をなくし世のため人のために働くことをヨロコビとせねばならぬ」的硬派人間に変わったのは、期成同盟委員長の話を聞いてからだったと記憶する。

 2013/05/10 (金) 奥越にて

昨日の朝、四人の男達(四人のなかで私が群を抜いて若い)が、大野市にある「笛資料館」へ向かった。


1159年、平治の乱に敗れた源義平は大野の穴馬を訪れ、村長(むらおさ)・朝日助左エ衛門に温かくかくまわれた。助左エ衛門の娘「おみつ」が身のまわりの世話をするうち、ふたりは相思相愛となりやがて「おみつ」は義平の子を宿したのである。そうこうするうち義平の父・源義朝が討たれたことを知りあだ討ちのために京へ向かうこととなる。その際「おみつ」に記念として手渡したのが義平愛用の「青葉の笛」で、現在も朝日家が保存管理している。

ということを朝日家当主の奥さんからうかがったのだが義平は源頼朝の異母兄弟になるのだからこれは一種の貴種流離譚だ。貴種は旅の空でお手つき女性をつくるのである。

私を貴種と噂する人もいるが、私は貴種流離譚をつくらない。現在の世には貴種も卑種も雑種もへちまもないのである。

 2013/05/09 (木) 加賀の海にてしばし憩う私

加賀の海にてしばし憩う私


昨日、「市議選立候補説明会には19組が集まった」という携帯連絡がありました。
これで投票選になることが確定。いいことです。


昨晩は、「原発を考えるあわら市民の会」の打合わせで5人が事務所に集まり9時に終了。諸氏が帰ったあとにテレビをつけたら「プロ野球・阪神巨人戦」の実況中継だ。

僕がアンチ巨人である理由のひとつは、12球団のなかで巨人だけが巨人軍と呼ばれることに起因する。プロ野球は娯楽であって軍隊組織ではないのに・・と思ってしまうのだ。

ということはともかくとして画面は延長戦。延長12回表・阪神の攻撃で、ランナーを一塁においてピンチヒッターの桧山が右翼に二塁打を放ち、ランナー(田上だったかな?)は一挙生還し勝ち越した。これで愛する阪神は巨人戦3連勝だ。弱いと言われる阪神もやる時にはやる。

 2013/05/08 (水) 市議選告示まであと一ヶ月

昨日の来訪者議員によると、本日8日は市庁舎において市議選立候補説明会が開かれるそうで、「そういやあそんなのがあったなあ」と昔を思い出したが、いずれにしろ自分にはもう関係のないことで、とりあえず、「誰がいい人なのかはわからないけれども、立候補なさる皆さんはそれぞれに頑張ってください」とこのブログで申し上げます。

そんなことよりも、二日前に国道8号線で白バイに捕まったことが悔やまれる。
「交差点内運転注意義務違反」で点数は1点減点、罰金は4千円。私は直進してくる車に対して充分注意しながら右折したつもりだが、白バイには「もっと慎重に右折しなければなりません」と言われた。
交通法規の遵守は人命に関わるので当然のことであり、何年前だったか、連続6回シートベルト着用違反で免停になってからはすっかり心を入れ替え、ひたすらゴールドカードを目指しつつ運転してきた私にとっては、ちょっと残念。

 2013/05/07 (火) きょう一日を頑張ろう

ただ今午前5時。
 

しらみみ始めた東の空は僕を励ましているようだ。きょう一日を頑張ろう。

あたりを見回すと、昨晩に洗った普段着ズボンが目に入った。


洗濯機に頼らず手で洗った衣類には、特別な香りがある。

 2013/05/06 (月) 無題

本日の新聞に「中坊公平・死亡」の記事が出ている。

記事では彼の人生を「‘84年に大阪弁護士会会長に就任し、‘85年以降、豊田商事の巨額詐欺事件の破産管財人として被害者を支援。‘90年から2年間、日弁連会長を努めた後、産業廃棄物の不法投棄に苦しむ香川県・豊島(てしま)で、豊島としての原状回復を求める島民を支えた」と紹介している。

この記事を読んで、僕は十数年前を思い出した。
当時金津町町議だった僕は「環境委員会」のメンバーの一人として瀬戸内海に浮かぶ豊島を訪れた。我々を出迎えた産廃反対期成同盟委員長は初老の男性で、‘60年代後半の全共闘リーダーを思わせる機関銃的しゃべりの硬派おじさんだった。おじさんはマイクロバスを運転しながら我々を産廃現場へ案内し、涙ながらに豊島住民の怒りと悲哀を語った。

おじさんは産廃反対期成同盟会館会館へ戻ってから、豊島がゴミの山となってしまった経過を説明し、弁護団長が中坊になったエピソードを話した。

以下委員長が語った要旨

「期成同盟委員の間では、中坊先生になってもらわねば、という声が圧倒的でした。しかしながら超有名人である中坊先生の報酬は半端なものであるはずがない。誰が工面できるんや、という声も又圧倒的でした」

「私は中坊先生の下を訪れ、弁護を依頼し、報酬はいかほどでございましょうか?と聞きました。」

「先生は、『勿論私はびた一文いただこうとは思っていません。私がその件に関して黙っていたのは、住民のみなさんに、田地田畑を売ってでもという真剣な気概があるのかどうか、みたかったからです』とおっしゃいました」

