2011年07月

2011/09/24 (土) 本日は福祉大会

昨晩はDVDで「スパイ・ゾルゲ」を観た。篠田正宏監督の映画。
ゾルゲはロシア人の母とドイツ人の父の間に生まれ、ドイツ国籍を持ちながらソ連のスパイとして、第二次世界大戦前夜に、上海、東京で暗躍するが、その過程で元朝日新聞記者・尾崎秀実と知り合う。ふたりを引き合わせたのはあのアグレス・スメドレーだった。近衛内閣の重要ブレーンとなっていた尾崎から日本軍部の情報を入手し、それが独ソのモスクワ前面の攻防戦でのソ連勝利に結びつく。
特高はゾルゲグループの内偵を開始し、’41にゾルゲをそして尾崎を逮捕。ふたりは第二次世界大戦終結の7カ月前に死刑を執行された。


ゾルゲ事件のことは、20歳過ぎのころ、尾崎秀実の弟秀樹が出版した本によってうっすらと知ってはいたが、昨晩観たDVDによってそのデイテールが垣間見えたような気がする。尾崎がユダとも呼ばれていた理由もわかった。
しかし、上海で中国人が欧米列強から過酷な搾取を受ける現実を直視し、共産主義運動に死を賭して身を投じたという意味で殉教者である。


余談だが
尾崎秀実に扮した木本雅弘がなかなかの味を出していたと、ぼくは思う。

 2011/07/31 (日) きょうは日曜日

今朝早く、東北で復興に従事している知人から電話が入った。


昨晩の午前4時に起こった福島県沖を震源とする地震の揺れに強い恐怖を感じたという。


数日前の深夜に、東北大震災の余震にびっくりして目がさめたぼくだが、現地での余震による恐怖は並大抵のものではないだろう。


二万数千名の死者・行方不明者に対する鎮魂と、恐怖に怯える現実と、壊滅した生産手段の復興という三重苦に立ち向かうことの困難さは想像するにあまりある。


しかるに今の民主党政権は菅おろしに躍起となっているだけだ。いくら辞意を表明したとはいえ、菅はトップマネージャーなのだから、殿の意向を速やかに遂行しようとするのが、幕府でいえば大老・中老たちに与えられた使命だろう。


そういうことを考えると、党としての機能が一番うまくいっているのは日本共産党だと思う。
「じゃオマエは共産党シンパか?」と尋ねられればぼくは口ごもる。その理由を書くと長くなってしまうので省略します。


 2011/07/30 (土) 夜明けにガムを噛みながら

昨晩は「人間の事実」を読んでいた。
著者の柳田邦男は、さまざまの病気や障害と戦いながら末期を迎えたひとたちの「しぼりだされた言葉」を収録・出版したことで有名なノンフィクション作家だが、ぼくの場合はどうしても脳卒中で倒れたひとなどの闘病手記のほうに目がいってしまう。


例えば、横田三郎氏の「脳卒中リハビリ日記」。
・・・横田氏は失語症ときかされた時、頭のなかにストックされた言葉が録音テープの音を消したのと同じように、すべてなくなってしまい、もう一語も話せなければ書くこともできなくなったのかと早合点し、自殺しよう、死んでしまったほうがいいと、暗いことばかりを考えて過ごした。しかし脳から言葉が消えたのではなく、頭のなかで思っていることが、声になって出てこない、文字という形にして出せない、つまりアウトプットのはたらきがうまくいかなかなったのだということが、やがてわかってからリハビリに励むようになる。
確かに、失語症という言葉には、「あなたは言葉を失った人だ」という、宣告的な響きがある。、難語症とか難話症とか言えば、患者さんも幾分か心の負担が軽くなるはずだ>という横田さんの訴えは、その身になった者でなければ出てこないであろう。こういうところにこそ、闘病記が書かれる意味がある。・・・
今朝の8時、ぼくは鉄づくりに励むひとの家に友人女性と一緒に行った。
「たたら鉄同好会」の本拠だ。
既に会員が集まっていて、その方たちの話を伺った。
「倭の国の製鉄は出雲が有名やけど、ルーツは越前のここ金津にある」と某氏が言う。


確かに、「金津」という地名は、金=製鉄と津=河戸の意味を併せ持っている。
若い頃に古事記でヤマタノオロチの伝説を読んだ時、注釈に「ヤマタノオロチとは製鉄技術を持って出雲を侵略しにきた高志の国(越前)が比定されると書いてあった。


結果として越前軍事集団は、素戔嗚尊等の前に敗れ去るのであるが、我々の先祖が強大な軍事政権をもっていたことを忘れないでおこう。
そして「金津」という地名に誇りを持って生きていこう。

 2011/07/29 (金) 本日は議会活性化特別委員会


ロッテやヤンキースで活躍した野球選手・伊良部秀輝がロサンゼルス近郊の自宅で自殺したというニュースは物悲しさを感じさせる。


テレビの番組だったか週刊誌だったかで、彼は「野球選手として有名になることで、別れた親が名乗り出てくるのを待ちたい」と言っていたからだ。


ピッチングをテレビ画面で観たのは二度しかないが、ぬきんでた剛球を披露していた。酒を飲むと周囲に乱暴狼藉を働き、「松井とはなんと違うことよ」と、ニューヨークヤンキースのチームメートを驚かせた、という。


