若い頃は体の傷はすぐ癒えるが心の傷は治りにくい。歳をとると心の傷はすぐ癒えるが体の傷は治りにくいのだ。 椎名誠「モンパの木の下で」
確かに、僕の場合、歳をとることで心の傷はすぐ癒えるようになった。というよりも、「傷を傷として認知しないようになった」というのがより正確な言い方だ。
これは人間の本能じゃないだろうか。つまり近づいてくる死を受け入れるためには、傷など忘れて静謐な心でいたいという本能が働くのではないだろうか。
それはともかく
昨晩はDVDで「日本の一番長い夏」を観た。二回観た。
終戦時に内閣書記官長だった人、各国大使だった人、NHK記者だった人、共産党員だった人、ラバウル玉砕を免れたひと、回天特攻隊員だった人たち約30人が集まって、昭和38年にこの戦争を回顧した座談会を文芸春秋が企画し発表したものを、数年前に半藤一利編集で映像化したものだ。
最も心を動かされたもののひとつが、沖縄戦で白梅部隊隊員だった楠政子さんの証言。
沖縄戦の帰趨がはっきりした頃、陸軍部隊は行動を共にした白梅部隊に解散命令を出した。楠さんと一人の友人は部隊を離れ島の南端をさまよった。さまよううち、5人の陸軍兵と同行するようになる。しかし、彼ら彼女らの前に突然米兵部隊が現われ、彼ら彼女らは四散した。白梅部隊の二人は自決を覚悟し手榴弾を手に取ったが操作方法がわからずまごまごしているうちに米兵に捕まってしまった(正しくは保護されただろう)。その時、木陰に隠れていた陸軍兵士5人が日本刀を片手に切り込んできた。しかし、あっという間に米兵たちに射殺されてしまった。
「彼らは私たち二人を救おうとして現われたのです。そして私たちの目と鼻の先で殺されたのです。言い換えれば私たちが殺したのです」と語る彼女の声は嗚咽の声だった。 |