今日の早朝に、金津大橋から竹田川を眺めていて、
河戸(百代の過客に収録)を思い出した。著者の八木進さん(故人)は、元坂の下区・区長です。PDFでは読みにくいだろうと思い、ペーパーをキーボード叩きで電子ファイル化しました。
以下です。
「〇坂の下河戸 橋北で一番下流の河戸。12段程の福井石尺六の石段。船着場兼生活洗い場も三尺板石が十二尺程並べられていた。三国から小荷物や川砂・砂利の荷揚げが行われていた。
河戸の向う岸は浅瀬で、坂ノ下・古両区の馬洗い場として利用され、馬河戸と呼んでいた。
〇みそや河戸
生活河戸兼用の舟繋場。終戦後は三国新保からラッキョが荷揚げされ、加工用洗場として利用された。
〇青辰河戸
整備された船着場で、青辰石材店・岡部商店が主な利用者。石材や肥料が荷揚げされ、米が三国湊に積み出された。
〇十日河戸〇市姫河戸
この両河戸は、町の中央、市姫橋の下手に向き合って、片や六日区・新区、片や南金津中心街の船着場で、上りの舟では雑貨、海産物、豆粕などが荷揚げされ、地域の商業に大きな役割を果たした。
〇水口河戸 〇桜井河戸 〇三段口河戸
この頃はまだ上新橋も浦安橋もなかった。桜井河戸からは米が積み込まれ、三段口河戸では砂利や川砂がおろされた。
〇新橋河戸〇八日河戸〇正山河戸〇古町河戸
これらの河戸は、その地域の生活河戸として重宝がられたが、水道や洗濯機の普及と河川改修によって、今は殆んど面影すら見ることができない。
●水口区から坂ノ下区にかけて北金津十ケ所、南金津四ヶ所、更に上流にかけて稲越、矢地、清間、御簾尾、桑原、次郎丸、疋田など各区にあった。
〇水口区の桜井惣一さんの先代までは、三国港へ下りは米、上りは豆粕などを運ぶ自営の舟を持っていた。
〇古町の馬場さんは「おもて屋」の屋号で三国通いの川舟運送業を営んでいた。
〇坂ノ下区の清水さん親子も三国通い自営の水主だった。」
それはともかく
今朝見た「YOU TYUBE」に、日本共産党の小池氏が出ていた。氏の言うことは(全部ではないが)もっともだと感じたし、今度の選挙で議席を伸ばしたことを納得もした。
確かに、(イケメンとは言えないが)志比氏の講演を聞きあるいは市田氏の講演を聞いた時にも思ったことだが、党の幹部もまた人間味あふれる一介の庶民であるのだから、とにかく機関紙「赤旗」の名称を変えなければ、非合法時代の共産党のイメージを払拭できず、これからの伸長は覚束ない。重ねて言うならば「共産党」という党名も変えるべきである。
そう思って、先ほど、あわら市共産党市議・Y氏に携帯電話で語ったところ、返事は「うんわかった」だった。
どうでもいいことだが
プリンターのインクリボンを買いに街へ出て、きょうが天皇誕生日であることが初めてわかった。
祝日ならば祝い酒を飲まねばならぬと思い、原則6時以降の禁を破って5時から祝い酒焼酎「いいちこ」を飲んでいる。ひとりで飲んでも寂しくはない。酔うほどに自分の手が足が五臓六腑が、脳にささやきかけてくるのである。ちょっとだけ寂しくなったので、ある
人に電話したら寂しさは消えた。