2011/05/25 (水) 深夜に牛乳を飲みながら


こういう表を見た。


ぼくたちの年齢になれば、日々の生活が死と向き合うことであっても自然だが、放射線被爆に拠るガン死の比率は幼児に於いて頂点となるという事実をこの表はぼくたちに教えてくれる。


十数年前PTA会長であった時、壇上でこういうことを言った覚えがある。
「ぼくたちのこどもが胎児の時に母親の子宮からこの世をかいま見て、「嫌な世の中や、世に出るのを止めておこう」と思ったとしても、胎児は否応なしにこの世の中に押し出される。押し出すのはぼくたち母親・父親だ。その意味でぼくたちは、こどもたちにとって住みよい世の中をつくる義務がある」


その観点からいえば、福島原発事故による放射能放射線漏れは過酷のきわみで、ハード面の復旧のあとは、利権がらみの責任者たちの処罰を徹底することが不可欠だ。

仮設事務所の殺伐とした空間に一点の緑
例えて言うなら はきだめの鶴
そしてその名はモンステラ



持ってきてくださった女性に心からの敬意を表します。


2012年05月

 1日-10日  11日ー20日  21日ー31日
 
 
22012/05/01 (火) 本日は議会報告反省会 


自宅近くに新しくできた100金ショップへ包丁を買いに行き品物を物色していた時、僕をじっとみつめている初老の男の存在に気がついた。
目線があった時、男は意を決したように近づいてきて、おもむろに口を開いた。


男「あなたが牧田さんか」
僕「はい、そうです」
男「わしは市議会の一般質問をケーブルテレビでいつも見ている」
僕「・・・・」
男「あなたは毎回質問している。あなたは当を得た質問を簡潔にする。
なかなかいいぞ」
僕「ありがとうございます」
男「あなたは議席に座っている時、エラソーに腕を組んでいるぞ」
僕「どうもすみません」


とまあこういった会話で、誉められているのか叱られているのかよくわからなかったのだが、僕はあとで藤本義一のエッセイを思い出した。


その本によると
腕を組むということは、相手を抱きしめないぞという意思の表現である。相手に胸襟を開かないぞという意思の表現である。


思索の時ついつい腕を組んでしまうのだが、どうやらこの姿勢を改めなければいけない。