恐らく親とめぐりあうことはできなかったのだろうが、ぼくにとって、「記憶に残る男」のひとりとなったのは確かだ。

きょうの午前中は、議会活性化特別委員会が開かれた。
この特別委員会を立ち上げた目的は、「議会を、市民のみなさんに対してより開かれたものにする」ことなどにある。


委員会は、今から月二回程度のペースで開かれますが、討議された内容などの進捗状況及び開催日については、
あわら市ホームページ→議会→お知らせ
の順にクリックしていけばわかります。

 2011/07/28(木) 山折氏講演


「山折哲雄・文化講演会」を聴きに吉崎御坊蓮如上人記念館へ昨晩でかけた。(そういう講演会があるなんて全然知らなかった。メールで知らせてくださった〇〇さん、ありがとう)


昔から、ラジオでの対談を聞いたりエッセイを読んだりはしていたが、肉声を聴くのは初めてなので、ミーハー的にドキドキしながら山折さんの登壇を待った。





「今年80の私・山折は老人フリーターです」が第一声だったが、これはゲットだ頂きだ。65歳になったらぼくもこの言葉を使わせてもらおう。


1時間の講演を聞いて強く感じたことが2、3あった。


浄土真宗開祖の親鸞が悪人正機を唱えたのに対して、中興の祖・蓮如(8世だったかな?)は善人正機を唱えた、と山折さんは言う。


親鸞の「悪人正機」の捕らえ方は複雑なのだが、ぼくは三国町の僧侶から聞いた「悪人とは自分が悪人であることを自覚しているひとのことです」という自己評価的解釈が一番なじんでいた。


けれども山折さんは、善悪をあくまでも客観的評価として捕らえ、親鸞のつまり武士階級勃興の時代と蓮如のつまり応仁の乱勃発による民衆の登場の時代との世の中の背景の差による違いだと解説した。
ぼくは、親鸞が思想家で蓮如は政治家だと思っていたのだが、そういう二元論で見失ってしまうことのあることを感じた。というより、ぼくら庶民も歳をとるにしたがって見えてくるものがあるということか。


「北陸路つまり越前から越後までの落日の風景に日本人の原風景・仏教的無常観があり、それに深く関与しているのが親鸞・蓮如・芭蕉・良寛である」と言った。


ぼくの偏見かもしれないが
芭蕉を除く三人は、女性との関りを持ち続けた。
これを下世話に言ってしまえば女好きということでぼくと同じレベルになってしまうが、そうではなくて人間は人間一般であると同時に男性あるいは女性でありそこに永遠の何かを求めたということだ。


吉本隆明さんが若い頃に書いた「共同幻想論」のなかの、自己幻想vs対幻想を彷彿とさせる。


 2011/07/27(水) きょうは打ち合わせ会議ふたつ


中国の高速鉄道脱線事故に対する処理の仕方は、確かにマスコミの言うとおりひどいものだと思うし、高度経済成長に伴うひずみの露呈の噴出という見方もできるだろうが、首をかしげる日本も原発事故への対応のひどさで世界から注目を浴びているのだから、ひとのことは言えない。


ぼくが高校を卒業する頃、中川県政の下で若狭が「原発銀座」と呼ばれるようになっていた。
その時、 武谷三男の「安全性の考え方」を読んだのだが、こむつかしくってよくわからなかった。10代から20代という感受性の最も豊かな時期にそうだったのだから、バカアタマと化した現在はもっとわからないに違いない。
それよりも、誰かのエッセイに「原発建屋の威容風景は日本の海岸線の豊かな自然に対する最大の冒涜である」と書かれていたのを今でも覚えている。


しゃばでいろんなことが起こっているうち、いつの間にか阪神タイガースがセリーグ二位に浮上した。


昨日の結果
①阪神が中日をくだして単独二位に浮上した。・・・喜ばしい。
②巨人が横浜に零封され五位に転落した。・・・ますます喜ばしい。


ぼくが幼少の頃、「巨人・大鵬・玉子焼き」が子どもの好きなものの代表と言われていたが、ぼくは柏戸が好きで大鵬は嫌いだった。阪神が好きで巨人は嫌いだった。でも玉子焼きは好きだった。


ぼくが阪神を好きである理由のひとつに真弓監督の存在がある。ちょっとした縁があるのだが、個人情報保護法に抵触するので、ここに書くことはできない。


 2011/07/26 (火) 最近涼しい日が続く


藤野厳九郎記念館や芦原温泉芸妓会館などの入る「えち鉄湯の町駅前広場」の整備が進んでいるが、もともとこの広場の一部は屋台村へ来る客・えち鉄利用客などに利用されていた。
出来上がる広場内の駐車台数は20台と少なく、当然マルチパーポスとはいかない。
目的別の利用管理をはっきりさせる必要がある。


