夕刻に開かれた「吉崎湖畔の夕べ」にしばらくの間だけ行ってきた。
会場から御山が見える。御山には高村光雲作の巨大な蓮如像がある。光雲はぼくらの世代にはそんなになじみがないが、息子の高村光太郎にはある。
親父の彫刻の島国的作風に反発して西欧へ留学し(ぼくがハイデルベルグ音楽院へ行ったのと同じだ)、日本へ帰ってから長沼智恵子を見初めて結婚した。後に精神異常をきたした智恵子を思って「智恵子抄」を書いた。
東京の空 灰色の空
本当の空がない と智恵子はいう
・・以下略
智恵子にとっての「東京の空」は実は光太郎のココロだったのだ。光太郎は「全身美学の徒」であった。妻・智恵子にも八頭身で日本人離れした容姿を持つ言わば美の女神的存在の部分しか認めなかった。光太郎は智恵子に普通の夫婦が持つ感情の交流を求めることなく、ひたすら詩や彫刻つまり美の世界に耽溺し続けていた。
智恵子はそれが寂しかった。美の求道者である光太郎を尊敬しつつもそれが寂しかった。そして精神異常をきたしてしまった。
ぼくも又建築家として「美学の徒」ではある。
しかしぼくは女性を美の対象として見たことはない(そりゃあきれいなほうがいいが・・)。ぼくにとってすべての女性は胸襟を開くことのできる対象だ。
湖畔は凪でいて静かだ。浮かんでいる灯籠を眺めていると束の間ではあるが、心が穏やかになる。
でも眺め続けていると、汚染された福島の海に思いが及ぶ。
自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72・5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。当時の役員の92・2%が献金していた実態も判明した。電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。(共同)
|
こういう記事を読んでいると、自民党に原発を論ずる資格は既にないと思うし、今を託すべき政党が自民でも民主でもないというのが我々国民の素朴な思いだろう。
人間が自然の猛威に翻弄されるのは、ある意味自然だ。それは、地球が人間の為に存在しているのではないからだ。
しかし、原発のような人間自身が作り出したものに拠る被害に関しては、加害責任を徹底して追及しなければならない。
太平洋戦争の戦争責任をめぐって「一億総懺悔」という言葉が戦後日本を席巻したけれども、そうであってはならない。
|