2015/04/30 (木) 四月最終日 |
昨晩はとんぼさんと一緒に芦原祭り会場を歩き、そのあとは御自宅でビール・清酒を堪能。 歴史小説家として名をなしつつあるとんぼさんは、一面、「必殺料理人」である。 彼の手作りの刺身をサカナに、「加賀の食文化と越前食文化のちがい」を聴いていたのだが、さしで聴くのは勿体ないと思った。私のGFたちと一緒に聴きたいと思った。 |
2015/04/29 (水) きょうからゴールデンウイーク |
昨日は池田町の山奥にいた。 古民家の解体現場で柱・梁の計測をしていたのだが一尺に近い角柱や一尺五寸径の丸太を見ていると素直に感動する。ながい年月、風雪に耐えて、住まう人たちを見つめ続けてきたのである。 正午に郷土史家・印牧氏(性海寺住職)が来訪。長谷川氏が代表質問するというかたちで講話が進行した。聴力が少々衰えているとはいえ、93歳とは思えない驚くべき記憶力である。 10人が集まって、私の事務所は包容力ぎりぎりであることを感じた。 |
2015/04/28 (火) 熱々珈琲を飲みながら |
昨日の来訪者は三人。いずれもが選挙戦の結果をそれぞれに分析して帰っていった。 この一週間、選挙のことしか頭になく、しかし、そのことをブログに書けば8年前と同じように「掲示板」が炎上するのではないかとの懸念があったので結局は無口人間になっていた。 ということで きょうも元気で頑張ろう。そのためには、先ず、散髪に行かねばならない。 |
2015/04/27 (月) あわら市長選結果 |
281票という聞いたことがないほどの僅差に驚いた。 声の広場にも何件かの書き込みがあり、僕個人はNO556さんと同じ思いです。 |
2015/04/26 (日) 無題 |
昨日は久しぶりに加賀国のかぼちゃ村へ行った。蜊スパゲッテイを注文した。備え付けのナイフとフォークを使うのがスパゲッテイの正しい食べ方なのだが、僕には使えない。仕方なく、店員に頼んで箸を持ってきてもらった。 美味しかった。 |
2015/04/25 (土) もう週末か |
昨日の夜も個人演説会を二ヶ所で聴いていた。全身耳になって聴いていた。 これで大下さんの演説会場へ三回、橋本さんの演説会場へ三回足を運んだことになる。これからの市政の舵取り役を決める大切な選挙だ。それぞれの立候補者の主張を聴き比べることによって、自分なりの判断ができる。 |
2015/04/24 (金) もう週末か |
風邪を引いたのは何年振りだろう。 一昨日の晩は、悪寒と咳で熟睡できず、昨日は建築現場での打合せを終えたのち、早々に自宅へ戻り、午後三時就寝。今朝の三時まで延々と眠り続けた。 「白百合」さんへ 「史跡」の柱というのはこれ(下の写真)のことでしょうか。 これはあわら市文化財指定の柱ですが、十数年前つまり金津町時代に指定されました。指定にあたっては、当時の文化財保護委員長・故志田画伯を案内したことをきのうのことのように覚えています。指定対象は神社境内全域で、拝殿の絵馬や観音堂内部の33体観音などを是非みていただきたいと思います。 この写真の絵も志田画伯の手になるものです。 |
2015/04/23 (木) 市長選 後半戦に突入 |
ここ数日、大下さんの講演会場へ橋本さんの講演会場へ、とんぼさんと一緒に出向き、ふたりの訴えをじっくりと聴いてきた。 「声の広場」でのとんぼさんと、ほぼ同意見だ。とにかく両者の肉声に触れることで、「選挙公報」などではうかがい知れない違いがみえてくる。 それはともかく 壊れていたオープンカフェのフェンスがYさんの手によって復旧した。 |
2015/04/22 (水) 陰気になると元気が出てくる |
昨日の午後、僕はあわら市内の こういう世界を作った創造主=神に思いがはせる。 個人的な体験からではあるが、数年前から僕は霊魂の存在を深く信じるようになって、勢い、視界に入ってくる草花や小動物や雲の流れのなかに魂魄を感じるようになってきた。 脳内出血による後遺症として、脳の動きが現実直視型から妄想型へミスリードされるようになったと考えるのが、一番説得力のある説明だろうが、必ずしもそれだけではないだろう。半年間ほど他人の姿が骸骨にみえて仕方ない時期があったが、そのことによって、人間は生きていながら死んでいるという、つまり「半死半生」者が世界に住んでいると思うようになってきた。 |
2015/04/21 (火) 無題 |
