2012年12月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日

 2012/12/31 (月) 今年最後のブログ

昨晩は、7人(若くない男性5人+若い女性2人)が私の事務所に集まっての麦酒・焼酎的忘年飲み会。プロの料理人の料理に舌づつみを打ちながらのよもやま話に花が咲く楽しい5時間だった。


今年一年を振り返ってみると、飲み会に始まり飲み会に終わる一年だった。それ以外のことは何も覚えていない。
来年もそうなるのだろう。

私は、除夜の鐘が鳴り始める頃、黒いオーバーコートを着てデジタルカメラを持って金津神社へ行く。初参りに行くのではなくて初参りの風景を撮りに行くのである。
私もメンバーである広報編集特別委員会が発行する「議会だより」新春号の表紙写真となる予定。
「議会だより」はあわら市内全世帯に配布されるのだから、いうならば私は写真家としての力量を皆さんにさらけだすことになる。


今(午後10時現在)どきどきしているが、ゴー フォー ブレイクだ。

 2012/12/30 (日) 年の瀬に


責めるな
責めるな
人を責めるのが
一番いかんと朝夕
あたしに告げる
くちなしの花  坂村真民



本年もあと二日を残すのみとなった。年の瀬に一年を総括する癖などほとんどない私だけれども、来年の年の瀬に「議員日記」を書いていることはまずないので、ちょっとだけ感傷気分になって敢えてとりあげるとするなら、この詩の気分です。


大人になって、友人知人からずっと言われてきたのが「牧田には周囲に対する気配りがない。唯我独尊のところがある」で、確かに当たっている。・・というか、もともと自己愛が強くて他人への興味の薄い人間なのだろうと思う。


そういう私でも一応は社会生活を営んでいるので、他人との間に摩擦を感じることはママある。その時の座右の銘を上の詩としている。


関連の警句はいろいろあって、面白かったのが開高健の「顔を見るのも嫌な相手と付き合わざるを得ない時相手の顔をみつめながら、その相手に対する弔辞を考える。そうすれば気持ちがすっきりする」で、これも至言だと思う。
厳寒期に入ったので、メダカたちを金魚鉢に移動した。





金魚鉢の中を元気に泳ぎ回っている。

 2012/12/29 (土) 昨日の一日


昨日の午前中は、ウイルスバスターを買うために福井市内のパソコン取り扱いショップへ出かけた。駐車場に停めた車からドアを開けてヨッコラショと出た時、「牧田さん!」という呼びかけの声に僕は振り返った。10数年振りで会う設備設計關係の男の人だった。近づいてきた彼は、僕の左腕に右腕を絡ませた。アベックのような姿勢となったが、白昼、人ごみのなかでのこのような姿勢は恥ずかしい。


「よろけているように見えたもんで・・・カラダどうしたんですか?」と聞かれ、「お茶でも」と答えた僕は、彼と共に店舗内のマクドナルドカフェに入った。僕はこの数年間に体験したエトセトラを身振り交えて約二時間喋った。久しぶりの人と話すのは気分転換になる。


夜は、DVDで「華岡青洲の妻」(有吉佐和子原作)を観た。監督は増村保造だが脚本を新藤兼人が書いている。


華岡青洲(市川雷蔵)は世界初の全身麻酔での乳がん摘出手術に成功した紀州の医者だが、麻酔薬を完成させる過程で母・於継(高峰秀子=注・僕の永遠のアイドル)と妻・加恵(若尾文子)が実験台となって競い合う。青洲は双方の要求を聞き入れ、双方を実験台とする。最終的には加恵(投与で失明する)の献身的人体実験で麻酔薬が完成する。


1967年公開のこの映画は一般的に「嫁・姑のすさましい確執映画」と言われているが、見終わった僕は、「結果として確執ではあっても、これはむしろ双方の青洲に対する純愛映画ではないか、と思った。



 2012/12/28 (金) きょうは仕事納め


正月は 冥土の旅の一里塚
      めでたくもあり めでたくもなし
  一休宗純


個人的にはここ数年いろんなことがあって、正月をめでたい気分で迎えるということは絶えてなかったし、漂流する日本社会の一員としても同じ思いに捕らわれる。


風狂の人・一休は正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたというが、仮に現代のあわら市に同類の人がいて同類の行動をとったとするならば、果たして軽犯罪法違反で拘束されるのだろうか、仮に拘束されるならば容疑名は?・・誰かやってみる人はいないだろうか、と一瞬思う。