先だっての厚生経済常任委員会で、下記写真右側のゾーンの利用についての議員からの提言があった。




北幼児園・南幼児園が統合移転されたことに伴い、南幼児園の建物が解体撤去され、整地が進んでいる。ここをえち鉄利用者のための「ライドアンドパーク」用地とするそうだ。


いずれにしろ、はっきりと峻別した利用管理にしなければならない。


 2011/07/25 (月) 新しい週の始まり


「山本太郎が見た福島の現実」の動画は福島のこどもたちの内部被ばくについて語っている。


動画は放射能汚染が福島だけの問題ではないことを訴えていた。ぼくたちのような高齢者に未来がなくともそれはそれで諦めがつくけれども、こどもたちの未来を奪い取ることは、絶対に許されない。


今後をどう生きるか。
それを考えるために、ひとり旅をすることを決心した。

 2011/07/24 (日) 我が家の工事順調


夕刻に開かれた「吉崎湖畔の夕べ」にしばらくの間だけ行ってきた。



会場から御山が見える。御山には高村光雲作の巨大な蓮如像がある。光雲はぼくらの世代にはそんなになじみがないが、息子の高村光太郎にはある。


親父の彫刻の島国的作風に反発して西欧へ留学し(ぼくがハイデルベルグ音楽院へ行ったのと同じだ)、日本へ帰ってから長沼智恵子を見初めて結婚した。後に精神異常をきたした智恵子を思って「智恵子抄」を書いた。


東京の空 灰色の空
本当の空がない と智恵子はいう
・・以下略


智恵子にとっての「東京の空」は実は光太郎のココロだったのだ。光太郎は「全身美学の徒」であった。妻・智恵子にも八頭身で日本人離れした容姿を持つ言わば美の女神的存在の部分しか認めなかった。光太郎は智恵子に普通の夫婦が持つ感情の交流を求めることなく、ひたすら詩や彫刻つまり美の世界に耽溺し続けていた。
智恵子はそれが寂しかった。美の求道者である光太郎を尊敬しつつもそれが寂しかった。そして精神異常をきたしてしまった。


ぼくも又建築家として「美学の徒」ではある。
しかしぼくは女性を美の対象として見たことはない(そりゃあきれいなほうがいいが・・)。ぼくにとってすべての女性は胸襟を開くことのできる対象だ。




湖畔は凪でいて静かだ。浮かんでいる灯籠を眺めていると束の間ではあるが、心が穏やかになる。


でも眺め続けていると、汚染された福島の海に思いが及ぶ。


自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72・5%が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらによることが22日、共同通信の調べで分かった。当時の役員の92・2%が献金していた実態も判明した。電力業界は1974年に政財界癒着の批判を受け、企業献金の廃止を表明。役員個人の献金は政治資金規正法上、問題ないが、個人献金として会社ぐるみの「組織献金」との指摘が出ている。福島第1原発事故を受け、原子力政策を推進してきた独占の公益企業と政治の関係が厳しく問われそうだ。(共同)

こういう記事を読んでいると、自民党に原発を論ずる資格は既にないと思うし、今を託すべき政党が自民でも民主でもないというのが我々国民の素朴な思いだろう。

人間が自然の猛威に翻弄されるのは、ある意味自然だ。それは、地球が人間の為に存在しているのではないからだ。


しかし、原発のような人間自身が作り出したものに拠る被害に関しては、加害責任を徹底して追及しなければならない。
太平洋戦争の戦争責任をめぐって「一億総懺悔」という言葉が戦後日本を席巻したけれども、そうであってはならない。



 2011/07/23 (土) 週末に


また週末がやってきた。きょうの夕刻に「吉崎湖畔の夕べ」があるけれども他には予定がなく、図書館めぐりなどでのゆったりとした週末となるだろう。


暇さえあればDVDを観ていた期間がやっと過ぎて、又読書世界に戻っていこうとしている。
本など読んだって一文の得にもならないし、世の中にはもっと楽しいことがわんさとあるんだろうが、何故読書に惹かれるんだろうか。


政治(国政)に対する幻滅という側面がひとつあると思う。みんな出たがり屋の目立ちたがり屋の権力志向者のように思えて仕方ない。


かって秦野章が「政治家に正直を求めることは、八百屋で魚を求めることだ」と言ってたが、市議もまた政治家の最末端に属していることを思えば、魂のカタルシスを読書に求めなければ、ということになる。


本のなかでも歴史ものに惹かれる。惹かれるというよりも仕事の一部という気がする。歴史もので、先人の業績のプラスマイナスを学ぶことが明日へつながることだと思えて仕方ない。


 2011/07/22 (金) 管内視察

昨日は厚生経済常任委員会管内視察で17箇所を回った。
写真を見てください。


夜は意見交換会・・と言っても実態は懇親飲み会だ。
ぼくは昔から夜が苦手なので、この種の飲み会には必要最低限しか出席していない。しかし昨晩はいつもと違った。


やはりアルコールが入ってこそ気分が滑らかになる場合がある。
アルコール摂取の利点
①相手が男性の場合
嫌いなはずの相手が好ましく思えてくる。これを幻覚と呼ぶのは当たってない。気持ちが無防備になることによって自分のなかにある底意がみえてくるのだ。
あるテーマについて意見の違いがあるのはひとがひとである限り当然だ。
大切なことは
「俺はあんたの意見に反対や。けど、あんたの意見の表明は大切にする。命にかえてもそれを大切に守る」・・・ちょっとかっこよすぎるか。


