きょうで一月も終わり。なんにもせんうちに一月が終ってしまった。
そこで、昨年読んだ小説のいくつかを思い浮かべていたのだが、下記が確かに印象に残った一つに入る。
山本兼一 利休にたずねよ
あめや長次郎
利休切腹の六年前
天正十三年(1585)十一月某日
京 堀川一条
京の堀川は、細い流れである。
一条通に、ちいさな橋がかかっている。
王朝のころ、文章博士の葬列が、この橋をわたったとき、雷鳴とともに博士が生き返った・・。
そんな伝説から、橋は戻り橋とよばれている。冥界からこの世にもどってくる橋である。
その橋の東に、あめや長次郎は瓦を焼く釜場をひらいた。
「関白殿下が、新しく御殿を築かれる。ここで瓦を焼くがよい」
京奉行の前田玄以に命じられて、土地をもらったのである。
聚楽第と名付けられた御殿は、広大なうえ、とてつもなく豪華絢爛で、まわりには家来たちの屋敷が建ちならぶらしい。
すでに大勢の瓦師が集められているが、長次郎が焼くのは、屋根に飾る魔よけの飾り瓦である。
長次郎が鏝とヘラをにぎるとただの土くれが、たちまち命をもらった獅子となり、天に咆哮する。
虎のからだに龍の腹をした鬼龍子が、背をそびやかして悪鬼邪神をにらみつける。
「上様は玉の虎と、金の龍をご所望だ。お気に召せば、大枚のご褒美がいただけるぞ」
僧形の前田玄以が請けあった。
「かしこまった」
すぐに準備にかかった。
まずは、住む家を新しく建てさせ、弟子たちと移った。
そこに大きな窯を築いて、よい土を集めた。
池を掘り、足で土をこねる。
乾かし、釉薬をかけて焼く。
今日は、焼き上がった瓦の窯出しである。
「こんなもんや。ええできやないか」
弟子が窯から取りだしたばかりの赤い獅子のできばえに、長次郎は大いに満足した。
獅子は、太い尻尾を高々とかかげ、鬣を逆立てて牙を剥き、大きな目で、前方をにらみつけている。
長次郎が、あめやの屋号をつかって、夕焼けのごとき赤でも、玉のごとき碧でも、自在に色を
つけられるからである。
明国からわたってきた父が、その調合法を知っていた。
しかし、父は、長次郎に製法を教えなかった。なんども失敗をくり返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
なんども失敗を繰り返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
長次郎の子も、窯場ではたらいているが、釉薬の調合法を教えるつもりはない。
・・一子相伝にあぐらをかいたら、人間甘えたになる。家はそこでおしまいや。
父祖伝来の秘伝に安住していては、人間は成長しない。代々の一人ひとりが、創業のきびしさを知るべきである・・。それが父の教えだった。
まだぬくもりの残る窯のなかから、弟子たちがつぎつぎと飾り瓦を運び出してくる。
いずれも高さ一尺ばかり。
できばえは文句なしにみごとである。
龍のつかむところに雲があり、虎のにらむところに魔物がいるようだ。
得意な獅子も焼いた。
造形もうまくいったが、赤い釉薬がことのほかいい。
冬ながら、空は晴れて明るい陽射しが満ちている。
その光を浴びて、獅子にかかった釉薬が銀色に反射した。
「いい色だ」
長次郎の背中で、太い声がひびいた。
ふり返ると、大柄な老人がのぞき込んでいた。
宗匠頭巾をかぶり、ゆったりした道服を着ている。真面目そうな顔の供をつれているところを見れば、怪しい者ではないらしい。
「なんや、あんた」
釜場には、まだ塀も柵もない。こんな見知らぬ人間が、かってに入ってくるようなら、すぐに塀で囲ったほうがいいと、長次郎はおもった。
「ああご挨拶があとになってしまいました。わたしは千宗易という茶の湯の数寄者。長次郎殿の飾り瓦を見ましてな。頼みがあってやってまいりました」
ていねいな物腰で、頭をさげている。