知り合いの地方政治家が、「わしは、日本海のクラゲや。なぜならただようだけやからな」と語っていたが、確かに、今、「希望」を口にする人は楽天家に思えてしょうがない。


昨日の朝、僕は、議会事務局で歳上の市議と四方山話をして、妙に気が合うことを実感した。昭和20年8月15日を幼少年期で迎えた世代と戦後の混乱期に生を受けた世代との間で共通するものは、混乱期に身をもって働く親の姿を見て育ったことである。


戦後を人生の出発点とした我々団塊の世代は、憲法第9条を頭に叩き込まれながら成長した世代でもある。


それから幾星霜・・
「貧乏人は麦を食え」で有名な池田首相の所得倍増計画を経て、佐藤首相の時代には「もはや戦後は終わった」の声明も出された。


高校1年の時、東京オリンピックが開かれ、女子80m障害の依田郁子、男子マラソンの円谷幸吉、大松監督率いる女子バレーボールチームの活躍に興奮したものだ。


1970年前夜、日本各地の大学は日米安保条約破棄を巡って荒れに荒れた。まさしく政治の季節だった。
東大全共闘に単身乗り込んだ三島由紀夫は全共闘との対論で「天皇陛下万歳を叫べば、君たちと共闘できる」と叫び、その後1970年に自決した。



1972年に琉球諸島の施政権が米から日本に返還されたが、その直後に僕は沖永良部島に旅立った。



珊瑚礁の浜辺で、活きた蛸をツマミに黒糖焼酎を飲みながら、島の漁師たちと夜な夜な語り合った。語り合ったというよりも、昭和20年4月28日の米軍兵による沖縄島上陸以降の住民の悲劇を聞かされた。


僕には尊敬するウチナンチュー(沖縄人)が二人いて、差別される沖縄の本土に対する感情を彼らから聞かされた。いずれも僕より数歳上で、現在は沖縄のオピニオンリーダーとして活躍している(らしい)。


ということで・・
極めて個人的な感想だが、同性に関しては歳上を尊敬する。しかし異性に関しては若い方を好く。


 2012/12/26 (水) 昨日の一日

昨日の午前11時から、民主党福井県連に於いて、今回の衆議院議員総選挙・福井2区における活動の総括論議がなされた。その際、僕は来年度に於ける僕自身の身のふりかたについて申し上げた。


昼、民主党県連から帰ってくると警察の車などたくさんの車が自宅の
駐車場に停っていてたくさんの人がたむろしていた。その光景に一瞬どきっとしたが、しかし最近は軽犯罪を犯した覚えのない僕は人のかたまりに怪訝な顔をして近づいた。


警察官が敬礼をして僕に「牧田さん、無断で車を牧田さん宅の駐車場に入れて申し訳ありません。実は先日ここで交通死亡事故があり、注意を促すためのライト取り付けの検討をしていたところなんです」と言われて僕に罪のないことがわかったが、「・・無断で駐車して申し訳ありません・・」と、警察官が言ったことが、なんとなく面白かった。


そのあと休息がてら、「最後の忠臣蔵」をDVD鑑賞。
キャストは
寺坂吉右衛門=佐藤浩市
瀬尾孫左衛門=役所広司
大石内蔵助= 片岡仁左衛門


瀬尾は大石から討ち入り役を排除され、大石の隠し子を極秘に育て上げることを頼まれる。その後16年に渡って、隠し子・可音は瀬尾の下で養育され美しい姫君となる。その過程で可音は瀬尾に男女の愛を感じるようになる。実は瀬尾も可音に対して同じ思いを抱くのであるが、武士道故に勿論それは許されない。
悲劇は、二人が文楽を見に行ったところから始まる。文楽劇のタイトルが「お初・徳兵衛」というのがその後を暗示しているのである。


午後7時からは、反原発市民の会打ち合わせで7人が集まった。次は「イエローケーキ」上映会をやることと決定。最後の人が帰ったのは、午後10時半。見送りに外へ出ると凍てつく寒さだった。