①相手が女性の場合
全ての女性が美しくみえる。


 2011/07/21 (木) 未明に隠れ事務所の清掃をやりながら


昨日の午後、「坂井地区介護保険広域連合議会」が開かれた。
午後1時半から全員協議会、3時から本会議。提出議案は


 ①  議案第6号  平成23年度坂井地区介護保険広域連合一般会計補正予算(第1号)
 ②  議案第7号  平成23年度坂井地区介護保険広域連合特別会計補正予算(第1号)
のふたつ。詳しくは、議会事務局で閲覧できます。


一般質問者はふたり。
去る6月15日に参議院本会議で可決された「介護保険改定」の中身に対する不安を問うた。


全員協議会で伊藤議員(坂井市)から「運営協議会報告」があった(ぼくも運営協議会のメンバー)が、「第5次介護保険計画(H24-H24までの三年間)策定委員会」と「運営協議会」との関りかたに重点を置いた報告との印象を受けた。


本日は厚生経済常任委員会管内視察。
それが終わったら意見交換会が予定されており、本日も忙しくなりそうだ。


 2011/07/20 (水) 


昨日の朝は、福井佼成議員懇話会の総会が開かれた。
第Ⅰ部・平成23年度総会が終了したあとの第Ⅱ部・研修会は気比神宮宮司・角鹿尚計さんによる・講演「「江」(崇源院・達子)をめぐる人々」。


これが滅法面白く、予定時間一時間はあっという間に過ぎてしまった。一週間ほど前に、中島道子さんの小説・「江」を読み終えたばかりだったのでなおさら興味を惹かれたのかもしれない。


浅井長政の遺児「茶々」「初」「江」の三人は、羽柴秀吉によって攻められ炎上する越前・北の庄城から脱出し、その後数奇な運命をたどる。


即ち、茶々は秀吉の側室となり、初は京極高次の妻となり、江は徳川二代将軍・秀忠の妻となるのだが、徳川政権下に将軍の妻として生きた江は言ってみれば日本国女性最高の権力者として、当時の大奥を支配した春日局と確執を演じるのである。


NHK大河ドラマ「江」でみせる上野なんとかが演じる江と、歴史資料に残る江との間には大きな隔たりがあるとのこと。全国民が見る大河ドラマ(といってもぼくは見たことないが・・)の江は、それ故最大公約数的に落度のない人柄とせねばという脚本家による配慮の結果としての産物だろう。


しかしぼくは尊敬される度合いだけ軽蔑されるのが人間というものだと思っているので、万人に好かれる人からリアリテイを感じることなど今までにも無かった。


 2011/07/19 (火) 明け方の東の空を黒雲が流れてゆく


祭りが昨日で終わり、きょうから各種委員会などのスケヂュールが予定されている。50代までと違って60代に入ると忙しさに嫌気の出る時も時折あるが、与えられた仕事に取り組むことは当然の義務である。張り切ってやっていこう。なでしこジャパンを見習おう。


ところで、住宅兼事務所の完成まで既に三ヶ月をきっている。本日も、大型台風の接近が伝えられているが、防災的牧田家住宅のはやい完成が望まれる。
問題は事務所の使い方だ。
設計事務所であるような議員個人事務所であるようなミニバーであるようなインターネットミニスタジオであるようななんかそういったもの。
ぼくはそこを「方丈庵」と名づけたい。


 2011/07/18 (月) ワールドカップ決勝



今朝未明の3時半からはサッカー女子ワールドカップの決勝戦「日本vs米」をテレビ観戦。
圧倒的な体格差を誇る米国が、開始早々日本ゴールを再三にわたって脅かす。米国が一点を先取した時には、うーん・・日本はワンサイドで負けるのか」と思ったが、どっこい、後半になると米国のスピードが鈍り始めた。
重量選手は、走り回ることでのエネルギー消耗も又大きいのかもしれない。

後半に宮間がコーナーポストをゆるがして試合は振り出しにもどった。


延長戦も同じような展開となったが、終了4分前に沢が決めた後ろ向きのシュートは芸術品だった。
そういえば、「土俵の鬼」とうたわれた初代若乃花勝治は、「背中に目を持つ男」とも呼ばれていたのだ。


結局、PK戦での決着で日本が世界一の栄誉に輝いたのだが日本GK海堀の一本目のブロックも右足の先端でボールをはじき返すという離れ業だった。


柔よく剛を制した試合はみごとで、よかったよかった本当によかった。


 2011/07/17 (日) 朝焼けの空を眺めながら 


きょうは金津祭り中日(なかび)。東区と中央区の山車(鏡獅子及び浅井長政)が町内を勇壮に練り歩く。
この金津祭りの特徴は本陣飾りにあって、他のところの祭りではなかなか見られないものだ。昨晩は、東京から帰省した妹と一緒に各地区の本陣飾りを見てまわった。