長次郎は、宗易の名を聞いたことがある。関白秀吉につかえる茶頭で、このあいだ内裏に上がって、利休という勅号を賜ったと評判の男だ。
「飾り瓦のことやったら、まずは、関白殿下がさきや。あんたも聚楽第に屋敷を建てるんやろうが、ほかにも大勢注文がある。順番を待ってもらわんとあかん」
権勢を笠に着てごり押しするような男なら追い返そうと思ったが、老人は腰が低い。
「いや、瓦のことではない。茶碗を焼いてもらおうと思ってたずねてきたのです」
長次郎はすぐに首をふった。
「いや、あなたに頼みたいと思ってやってきた。話を聞いてもらえませんか」
話は穏やかだが、宗易という老人は、粘りのつよい話し方をした。
・・人間そのものは粘っこいのや。
長次郎はそう感じながらも、宗易のたたずまいに惹かれた。
・・この爺さん、なんや得体が知れん。
ただそこに立っているだけなのに、釜場の空気がひき締まるような、不思議な重みがある。
・・よほどの数寄者にちがいない。
長次郎の直観が、そうささやいている。
「窯出しが終わったら、お話をうかがいましょ。それで、よろしいか」
「けっこうです。おや、あの虎は、とくにできがいい。天にむかって吠えている」
いま弟子が窯から出してきたばかりの虎は、ずらっとならんでいるなかでも、いちばんよいできである。
長次郎は、宗易の目利きのするどさに驚いた。
この本は24の章で成り立っている。
・死を賜る 利休
・おごりをきわめ 秀吉
・知るも知らぬも 細川忠興
・大徳寺破却 古渓宋陳
・ひょうげもの也 古田織部
・木守 徳川家康
・狂言の袴 石田光成
・鳥籠の水入れ ヴァリニャーノ
・うたかた 利休
・ことしかぎりの 宗恩
・こうらいの関白 利休
・野菊 秀吉
・西ヲ東ト 山上宗二
・三毒の焔 古渓宋陳
・北野大茶会 利休
・ふすべ茶の湯 秀吉
・黄金の茶室 利休
・白い手 あめや長次郎
・待つ 千宗易
・名物狩り 織田信長
・もう一人の女 たえ
・紹鴎の招き 武野紹鴎
・恋 千与四郎
・夢のあとさき 宗恩
たとえば
・野菊 秀吉
利休切腹の前年
天正十八年(1590)九月二十三日 朝
京 聚楽第 四畳半
「・・利休が膝をにじって、床の前にすすんだ。
・・さてあやつめ、どうするか
秀吉が障子窓のすきまに顔をつけた。
利休の背中にも、肩にも、手のうごきにも、逡巡はない。
・・なにも迷わぬのか。
なんのためらいもなく両手をのばした利休は、左手を天目台にそえて、右手で野菊をすうっとひきだし、床の畳に置いた。
天目茶碗を手に点前座にもどると、水指の前に茶碗と茶人、茶碗をならべ、一礼ののち、よどみなく点前に取りかかった。
茶を点てている利休は、見栄も衒いも欲得もなく、ただ一服の茶を点てることに、心底ひたりきっているようである。
といって、どこかに気張ったようすが見られるわけではない。あくまで自然体でいるのが、よけい小憎らしい。
床畳に残された野菊の花は、遠浦帰帆の図を背にして、洞庭湖の岸辺でゆれているように見える。
秀吉は、途端に機嫌が悪くなった。
むかむかと腹が立つ。
それでも、最後のしまつはどうするのかと、そのまま見ていた。
三人の客が茶を飲み終え、官兵衛が鴨肩衝の拝見を所望した。
客が茶人を見ているあいだに、利休は水指から天目茶碗まで洞庫にかたづけた。
拝見の終わった鴨肩衝を、仕覆に入れ、利休は膝をにじって床前に進んだ。
置いてあった野菊の花を取り、床の勝手のほうの隅に寄せかけた。
鴨肩衝を床に置くと、利休はまた点前座にもどった。
床の隅に置かれた野菊の花は、すこし涸れて見える。
・・負けた。
秀吉は、利休を笑ってやろうとした自分のたくらみが、野菊の花と同じように涸れてしまったのを感じた。
なんのことはない。むしろ、笑われているのは自分であった。・・」
たとえば
・西ヲ東ト 山上宗二
利休切腹の前年
天正十八年(1590)四月十一日 朝
箱根 湯本 平雲寺
・・山上宗二に秀吉が問う。
