西暦19年08月03日 火曜日
西暦02年09月03日 火曜日の日記 夕陽恋
三国土木事務所での打合わせ終え、海岸に出た。
落ちる夕陽に染まる水平線からの風は冷たい。
パリで買ったダーバンのコートのえりをたててのくわえ煙草。憂愁の気分で岩畳にたたずむ私を横ぎろうとするひとつの影がある。
年の頃は42,3か。利休ねずみの鼻緒の草履、浅黄色の地に濃紺紋様の西陣、白いうなじ、島田髪の和服女性は、軽く私に会釈し去って行く。
遠ざかる彼女の細い背中は夕陽の逆光でシルエットと化した。
岩畳を散策する足取りおぼつかなく、不意の波しぶきよけようとした彼女の体が反転しよろけた。
かけつけ、「大丈夫ですか、奥さん」と声かける私に「おおきに、大丈夫どす。それにうち、今は奥さんあらしません」と彼女は言う。
うちとけ、肩並べつつ砂浜を歩いた。いつの間にかふたりの指はからみあっている。
彼女の胸の激しい鼓動が聞こえてくる。抱きしめ口づけを、と思わないでもなかったが議員なので我慢した。
別れた亭主のこと、今彼女にいいよっている幾人かの嫌な男たちのこと、そのうちのひとりが某市の議員だということ、にも関わらず自立し孤高に生きていこうとする思いききつつ、「この人にしろ私にしろ、美男美女の人生につきまとうのは、やはり悲しみと憂いなのか、それが宿命というものなのか」と私はココロでつぶやいた。
気がついたら辺りは既に闇だ。
それでは、と背をむけた私を「りりしいおかた・・・たくましいおかた。うち、貴男様のお名前まだ聞いてしません。今晩のお宿どこですの?教えてくださいな。うち、行ってもかましませんでしょ?ねえ、かましませんでしょ?」と彼女の涙声の懇願が追う。
私は「奥さん、いやもと奥さん。私は名のるほどのものではございません。貴女は私をいとしく思っているのかもしれないが、それは本当の私・裏の私を知らないからだ。どんな男でも、私よりましなのです。恋に恋してはならない。恋に恋したところでなにものも生まれはしない。貴女はいつの日か必ず真実の男性にめぐり合います。ここでさようならすることだけが、お互いを幸せにする道なのです」と答え、歩きはじめた。
背中見続けているであろう彼女の視線に耐えきれず、私はゆっくりと、しかし止まることなく歩き続けた・・・・。
こんなことを岩畳の上で夢想したのだが、こんなシチュエーション、52年のわしの人生に一度もなかったなあ。悔しいなあ。 |
「西暦19年08月30日 金曜日 長宗我部元親」
最も気になっていた仕事をやっと終えた。もうこれで思い残すことはない。
・・ということで
三日間、朝から晩まで、図書館で借りてきた司馬遼太郎著「夏草の賦(一巻、二巻、三巻、四巻)」に読みふけっていた。
土佐の国を併合し、四国さらに日本の国王を目指し、その過程で羽柴秀吉にぶつかり、結局は秀吉の軍門に下り、秀吉の尖兵隊としてのあの薩摩軍との闘いを最後として、勇猛果敢から魂の抜殻へと変わっていく長宗我部元親の一代記で、終章に近づくにしたがって、胸の内での涙がとまらなかった。
元親は50数回の戦いに不敗神話を残した。
それほどに戦争の天才で、あらゆる場面を想定する神経・大局観を持ち合わせながら、でもとかく不器用な男で、<肝心な時にことばを飲み込んでしまう>男だった。それゆえに、表層しか見れない輩からは、常に反発を招いていた。
思うに
饒舌の徒を信用してはならない。寡黙こそが男の美学である。
亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」は、難解な言葉がふんだんに使われていて、意味了解不能故に立ち止まってばかりだが、不思議に本を投げ出したくならない。そのことの意味をずっと考えていた。
僕なりに出した結論は、文章は、その構成要素の全体が美学であるということだ。
「西暦19年08月22日 木曜日 ピックアップ」
昨晩は、皆が帰ったあと、新調の眼鏡で、田辺聖子著「古川柳 おちぼひろい」をにやつきながら読了。
その手代その下女昼はもの言はず
飛び物に夜鷹は客を跳ね返し
麦ばたけさわさわさわと二人逃げ
出会いする上をひばりは舞って居る
女房にひげを抜き抜き𠮟られる
女客亭主馳走に他出する
女湯へおきたおきたと抱いてくる