ぼくが一番好きなのは、夕闇のなかを高貼り提灯掲げて練り歩く「かえりやま」の光景だ。神仏と無縁のぼくだけれども、光と闇が交錯するこの光景には感動する。ナショナリストではないが、つくづく日本人に生まれてよかったと思う。


きょうは、角瓶を飲みながらぐうたらに過ごそう。いつもぐうたらだけれども、正真正銘ぐうたらに一日を過ごそう。


 2011/07/16 (土) もう週末か


昨夕、自宅近くの「ゲンキー」で買い物(サントリー角瓶)をすませ駐車場へ出たら、車のなかから手を振っている女性がいる。近づくと、中学時代の同級生だった。


相手が元教師なので、ぼくは学校給食についての考え方をいろいろ聞いた。
現在の給食は、旧芦原町がセンター方式・旧金津町が自校方式を採用しているが、教育委員会はセンター方式に統一する案を推し進めている。


ぼくは旧金津町在住なので自校方式に対する思い入れが強いが、本心では弁当方式が一番だと思っている。
親が子どものために弁当をつくるのは当たり前だし、例えそれが梅干弁当とかトロロ昆布弁当とか栄養価の低いものであったとしても、子どもにとっての思い出づくりになるからだ。


それはともかく、教育委員会がセンター方式での統一を押しすすめる第一の理由にコストを挙げている。
確かにコストを無視することはできないだろうが、イニシャル・ランニングコストの差如何で住民は是非を考えるはずなのである。


各地区での住民説明会に参加する数が非常に少なかったらしい。5年前の学校問題の時とは雲泥の差だ。
不思議に思ってある若い母親に尋ねたところ、「だって牧田さん、行政側ははじめから、方向を決めてしまって通過儀礼としてやってるだけなのよ。参加しても意味ないわ」という答えが返ってきた。



 2011/07/15 (金)  今、7時


昨晩は、DVD「日本以外全部沈没」を観ていた。筒井康隆原作のこの映画に筒井自身が数行のセリフででていたが、貫禄があってなかなかよかった。そういえばこのひとはもともとが小説家志望ではなくて役者志望だったのだ。


映画の時代背景は2044年で、この年に地球の海底のマグマが異常活動を呈し、世界の大陸が次々と海底に沈みこむ。


日米安保条約で日本の隣人となった米人の何百万人かが、難民として日本に流れ込み、大暴落でもはや紙くずとなったドル紙幣を持つ米難民たちは、世界の最富裕層から最貧困層へと転落する。
食料を自給できない日本に於いて、日常化した大根や白菜の奪い合いをドタバタ調に描いていくのだが、地球で唯一海面上に顔をだしていた日本列島も最後には海底に沈みこむ。
その瞬間、もはや電気のつかない部屋の片隅で、ろうそくの火を眺めながら主人公は「すべてが今終わる。しかしそれは新しい何かの始まりだ」とつぶやく。


少々道筋が違うとしても、筒井が思い描いた恐怖が、30年もはやい2011年の日本で現実となったことで、ぼくは「共同体の死」というものを強く感じた。


とにかく暑い。暑いけれども、今からぼくは炎天下の作業に出かけなければならない。


20年ほど前、あの夏目雅子(伊集院静の嫁はん)がどこかの化粧品会社のポスターガールをやって人気絶頂だった時、ポスターに書かれていたキャッチコピーが「夏してますか!」だった。


その年の夏、友人女性から届いた暑中見舞いに、「夏してますか!」と書かれていたので、見舞い返しの礼状に「暑いからしてません」と書いて送ったところ、「バカねえ、そういう意味じゃないのよ」という電話がかかってきた。

 2011/07/14 (木)  夜明けに

被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力』

日本の女子サッカー、強いです。
スウエーデンを3対1で破り決勝進出だ。明け方のこの試合を衛星放送で観ていて興奮した。
阪神タイガースの試合観戦以外には全く興味のないぼくだったけれども、認識を新たにした。

今朝、山川知一郎さんから、電話がかかってきた。
前回に引き続いて、宮城県古川市へ一泊二日で行くとのこと。
ぼくと違って老齢の身なので、カラダをいたわりながらボランテイアに励んでほしいものです。

それにしても暑いなあ


空に演説会がある
真昼の正午
人間には聞こえない声を
万物がしーんと聴いている
どこかで
石が
音を立てて乾いている   高見順「炎天」


 2011/07/13 (水) 無題


昨日は、午後4時に就寝。午後10時に目覚め、台所へ行ってテレビをつけた。


画面は関孝和を特集している。解説者が関を「日本数学史上最高の英雄的人物」と褒め称えていた。


その数学理論についてはまるで宇宙語を聞いているみたいで、最初から最後までチンプンカンプンだったが、「和算といえば関孝和、関孝和といえば和算」が江戸時代のキーワードとなったのは確かだ。