「おまえが茶の湯者というなら、身ひとつでここにまいっても、なにか道具を持って来たであろうな」
「むろんにございます」
宗二は懐から、仕覆を取り出してひろげた。なかは、端の反った井戸茶碗である。すこし赤みがかかった黄土色が、侘びていながら艶やかな印象をかもしている。
秀吉が、その茶碗を手に取って眺めた。黙って見つめている。
やがて、薄いくちびるを開いた。
「つまらぬ茶碗じゃな」
乱暴に置いたので、茶碗が畳を転がった。
「なにをなさいます」
宗二はあわてて手をのばし、茶碗をつかんだ。
「さような下卑た茶碗、わしは好かぬ。そうだ。割ってから金で接がせよう。おもしろい茶碗になるぞ」
「くだらん」
宗二が吐きすてるようにいった。
「こらッ」
利休は大声で宗二を叱った。
「こともあろうに、関白殿下に向かって、なんというご無礼。さがれ、とっととさがれ」
立ち上がった利休が、宗二の襟首をつかんだ。そのまま茶道口に引きずった。
「待て」
冷やかにひびいたのは、秀吉の声だ。
「下がることは相成らん。庭に引きずり出せ。おい、こいつを庭に連れ出して、耳と鼻を削げ」
秀吉の大声が響きわたると、たちまち武者たちがあらわれて、宗二を庭に引きずり降ろした。
「お許しください。お許しください。どうか、お許しください」
平伏したのは、利休であった。
「お師匠さま。いかに天下人といえど、わが茶の好みを愚弄されて、謝る必要はありますまい。この宗二、そこまで人に阿らぬ。やるならやれ。みごとに散って見せよう」
立ち上がると、すぐに取り押さえられた。秀吉の命令そのままに、耳を削がれ、鼻を削がれた。血にまみれた宗二は、呻きもせず、秀吉をにらみつけていた。痛みなど感じなかった。怒りと口惜しさがないまぜになって滾っている。
「お許しください。憐れな命ひとつ、お慈悲にてお許しください」
利休が、地に頭をすりつけて秀吉に懇願した。
宗二は意地でも謝るつもりはない。秀吉としばらくにらみ合った。
「首を刎ねよ」
秀吉がつぶやくと、宗二の頭上で白刃がひるがえった。・・
たとえば
・白い手 あめや長次郎
利休切腹の六年前
天正十三年(1585)十一月某日
京 堀川一条
京の堀川は、細い流れである。
一条通に、ちいさな橋がかかっている。
王朝のころ、文章博士の葬列が、この橋をわたったとき、雷鳴とともに博士が生き返った・・。
そんな伝説から、橋は戻り橋とよばれている。冥界からこの世にもどってくる橋である。
その橋の東に、あめや長次郎は瓦を焼く釜場をひらいた。
「関白殿下が、新しく御殿を築かれる。ここで瓦を焼くがよい」
京奉行の前田玄以に命じられて、土地をもらったのである。
聚楽第と名付けられた御殿は、広大なうえ、とてつもなく豪華絢爛で、まわりには家来たちの屋敷が建ちならぶらしい。
すでに大勢の瓦師が集められているが、長次郎が焼くのは、屋根に飾る魔よけの飾り瓦である。
長次郎が鏝とヘラをにぎるとただの土くれが、たちまち命をもらった獅子となり、天に咆哮する。
虎のからだに龍の腹をした鬼龍子が、背をそびやかして悪鬼邪神をにらみつける。
「上様は玉の虎と、金の龍をご所望だ。お気に召せば、大枚のご褒美がいただけるぞ」
僧形の前田玄以が請けあった。
「かしこまった」
すぐに準備にかかった。
まずは、住む家を新しく建てさせ、弟子たちと移った。
そこに大きな窯を築いて、よい土を集めた。
池を掘り、足で土をこねる。
乾かし、釉薬をかけて焼く。
今日は、焼き上がった瓦の窯出しである。
「こんなもんや。ええできやないか」
弟子が窯から取りだしたばかりの赤い獅子のできばえに、長次郎は大いに満足した。
獅子は、太い尻尾を高々とかかげ、鬣を逆立てて牙を剥き、大きな目で、前方をにらみつけている。
長次郎が、あめやの屋号をつかって、夕焼けのごとき赤でも、玉のごとき碧でも、自在に色をつけられるからである。
明国からわたってきた父が、その調合法を知っていた。