まくら絵を高らかに読み𠮟られる
書置きはめっかり安いとこへおき
口がるく尻のおもたい居候
腹の立つ裾へかけるも女房也
人は武士なぜ傾城にいやがられ
雨やどり額の文字を能おぼえ
あいさつに女はむだな笑ひあり
二人とも帯をしやれと大家いひ
しかられて枕へ戻る病みあがり
間男の来べき宵なり酒肴
間男を切れろと亭主惚れてゐる
武さし坊とかく支度に手間がとれ
牛若が目がさめますと常盤いひ
判官はどれだと笏で陸へさし
清盛の医者ははだかで脈をとり
すけつねは三国一の死にどころ
仙人さまあと濡れてでかいはうし
毛が少し見えたで雲をふみはずし
五右衛門は生煮えのとき一首よみ
美しい顔で楊貴妃ぶたを食ひ
南無女房乳を飲ませに化けてこい
首くくり富の札などもつている
女房は風雅の友を悪く言ひ
おちゃっぴい湯番の親爺言ひ負かし
末ながくいびる盃姑さし
女房を大切にする見ぐるしさ
死水を嫁にとられる残念さ
初見せは臍まで出して髪を結ひ
泣く時の櫛はこたつを越して落ち
洗ひ髪漬菜のやうにしぼり上げ
相性は聞きたし年は隠したし
女湯の方へ張らせる血の薬
いひなづけ たがひちがひに風邪をひき
国の母生れた文を抱きあるき
信心がつくと娘のむづかしさ
わが跡のしばらく動く縄すだれ
「西暦19年08月21日 水曜日 昨日は久しぶりの阪神大勝」
昨日の夕刻に、金津神社の境内へ行った。金津地区戦没者慰霊祭が開かれた為である。
奏聞会会長の挨拶で、祭は始まった。
「日清戦争・日露戦争・太平洋戦争で亡くなった兵士の皆さんの御霊に向かい云々・・」で始まった挨拶だが、僕は?と思った。
明治以降の戦争というと、明治10年の西南戦争が何故はいらないのか。それは西郷隆盛の明治政府軍に対する反乱つまり内乱であったためか。
しかし戦没者のおかげでこんにちの平和がきずかれ云々・・と言っている。
となると西郷と対峙した、大久保利通ヘッドの政府軍の戦没者もまた国を守った英霊になるのではないか・・と僕の貧しい思考力は右へ左へと揺れ始める。
西暦19年08月19日 月曜日」
石川達三著「金環蝕(上・中・下)」も、ほぼ数十頁を残すのみとなった。九州で巨大な水力発電所を作る計画が持ち上がり、政治家がそれに伴う汚職画策を繰り広げる小説だ。石川達三といえば確か日本にペンクラブ初代会長でその頃の時代背景が類推されるが、全くもって政治家の腐食は今も昔も一緒だ。
「西暦19年08月18日 日曜日 新しい週の始まり」
大型連休もきょうで終わるが、僕にとっての連休は、ひたすら事務所に閉じこもって設計稼業にいそしみかつ、明治期の本を書見する日々だった。わけても小泉八雲著「怪談」にとりつかれた。
八雲と言えば中学だったか高校だったかの教科書に載っていた「耳無芳一の話」くらいしか知らなかったが、この著書は「耳無芳一の話・お貞のはなし・食人鬼・ろくろ首・雪女等々」17の短編で構成されている。
といってもそれぞれは、八雲自身の手になる物語集ではなく、明治期にまだ日本各地に残されていた「説話」に八雲の文学的想像力が深みと拡がりの味付けをしたものである。
彼は明治後期、ギリシャに生まれるが、軍人だった父の配転に伴い、幼い頃、アイルランドに移住しそこで育つ。英領ではあるものの、(今と違って)本国・エゲレスからは差別されいじめられる地域だった。西欧帝国主義に違和感を持った八雲は、自由の国アメリカ・ニューオーリンズに脱出し新聞記者として生計を立てるようになるが、その時に西欧文明に対するアンチテーゼとしての東アジアなかんずく日本に魅かれるようになった。
ちなみに彼の本名はラフカディオ・ハーン で、「小泉」は何のあてもないのに日本にきて国内をさまよい出雲国に着いた時、、偶然出会い世話になった旧家の長(おさ)の姓で「八雲」は出雲の国では有名なあの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」から頂戴しているとのこと。
それはさておき
連休中に家の中でちょっとした事故に会った僕は、妻から一切の飲酒を禁止され、来週の精密検査如何では、手術にふみきるかもしれない。でもそれでいいのだ。煙草さえ飲めればそれでいいのだ。
「西暦19年08月04日 日曜日」
きょうから僕の人生が変わった。
涙が出て仕方ない。
|
|