明治期の為政者が「和魂洋才」を喧伝したのは間違いだった。「和魂和才」路線で頑張れば、今日(こんにち)的な国の混乱はなかったはずだ、と半分真面目に思う。


ところで、数学など我々一般庶民の生活の足しにならないのは言うまでもないが、ぼくの場合、足しになったことが一度だけある。


30年ほど前に、ぼくは九頭龍ダム湖へある娘と一緒に行った。
ダム湖にかかる橋を歩き、中央附近から橋の下を覗きこんだ。数十メートルはありそうだ。

ぼくは橋の路面に落ちていた小さな石を拾い右手に持って、「地球には万有引力というものがあります。そしてその重力の加速度Gは9・8m/s2です。だからモノが落下した距離は落下に要した時間Tでわかるのです。その式は落下距離をLとすると、L=1/2・G・T・Tです」と言いつつ湖面に小石を落とした。


幾分顔を赤らめた娘の表情は「まあ、牧田さんてなんて知的なかた・・なんて素敵なかた・・」という思いを物語っていた。


その娘は後年(こうねん)ぼくと結婚し、同居生活で実像にがっかりし、ぼくへの評価はガタオチとなるのだが、数学が娘をひっかけるのに役立ったという事実だけは残っている。


愛しい「モンステラ」へ水遣りをするわたし。


 2011/07/12 (火) 深夜に牛乳を飲みながら


昨日の夕刻に、「議会活性化特別委員会」が開かれた。
読んで字の如く、議会を活性化させるためにどのようなことをすべきか、をめぐって討議を重ねていく7人の委員会で、「活性化」とは「市民に議会のありようを知ってもらう」という意味を含んでいる。


議員個々で言うならば、地区で報告会を開いている議員、新聞をだしている議員あるいはぼくのようにブログ発信をしている議員とさまざまだが、例えばぼくの場合、書き始めた10年前は真面目文体だった(と思う)ものが幾星霜で堕落し「戯言的駄文日記」となってしまった。しかしこれは堕落したというよりも本質が露呈してきたというのが正解だろう。

いずれにせよ、「議会活性化特別委員会」が目指すものは、個人発信と一線を隔すものである。
そして「あわら市議会基本条例施行」は、来年4月となる予定です。



今朝の夜明けに、白山連邦からの日の出を眺めながら、600キロかなたの東北地方を思っていた時、アタマに浮かんできたのが茨木さんのこの詩。


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね
               
 茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」


所詮、プロにしか書けない言葉の並びだけれども、ぼくのようなバカアタマでも共感することはできる。
共感・・これがとても大事だと思います。


 2011/07/11 (月) きょうは議会活性化特別委員会


昨日の午前中は、「ふるさと語ろう会」のメンバー10人であわら市内を回りました。
行ったところは次のとおり。


堀江公番田館跡



会のとんぼさんが、堀江氏の由来を解説なさいました。


福園寺



美しかった。勿論、木製細工がです。



春日神社



県指定の文化財になったとのこと。
ここの境内で、同行した内田さんが注連縄の貼られた樹に手を当ててじっとしていたので、その動作の理由を聞いたら、「樹と気の交感をしていた」とのことでした。


龍雲寺



講話のBGMはクラシック音楽でした。



西国33ヶ所観世音(御前神社



ぼくの冥界への旅立ちも近くなってきました。


 2011/07/10 (日) 日曜日の朝に


名月や 座にうつくしき ひともなし
                芭蕉



昔からこの句が好きだ。
名月を季語にした句会の様子を詠んだ句で、「誰よりも立派な句を詠もう。そして芭蕉先生に認めてもらおう」というミエミエの魂胆が顔に醜くあらわれていることに嫌気がさした芭蕉の句だ。


別に俳句修行の世界だけのことではない。議会の世界もおんなじだ。議会の場合は、「芭蕉」が「有権者」となるのだろうが、「有権者」へのゴマスリに終始するならば、ポピュリズムということになる。


 2011/07/09 (土) もう週末か


建前の日が建築職人にとって、ハレの日のひとつであることは言うまでもない。



昨日は自宅の建前で、沢山の職人が現場に集まった。


昼食をよしの旅館でとってもらい、ぼくは御礼の挨拶を口上した。


建築設計をナリワイとしてきたぼくにとって、建前は日常的な光景なのだが、妻にとっては珍しいもので(一回きりだから当然だが・・)、隣席のぼくにしきりに話しかけてくる。


「おとうさん、大工さんや鳶職のひとって、男の魅力いっぱいや。高い梁の上をカケヤもってすいすいと歩き回る敏捷性とあの力こぶ。そして休憩中の会話の感じのよさ。話すことや書くことを商売にしているひとたちのうさんくささとは大違いや」と言う。


線引きを生活の基本にしているぼくがどちらの陣営に属するのかはよくわからないが、妻の言葉に対しては丁寧に相槌をうつばかりだった。


ところで
今週が忙しすぎたものだからきょうの土曜日は安息日を決め込み、朝一番で旧金津町時代の助役・Eさんのところへ行って畑時能の話に興じた。
Eさんの家を出て、達川さんの会社へ直行。「年寄りの村」づくりの話に興じた。