しかし、父は、長次郎に製法を教えなかった。なんども失敗をくり返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
なんども失敗を繰り返し、長次郎はじぶんで新しい釉薬をつくりあげた。
長次郎の子も、窯場ではたらいているが、釉薬の調合法を教えるつもりはない。
・・一子相伝にあぐらをかいたら、人間甘えたになる。家はそこでおしまいや。
父祖伝来の秘伝に安住していては、人間は成長しない。代々の一人ひとりが、創業のきびしさを知るべきである・・。それが父の教えだった。
まだぬくもりの残る窯のなかから、弟子たちがつぎつぎと飾り瓦を運び出してくる。
いずれも高さ一尺ばかり。
できばえは文句なしにみごとである。
龍のつかむところに雲があり、虎のにらむところに魔物がいるようだ。
得意な獅子も焼いた。
造形もうまくいったが、赤い釉薬がことのほかいい。
冬ながら、空は晴れて明るい陽射しが満ちている。
その光を浴びて、獅子にかかった釉薬が銀色に反射した。
「いい色だ」
長次郎の背中で、太い声がひびいた。
ふり返ると、大柄な老人がのぞき込んでいた。
宗匠頭巾をかぶり、ゆったりした道服を着ている。真面目そうな顔の供をつれているところを見れば、怪しい者ではないらしい。
「なんや、あんた」
釜場には、まだ塀も柵もない。こんな見知らぬ人間が、かってに入ってくるようなら、すぐに塀で囲ったほうがいいと、長次郎はおもった。
「ああご挨拶があとになってしまいました。わたしは千宗易という茶の湯の数寄者。長次郎殿の飾り瓦を見ましてな。頼みがあってやってまいりました」
ていねいな物腰で、頭をさげている。
長次郎は、宗易の名を聞いたことがある。関白秀吉につかえる茶頭で、このあいだ内裏に上がって、利休という勅号を賜ったと評判の男だ。
「飾り瓦のことやったら、まずは、関白殿下がさきや。あんたも聚楽第に屋敷を建てるんやろうが、ほかにも大勢注文がある。順番を待ってもらわんとあかん」
権勢を笠に着てごり押しするような男なら追い返そうと思ったが、老人は腰が低い。
「いや、瓦のことではない。茶碗を焼いてもらおうと思ってたずねてきたのです」
長次郎はすぐに首をふった。
「いや、あなたに頼みたいと思ってやってきた。話を聞いてもらえませんか」
話は穏やかだが、宗易という老人は、粘りのつよい話し方をした。
・・人間そのものは粘っこいのや。
長次郎はそう感じながらも、宗易のたたずまいに惹かれた。
・・この爺さん、なんや得体が知れん。
ただそこに立っているだけなのに、釜場の空気がひき締まるような、不思議な重みがある。
・・よほどの数寄者にちがいない。
長次郎の直観が、そうささやいている。
「窯出しが終わったら、お話をうかがいましょ。それで、よろしいか」
「けっこうです。おや、あの虎は、とくにできがいい。天にむかって吠えている」
いま弟子が窯から出してきたばかりの虎は、ずらっとならんでいるなかでも、いちばんよいできである。
長次郎は、宗易の目利きのするどさに驚いた。
山本周五郎 長い坂 201401
主人公・阿部小三郎の父・小左衛門は〇〇藩で20石どりの組頭つまり下級役人だ。
父・小左衛門は「なにごとにつけ御身大切。不正があっても眼をつむり大過なく日々を過ごすこと」を信条とする典型的な公務員で、小三郎は幼少時から「これが俺の本当の父親か。本当の父親は他にいるのではないか」との疑念を抱くようになりそのまま成長する。
この城下には藩校が二つある。一つは尚功館といって、中以上の家格の子弟のために設けられたものであり、学問の技術も武術の師範も、第一級の人が選ばれている。他の一つは藤明塾といい、これには中以下の侍の子弟や、町屋の者も入学することができる。
8歳の小三郎は身分の制限故に藤明塾に入ったが、学術武術に群を抜いていた彼は藤明塾塾員でいることに飽き足らず、周囲の反対を押し切って尚功館へ転入する。