 2012/12/26 (水) 昨日の一日

昨日の午前中は広報編集特別委員会が開かれ、正午ちょうどに終了した。これで「議会だより」の校正はほぼ完了し、最後の校正は新春1月4日の最後の校生があるのみとなった。


ところであわら市全世帯に配布されている「議会だより」(次回)の表紙写真は今のところ「初参り風景」となっている。除夜の鐘が鳴り始めると同時に、市内三つか四つの神社を撮影のために訪れる予定です。


自宅に戻り、昼飯を食べてから(何がおかずだったか既に忘れてしまった)お袋の買い物の運転手の役を担った。そのあと春江町にあるDVD貸出店へ行き、「①土俵祭②最後の忠臣蔵③四十七人の刺客」の三本を借りた。三本で300円だから安いもんだ。


帰宅してからはCADに専念。夕刻に来訪した建設業者にデータを手渡した。


予感だが、来年下半期からは建築設計の仕事が増えるだろう。勿論30代、40代の時のような体力を喪失した僕のできることは知れているのだがドンマイで、できる範囲のなかで頑張るだけである。


夜は、北方謙三著:「いつか海に消え行く」を読了。ハードボイルド小説はほとんど読んだことがなかったが、この一年間程は結構読んだ。

レーモンド・チャンドラーの「男はタフでなくては生きてゆけない、優しくなくては生きてゆく資格がない」というセリフは確かに真実だと思うようになってきた。今やよぼよぼ歩きの俺がタフと呼ばれることはなくて、せいぜいが「色男 金と力は無かりけり」と呼ばれるだけだが、要は気持ちの問題だ。かなわぬまでも立ち向かっていく気持ちが大切なのである。



 2012/12/25 (火) 本日は広報編集特別委員会

昨日の朝、「あわら市の自然を愛する会」の会長が来訪。北潟湖や波松周辺に生息する植栽を中心とした話をして帰っていった。


最近は、金津小学校の子どもたちを波松の国定公園に招いて、講話をしたという。「子どもたちから、絵手紙の礼状をもらうのが一番嬉しい」と言っていた。


例えば僕の場合も中学校で手話を教えたりすると、やっぱりの入った礼状が届いた。その文面を見ていると、子どもたちの純真さに触れたような気がして心が和らぐ。仮に僕が教諭人生を送ったとしたら、楽しかっただろうなあ、とちょっとだけ思う。


遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ
      遊ぶ子供の 声きけば 我が身さえこそ 動がるれ
 
なのである。


僕は40年前、大学を卒業する時に教師になりたくて先輩に相談に行った。先輩からは、「牧田が教師になるとヘンな子どもがようけできる。国家の損失や。」と言われてその夢を断念した。



 2012/12/24 (月) 昨日の一日

昨日は、久しぶりに加賀の海を見に行った。日本海の冬の海は荒れていて風が冷たい。それでもサーフィンの準備をしている若者がいるのにはびっくりした。


帰ってから、DVDで「竜馬がゆく」(全4巻)を見終えた。
坂本龍馬は中岡慎太郎と共に近江屋で命を落とす。坂本の楽天的な龍馬の振舞は、原作者・司馬遼太郎の脚色によるものとは思ったが、それでも基本的には史実に忠実だったのだろう。
キャステイングとしては、岡田以蔵役の高杉瑞穂と勝海舟役の柄本明が印象に残った。


龍馬が再三口にした言葉つまりキーワードは「人生に失敗などない。全ては己(おのれ)の頭を振り絞れば自ずと解決策がみえてくる」だった。




雪ふれば 木毎に花ぞ 咲きにける
          いずれを梅と わきておらまし   紀貫之



今朝目を覚ますと外は真っ白で、樹木の枝葉も雪に覆われている。だから上のようなダジャレ歌ができたのだろう。平安貴族は何もすることがなくてよっぽど暇任せの生活を送っていたのだろうが、それが幸せだったか不幸せだったかはわからない。