隠れ事務所に戻ってからは、DVDで「ヴィヨンの妻」を鑑賞。
原作は言わずと知れた太宰治だ。


若い時からぼくの周囲には太宰嫌いが多く、その影響からか太宰の小説は一冊も読んだことがない。そこでDVD鑑賞となったわけだが、死ばかりを考えていた太宰の人生観がダイジェスト風によくわかる。


太宰を愛してやまない美人妻をうっちゃりバーの女給や人妻と交情を重ね金を無心しある時にはだまして金をとり、しかし不思議といろんな女性にもてるのである。


「もてる」という一点にかんしては、ぼくに似ていなくもないが、もてかたが全然違うのでぼくはとまどってしまった。


 2011/07/08 (金) 昨日の一


昨日の午前中にCADをこなし、昼一番で芦原中学校へ行った。



               

芦原中学校生徒の福祉体験ということで、自分の役目は読み取り通訳だ。
聴力障害者Kさんは
「ファクスやメールやパトライトなどが普及して、聴力障害者の生活は、ふつうのひとと変わりないものになってきた。けれども健聴者とのじかのコミュニケーションのできないことが一番悲しい。皆さんも手話を覚えてください」と言っていた。


たしかに人生のはりは、ひととのコミュニケーションだ。生活の利便云々は二義的なものにすぎない。


ぼくは福祉会場を途中で抜け出し、坂井地区介護保険広域連合へ。
そこで運営協議会が開かれた。
事務局から、次の坂井地区介護保険広域連合議会(7月20日)で提出される議案
①平成23年度坂井地区介護保険広域連合一般会計補正予算(第一号)
②平成23年度坂井地区介護保険特別会計補正予算(第一号)
についての説明を受けたあと
「第5期介護保険事業計画策定体制」についてがテーマとなった。
本年度の策定委員会開催が6回の予定なので、運営協議会もそれに呼応して節目節目で開かねば、というコンセンサスができた。


運営協議会終了後は、メンバーで春江の夜の街へ繰り出し、某料亭で懇親会。人間とは不思議なもので、酒が入ると神経が鋭敏になり、運営協議会ではアタマに上ってこなかったこまかいことをいろいろ質問できてとてもよかった。


代行運転の車がきたので料亭を出ると、外は土砂降りだ。
「明日の建前(自分の家と自分が設計した建物のふたつ)は大丈夫だろうか」と心配になった。


けど、今朝起きると雨はすっかりあがっている。


 2011/07/07 (木) 昨日の一日


昨日の午前中は、広報編集特別委員会が開かれた。旧メンバーでの最後の委員会だ。「議会だより7月号」は、今月中旬にみなさんのところに届くと思います。


午後は、坂井市春江町の鉄工所で製品検査。匠の世界だ。ぼくも図面書きという職人なので、古巣へかえってきた気分だった。



夜は坂井市坂井町の「イネス」で議会報告。聴衆は70人くらいか。最近はしゃべりに計画性がなくなった。自然体の自分だけが残っている。



終了後、聾唖者友人宅で手話講習の打ち合わせをこなしてから帰宅し、妻との晩酌に臨んだ。


妻に忙しかった一日を報告すると、「おとうさん、歳をとってくるとやることがなくて寂しい生活を送っているひとが多いんや。それに比べりゃ、相手にしてくれる人たちがいるぶん、シアワセやと思わなあかん」と、叱咤激励されてしまった。


それはそうかもしれないが、一方で、この世の秩序から逃れたいという気分・厭世気分が進行し、山頭火的世界へのあこがれが募る。

               


 2011/07/06 (水) きょうは広報編集委員会


我が国の混迷がどこからきているのかというと、それは
官や政治家(国会議員)が、自分たちを「お上」だと勘違いしていることだ。戦後憲法においては、日本の主権者は官僚でも政治家でもない。一般国民こそ主権者だと決めている。官僚も政治家も、国民のために尽くす存在、国民に対する奉仕者でしかないのである。


ぼくのような初老のものにとっては、「又か・・」の諦念や嫌悪の感情が走るだけだけれども、次世代にとってはそれですまない。
「国民に対する奉仕者」はマスコミを通して名をあげるための手段としての美名でしかないと認識するようになる。つまり信頼できなくなる。


もっとも
ぼくの好きな詩人が次のようなことを言っている。
<総理大臣だから偉いとか、大学教授だから偉いとか、あるいは名だたる芸術家だから偉いとか、そういうふうに思わないほうがいい。人を見る上でもっと大事なことを挙げるとすれば、それはその人が何を志しているか、何を目指しているかといった、その人の生きることのモチーフがどこにあるかということのほうだと言える気がします。>


これをぼくなりに解釈するならば、<市井の片隅に生きている素(す)のままの自分を見つめることが全てであって、それ以外はデフォルメだ。>ということだろう。
                       


 2011/07/05 (火) 雨上がりのひんやりとした夜に


昨日、三国土木事務所へ行った帰りに、三国町陣ケ丘の「ラーバンの森」へ寄った。オーナーは牛の乳搾りに一生懸命だった。人間と違って牛の乳搾りが不得手なぼくは彼の作業をしばらく見ていた。