尚功館でも発揮された小三郎の類い稀な文武の才能は藩主・昌治の眼に留まり、彼は昌治の側近となる。
しかしそれは彼の本意ではなかった。彼は「武士の道は民百姓をいかにして苛斂誅求から守るか民百姓をいかに幸せにするか」の一点にあり、えらいさんなんか関係ねえよだった。要するに、後年、福澤諭吉がとなえた「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」の文言を数十年前にとなえていたのだった。
彼は藩主の命により、新田開発のために藩内を流れる大川の堰堤づくりに着手する。他の堰堤の資料を調べ水面高を測量し木杭を調達し、雪の降るなかでの作業はまことに厳しいものだった。(一昨年に「ふるさと語ろう会」で九頭竜川堰堤を見学に行き、係員から堰堤づくりの経過を聞いていたのでその困難さはよくわかる)。
又、江戸詰めの反藩主勢力により度々の妨害も受ける。藩主と小三郎が堰堤を視察していた時、5人の武士が突然現われて二人に切りかかった。この時、小三郎は少しもあわてず、5人の武士全てを心臓一突きで殺してしまった。まさに妖刀使いの小三郎。
・・・兵部はまた、樹が呼吸することに気づいた。陽が昇ってから森へはいると、檜も杉も、その幹や枝葉から香気を放つが、その匂いかたには波があり、匂わなくなったり、急にまた匂いはじめるのである。里では桃が咲き、桜も咲き出していたようだ。大平からの遠望だからよくはわからないが、もう三月にはいって、春もたけなわであり高いこの山の上にも春がうごきだし、杉も檜も眠りからさめたのであろう。樹幹の発する
香気が一定ではなく、弱くなり強くなるのは、それらの樹が明らかに呼吸していることを示している。「まるで人間のように」と兵部は太い杉の幹に手を当てながら呟いた。「おまえはくちもきけず動くことも
できない。百年でも五百年でも、同じ立ったままで生き続けなければならない。けれども人間や毛物と同じように、生きていることは事実だし、このとおり呼吸さえしている。ことによると、われわれのじたばたしている姿を見て、羨んだり嘲笑したりするだけの感情さえあるのではないか」
「阿部小三郎でもなく、三浦主水生であってもならないとおれは思ったことがある。」・・おれはこの新畠ではもとという名の人足だ。ななえも小三郎もおれ自身とは関係がない。根本的にはべつの世界の人間なのだ。おれは小三郎の昔から独りだった。いまも独りだしこれからも独りだ、なにかする男はいつも独りでなければならない」
老人だからといって、独りで涙をながすようなことがないわけではない、という米村青淵の言葉が思いうかんだ。
老いて気力を喪失した滝沢主殿。酒びたりで怠け放題に怠け、しかも死ぬときには、草臥れはてた、と云ったという宗厳寺の和尚。みんな独りだった。谷宗岳先生も、妻子がありながらこんな田舎に招かれて来て、若い側女に子を産ませ、つつましやかに寺子屋のような仕事に背をかがめているという。
だが実際にはその側女にも、側女の産んだ子にも心はつながっていないに相違ない。女には家があり子供がある。女には自分の巣がある、けれども男に巣はない、男はいつも独りだ。
「独りだからこそ、男には仕事ができる」と主水生は声に出して呟いた。「特にいまのおれは、恩愛にも友情にもとらわれてはならない、男にもほかの生きかたはある。男としての人間らしい生きかたは数かぎりなくあるだろうが、おれだけはそうあってはならない。おれには男として人間らしい生きかたをするまえに、侍としてはたすべき責任、
飛騨守の殿がそう思い立たれたように、侍としてなすべきことをしなければならない、そしてこれはおれ自身の選んだ道だ」
こういう三浦主水生のヒューマニテイあふれる独白を読んだ時、「翻って私の人生はなんだったのだろうか」と考えた。
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