昨日の午後は、中央公民館において「北陸新幹線フォーラム」が開かれた。
基調講演を、清水慎一氏がやって、そのあとはパネルデイスカッション。
コーデイネーターは江川誠一氏でパネラーは、清水慎一氏、奥村隆司氏、湊谷源邦及び橋本市長。
私は湊谷氏の報告を聞きながら、彼のお父さんのことをずーっと思っていた。
最後に、コーデイネーターが会場(200人程いたらしい)に向かって、質問を求めた。
会場の最後列に座っていた私が参加者の背中をみつめながら、「このひととこのひとが質問するのではないか」と瞬間的に思った時、実際にそのふたりが手を挙げてしゃべった。私は自らの直観力の正確さに驚いたのだが、いずれにしても、「ふるさと語ろう会」の会員が意見を発信してくれるのは嬉しい。
フォーラム終了後はそのうちのひとりと、私の車のなかで雑談(テーマは、太平洋戦争におけるミャンマー戦線とフィリピンでの死闘)となった。
ところで、あわら市の隠れた観光魅力のひとつに宮谷石切り場跡があると、私は思う。去年、私は小林記者をここへ案内した。私にとって5回目くらいだったが、何度来ても神秘を感じる。
以下、新聞記事を紹介(福井新聞・・ どうでもいいことだが、巨大洞窟にひとり寂しげにたたずむ男性が私です)。
宮谷石切り場跡
山道を登っていくと、開けた場所に出た。その先の山肌に小さく暗いトンネルを見つけ、体をかがめて中に入る。懐中時計で照らしてそろりと進んでいくと、光が見えてきた。目当ての石切り場跡にたどり着いたのだ。
石造りの神殿を思わせる神秘的な空間が眼前に広がる。聞こえるのは石から染み出て滴り落ちる水の音と、遠くを走る列車の音のみ。地面にたまった水は、どこまでも青い。
足を踏み入れるのは2度目なのに、わくわくして興奮が収まらない。遺跡を見つけた冒険家のような気分。夢中で歩き回り、カメラのシャッターを切った。
細呂木村誌などによると、この地の石は火山灰か固まった凝灰岩で加工しやすく火に強い。石の切り出しはは1887年(明治20年)ごろ始まり、建築資材や火鉢などに用いられた。セメントが普及するまで、金津から竹田川の水運を利用し、県内一円に出荷されたという。
石切り場がある山の一帯は、JR細呂木駅前の近藤建設(あわら市青ノ木)の私有地。社長の近藤義満さん(46)は「いつかは公開し、パワースポットとして町おこしの起爆剤になれば」と思っている。ただ、山道の整備や周辺の草刈りが必要で、今は余力がないという。
近藤さんは「連絡をしてくれた上で見学してもらうのは構わないが、危ないので気を付けてほしい」と話している。
問い合わせは同社=0776(73)1501 (文・小林真也)
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