ここの施設のいろいろをぼくが設計しているので、それらのことについての四方山話をしたあと、別れ際に写真を撮ったのだが



何故かぼくの顔がくろくうつっている。

ところで
昨夜TV放映された松本復興相の放言に呆れなかった国民は皆無だと思う。言ったことのなかにはうなづける点もあったが、立ち居振る舞いがひどい。ひどすぎる。「これはオフレコだ」と言っておきながら、放映されると謝罪するというのも節操のなさのあらわれで、政治家としての死は免れ得まい。
とにかく、国民の政治家不信は極点に達したとおもうなあ。


で、どうすればいいかというとよくわからないのだが・・。


 2011/07/04 (月) 深夜に熱々珈琲を飲みながら


先週で6月議会定例会が終わった。
今週は、委員会、広域連合議会運営協議会、議会報告、手話講習会などスケヂュールだらけでおまけに家の建前まで予定されている。


6月議会が終わったら、さすらいのひとり旅に出ようと思っていた。
知っているひとたちの顔をみるのに飽き飽きしてきているので、知らない鄙びた海岸沿いの土地へいって傾きかけた民宿に泊まり、民宿のおばあさんからその土地の言い伝えを地酒片手に聞いたあと、潮騒バックに読書に興じるという目下(もっか)のところ一番のシアワセに束の間浸りたいと思ったからだが、できるかどうか今のところわからない。


ということで
昨日の日曜日は住宅設備機器ショウルームをみてまわっていた。
ぼくが建築設計の道に入った40年前と比較すると住設機器にも雲泥の差がある。


あかぬけて、エコで、除菌で、無臭で、操作が自動化されてとセールスポイントだらけだ。それはそれでいいのだが、一方で人間の身体能力を阻害させていくものであるとも思った。


2011/07/03 (日) 早朝に神社の草むしりを終えて


数日前にあるひとが、「名新まちづくり委員会」作成の新田義貞顕彰の本を持ってきてくださった。
拾い読みをしていると、面白いことが書かれている。
新田は延元3年(1338年)に斯波高経軍の待ち伏せによって福井市新田塚で死んだのだが、越後の援軍2千騎がその翌日、新田の陣に到着したという。
歴史とは皮肉なものだ。


戦国末期、織田家の筆頭家老つまり信長の後を継ぐ力のあった柴田勝家は本拠地・北ノ庄城を羽柴秀吉に攻められ、天守閣でお市とともに死んでしまうし、初代福井藩主・結城秀康は徳川家康の二男として文武両道の誉れ高かったのだが、終に将軍になれず加えて息子の悪行を菊池寛・「忠直卿行状記」に書かれてしまった。


越前は中央覇権者に近い人物は出しても、ナンバーワンを輩出する地ではないのかもしれない。唯一の例外は継体天皇か。


2011/07/02 (土) もう週末か


こういうのを読んでいると、世界は裏世界にコントロールされているという気になってくる。


権力闘争の舞台裏を覗けない我々国民は、一日の仕事が終われば家路につき家族と束の間の団欒をして寝床に入る日々を繰り返すだけだ。


思うにそのことが「ささやかなしあわせ」というものなのだろう。
ところが、昨晩は突発的な体調異変を起こしてしまった。


主治医のもとへかけつけ診察を受け、四方山話をしているうちに段々落ち着いてきた。
家に帰ると「貴方は意志力が弱い。節制しようという努力が足りない」と妻に説教されたが、逐一あたっているので、ばくは黙ってうなづくだけだった。

今朝起きると、体調がすこぶるいい。昨夜の異変はなんだったんだろう。
「節制しろ」という神の啓示だったのかもしれない。
生に対する執着は確かに薄らいできているけれども、生きている限りは体が人並みであるほうがいいに決まっている。


この日記を読んだひとから、心配の電話もかかってきた。
ひとさまを心配させてはいけない。清く正しく美しく生きていかなければならない。



 2011/07/01 (金) きょうから7月


昨日は議会最終日。付託議案の採決が済んだあとは、組織議会となった。


組織議会とは
議員任期4年間のうちの2年間を経過したので、議長はじめ各常任委員会、特別委員会等の新たな委員の選出を行うものである。


午後7時を過ぎて、ようやく終了。
ぼくたちヒラ議員は、新議長に対して真摯に思いを伝えていかなければならないと思います。
新しいメンバーについては、あわら市のホームページから検索できるはずです。


午後8時からは芦原温泉某旅館にて懇親会。
久しぶりの家庭外飲食だったせいか、お湯割り芋焼酎数杯ですっかり酔っ払ってしまった。
隣席がよくしゃべる議員だったし、酒を注ぎにくるコンパニオンとは何を話していいのかわからないので、もっぱら聞き役に徹して静かに飲んでいたときに思い出したのが若山牧水。


  白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
           酒は静かに 飲むべかりけり