シベリア大紀行おろしや国酔夢譚(1985)・四時間十二分をユーチューブで夜通し観ていた。 大黒屋光大夫が200年前に通った厳寒の地・シベリア大陸。彼の足跡を訪ねる旅の動画で、編集は井上靖、レポーターは椎名誠。作製は30年ほど前だろう。若いときの椎名が持っていた男の色気にまず驚いた。 伊勢の国・白子の浦を出発した光大夫たち17人を乗せた船が暴風雨によって難破し、八ヶ月間の漂流ののちたどり着いたのがロシア帝国属領のアムチトカ島で、望郷の思いのなかで次々と死んでいった仲間たちのためにもと、女帝エカチェリーナ2世に帰国願いを出すために、ロシア帝国・西の果てのペテルブルグへ向かう。タイガを進む過酷さは想像を絶するものであった。 光大夫たち二人が帰国するまでには9年半の歳月が必要だった。しかし、帰国できても、運の悪いことに、徳川幕藩体制は当時鎖国を継続中で、なおかつ政治の中枢は守旧派・松平定信に実権が移っていた。よって、光大夫は死ぬまでの30数年間を幽閉同然の身で過ごさなければならなかった。 |
2015/04/20(月) 市長選挙 |
今朝の福井新聞一面は、あわら市市長選挙立候補者二名を大々的に報じている。 そのせいか、遠方の近方の知人たちから携帯電話あるいは携帯メールが入り、異口同音に「牧田はんも大変やなあ、二人ともよく知っているからなあ」と言う。実際のところ、全然大変じゃないのだが(笑)。 |
2015/04/19 (日) 今日から市長選 |
白百合さんへ 「声の広場no545とんぼさん」の補足→坂ノ下八幡神社地図です。 昨日の昼、午睡から覚めてテレビのスイッチを入れたら、映画・「おろしや国酔夢譚」をやっている。大黒屋光太夫役は勿論緒方拳だ。数週間前に原作を読んでいたので、本の中身を思い出しながら、映画を楽しんだ。 終了後、思い立って図書館へ。「韃靼漂流記の(井上義太郎著)」を今開いている。三国商人たちによって残された漂流譚の研究書だが、先日、印牧先生(93歳)の口から韃靼漂流譚のことを熱く聞かされたことが、この本を開いた動機。どうも、僕は漂流の本が好きなようだ。 |
2015/04/18 (土) もう週末か |
宮尾登美子の「寒椿」を読み終えた。句点が異常に少ない文体という印象が残ったが、それはともかく、一章「小奴の澄子」、二章「久千代の民江」、三章「花勇の貞子」、四章「染弥の貞子」の章から成るこの小説は高知の色町に身を沈めた四人の女の半生を描いた物語で、ここ金津も江戸時代には遊廓街を持つ地域として有名だったし、血筋の関係からも、興味深く読み終えることが出来た。 参考までに 青楼無縁塚↓ 建立は明治22年(1889年)3月。「姫川の 俤ゆかし 枯柳」(不老庵・寿山)と書いてある。姫川は勿論竹田川を指すが、青楼には妓楼の意味があり、すなわち金津宿にいた遊女たちの墓である。 無縁とは、稲作農耕体制から距離を置いているひとたちあるいははじきだされていたひとたちの謂だと思う。聖・山伏・巫女・鋳物師・木地師・上人・海民・山民・クグツ・遊女等である。青楼無縁塚の無縁は、遊女を指す。 安永2年(1773年)の記録には、旅篭60軒、揚屋20軒、遊女屋7軒、遊女61名とある。 ○金津八日町箒はいらぬ 揚屋小女郎の裾ではく ○八日町通れば二階から招く 紅い鹿の子の振袖で という唄が当時の人々の口端にのぼっている。金津宿の遊郭が隆盛を誇ったことのあかし。 |
2015/04/17 (金) 無題 |
僕は、阪神タイガースが勝った翌日の新聞しか読まないので、サヨナラ負けを続けていたこの数日、新聞とは無縁だった。しかしながら、昨晩の久し振り的勝利を紙面で味わおうと開いた今朝の福井新聞・スポーツ面の大見出しは「巨人勝利」であって、つまらない。これから先がおもいやられる。 おもいやられると言えばあわら市長選で、今回、「公開討論会」が実現しなかったことが残念でたまらない。残念でたまらないが、いずれにしろ、さあ、市長選だ。 今日の午後は、あわら市役所の会議室にいた。 県職員に対して、盟友・達川さんが、あわら市の未来を語り続けている。しゃべり始めたら止まらない男なのである。 |
2015/04/16 (木) 昨日の一日 |
午前中は、雨の降りしきる中、建築現場へ出かけ、打合せをこなす。帰途、スーパーマーケットに寄ってうどん玉を購入。事務所に戻ってからは、うどん定食調理作製に精を出す。食べ終わり、キリマンジャロ珈琲を飲んでいる時、ケータイにメールが着信していることに気が付いた。 「・・訪ねたのですがお留守でした・・」と書いてある。 午後一番に初老の男性が来訪。「こうやって話していると、牧田さんはすごく真面目なひとやねえ」と言う。 何を持って真面目・不真面目を区分けするのか、もっと言うならば明るい・暗いを、美しい・醜いを区分けするのか皆目わからない僕は「自然にしゃべり自然にふるまっているだけです」と、答えた。 今朝は、家の近くにある畑を掃除していた。空き缶を拾い紙屑を燃やし、畑はかなりすっきりした。僕が命を落とす前に、畑をきれいにしておきたい。 |
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