 2012/12/23 (日) 衆議院議員選挙から一週間


昨日の朝日新聞13面に小熊英二さんのインタビュー記事「それでも社会は変わる」がでていた。


・・選挙の結果だけが民意だ、と考えるなら失望する人もいるでしょう。しかし選挙は民主主義の手段であって目的ではない。いまは世界中で、選挙だけでは正当性がもたなくなっています。そのうえ日本では、選挙以外に民意を反映する仕組みをほとんど作ってこなかった・・
などと書かれていて、かなり説得力のある文章だ。


話はどどんと小さくなるが、あわら市議会も来年6月に改選期を迎える。この四年間で情報化が進み、地区推薦などの組織型選挙は減るだろうと思うし、又、そうあってもらわないとおかしい。


マイクで自分を連呼する選挙運動は一種の騒音公害だ。議員になる前の僕は、マイク音量の最も静かな人に投票してきた。
でありながら自分の立候補の時は連呼した。「立場かわればしな変わる」の典型だ。


だから・・
立候補者どおしで「市が抱えている問題についての公開討論会をする」ことをもって選挙運動とする、それ以外は一切しないとの協約を結ぶのも一案だと思う。


そうすれば、必ずマスコミがとりあげる。あわら市の知名度アップにつながる、と僕は思う。

 2012/12/22 (土) 港町ブルース


いつだったかの新聞で下の文を読んだことがある。


地球も私達自身もやっぱり宇宙の一部でした・・・山崎直子



日本人宇宙飛行士の山崎さんが無限の宇宙界から地球を眺めた時の印象だ。


ビッグバンから始まる宇宙の歴史は137億年。翻って人類の歴史を20万年とすると、比率は20万/137億=200000/13700000000=0.0001。仮に宇宙史を1年間に圧縮するならば人類史は365x24x60x60x0.0001=3153秒。僕が70年間生きるとするならば、僕の一生は3153x70/200000=1.1秒となる。鼻をかむ時間だ。


山崎さんは空間軸で地球のちっぽけさを感じたが、4年前に脳内出血で臨死を体験した僕は時間軸でひとのはかなさを感じた。


国家間の戦争、内乱、殺戮、飢餓などで日々命が虫けらのように消えていく現実をみていると、「風の前の塵におなじ」だからこそ、人類史は続いていくと思わざるを得ない。


軽々しく「癒し」などと叫んではならない。

 2012/12/21 (金) 昨日は議会最終日


今朝は午前9時から「あわら市学校給食センター整備工事・起工式」に列席。そのあと、あわら市庁舎に於いて「広報編集特別委員会」が開かれ午前が終わった。


午後1時半から「議会活性化特別委員会」。3時に終わり僕はその足で旧芦原町の某氏住宅完成現場へ向かった。三国土木事務所完成検査立会いのためである。



検査が終了した午後4時。事務所に戻った僕はDVDで市川染五郎主演「竜馬が行く」を観ている。


と、ここまで書いていたら、お袋が「近くが火事やー」と言いながら僕の部屋に飛び込んできた。現場はコインランドリーだった。



火事は本当に恐ろしい。


 2012/12/20 (木) 昨日の一日


昨日の午後は来訪客の応対に追われた。


先ずは、ドアチャイムが「ピンポーン」となって初老の男性・某氏が現れた。右手で分厚いファイルを抱えている。某氏はそのファイルのなかから端正な文字で書かれた某氏宛の書簡を開いた。僕も知っている女性(故人)からのものである。そこには古(いにしえ)の都・明日香への思いが綴られている。
某氏は古代日本のことを、とめどなく語っていた。


2時間ぐらいが過ぎて某氏が帰ろうとした時、僕の携帯電話が鳴った。「牧田さん、今行ってもいい?あと2分くらいで着くわ」という声が某氏の耳にも漏れ聞こえたのか、「女からか?」と言う。
「・・女というか、愛人のうちのひとりかもしれん」と僕は答えた。


面白かったのは、某氏の車の退出と女性の車の来場とがすれ違いざまになったことで、某氏は女性を車内からじっとみつめていた。


女性との歓談のさなか、又別の女性が建築相談のためにやってきて、三者会談となった。しゃべっているうちに午後7時となり、ぼちぼちと手話サークルの面々が顔を見せ始めた。


手話サークル忘年会のメインデイッシュは寿司飛脚。僕は焼酎と白ワインを交互に飲みながら手を動かしていた。


忙しい一日は、こうして終わった。