軟派人間だった僕が、「私心をなくし世のため人のために働くことをヨロコビとせねばならぬ」的硬派人間に変わったのは、期成同盟委員長の話を聞いてからだったと記憶する。

2013/05/04 (土) 後半連休二日目


プリンターが完全に壊れてしまったので、大型パソコンショップへ出かけた。私の場合、建築図面作製データーの打ち出しために使うので、A3対応機器であることが購入の条件。つまり家庭用のA4対応機器ではだめなのだ。よって値段もぐんと跳ね上がる。
・・と思って出かけたのだが、以前と比べて値段は下がっている。商品が普及しているせいか不景気のせいかは知らないが、購入者の立場である私にとってはいいことだ。


帰途、男性服専門店に立ち寄った。今年の7月から、スーツ・ネクタイとは無縁の生活に入るので、新生活を支えるダウンジャケットを見に行ったのである。もう公的な場に出る必要がないので服装ぐらいどうでもいいのでは、と思われるかもしれないが、何故か私は人が見ていようが見ていまいが、ファッションには気を使う生活を送り続けてきたしこれからもそうしようと思う。


さらのその帰途、DVDレンタル専門店に行き、松本清張原作「砂の器」を借りた。ストーリーを簡潔に述べることは私の筆力では無理なので割愛するがハンセン氏病患者が事件の背景にある推理ドラマ。


新進気鋭の作曲家・和賀英良(加藤剛)は、発表会当日、マスコミ注目のなかで自分が作曲した「宿命」のピアノを奏でながらオーケストラのタクトをふる。しかし刻一刻和賀が犯した殺人容疑での逮捕の瞬間がせまっている。和賀は子どもの頃自分が愛してやまなかった父・本浦千代吉(加藤嘉)や自分が殺してしまった育ての親・三木謙一(緒形拳)や、流産で死なせてしまった愛人・高木理恵子(島田陽子)たちを思いながら汗を流してタクトをふり続ける。その間、「宿命」はBGMというかたちで流れ続けるのだった。


音楽つまり絶対音感の世界は、この世のあれやこれやを超越して存在する。若い頃ハイデルベルグ音楽院にいたことのある私は、芸術のなかの芸術・諸王の王が音楽であることを実感した。

2013/05/03 (金) 連休後半戦スタート

西里えり著「銀杏の家」をほぼ読み終えた。


これは自伝風の小説で、主人公は著者の母・絹代。
著者は‘35年生まれだから私よりも14歳年上ということになる。その著者一家が満州から引きあげてきていまだ戻らぬ夫・誠市を待ちながら、金津近郊の農村地帯で慣れぬ野良仕事に精を出すのであり、そこから生じる人間模様を小説は描いている。
主人公は夫を深く愛しておりながら、体に渇きを覚えついつい近隣の男と深い関係になってしまう。戦争未亡人の束の間の恋というやつだが、妻以外の女性を知らない私でも主人公のとった行動を暖かく理解する。男との性描写に美しさすら感じる。


私はアーテイストである。アーテイストにとって倫理は不要で、生活は美に殉じなくてはならない、と思うのである。


当時の日本は困窮のどん底にあったが、この小説に絶望感はない。現代のようなのっぺらぼうの社会ではなかった。登場人物のひとりひとりが素朴に泣き素朴に笑っている。・・これこそが「美しい日本」ではなかろうか、と私は思った。

ということはともかく



オープンカフェにバラの鉢を置いたのだが、五月の陽光を浴びて芽吹き始めている。どんな色のバラの花が咲くのかわからないが、ゆくゆくはこのカフェをバラで埋め尽くしたい。カフェを「バラの館」と名づけよう。


オーストリアの詩人・リルケは、バラの棘が彼の指に刺さって出血し、その血を見てショック死したと誰かに聞いたことがあるが、それくらい繊細だったのだ。
リルケほどではないにしても、私とて確かに繊細な魂を持っている。繊細な男にはバラの花がよく似合うのである。

2013/05/02 (木) 本日は手話サークル

ここ数日、不眠不休の日々で、駄文ブログを書く時間が無く、好きな風呂に入る時間も無く、好きな小説を読む時間も無く、好きなDVDを鑑賞する時間も無く、好きな酒を夕飯後の白ワイン一本にとどめ、好きな煙草を一箱/日以内にとどめ、どこへ出ることも無いという生活を送ってきた。


しかし来訪客は相変わらず多く、これは私が市議選不出馬宣言をして立候補者達を距離を置いた形で見ることができるようになったせいだろう。


ということで本日の午後4時半に、やっと暫時休憩となりました。
そこで実に久しぶりに「声の広場」をクリックしたら
No446で「お願いします」さんが、「日記の発信は続けていただきたいですね。毎日白く読んでいます」と、書き込んでくださっていてそれが嬉しく 、6月から旅の人となる予定の私ではあるけれども、タイトルを「議員日記」から「旅日記」とでもして、旅の空から遠隔操作で書き込んでいきたいと思っています。
「狭いあわらにゃ住み飽きた」ということで、中古愛車に乗って加賀国や近江国を動き回り、経験した諸々を過大でも過小でもなくそのままに書き込んでいきたいと思います。


更に
No452「いちげんさん」さんが書き込んでくださったURLをクリックして、数日前に開いた「吉崎公民館・議会報告会」を思い出しました。
会に参加していたFさんが、「あわら市と加賀市の違いは、福井新聞と北国新聞の違いにもよる」と力説していました。確かにマスコミがどういうイベントをとりあげるのかとりあげを拒否するのかは地域住民に大きな影響を与えると思います。


それから
「とんぼ」さんが、国鉄三国支線と杉田鶉山との関係を詳しく述べています。このあたりのことを彼は一ヶ月ほど前に「三国語り部の会」の集会の席で、講師の立場で詳しく話していたのですが、是非御一読を。