2012年05月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日
 2012/05/31 (木) 5月最終日 


合間合間に読んでいた伊集院静著・「岬へ」を読み終えた。伊集院の青春期を描いた自伝的私小説。


仙台に住む彼の現在の配偶者は篠ひろ子だが、前妻の夏目雅子とははやくに死に別れてしまった。また、学生時代には弟を海で亡くしているのだが、その部分の描写が読者の胸を打つ。


弟の死を経て東京に戻った呆然自失の彼に対して、行きつけのバーのマダムは「人は誰かの死を背負って生きるしかないものよ」と語るのである。


いろいろあってエンデイングはこうだ
よ あれは黒き稲妻か
荒らぶる波を 鉛の雲を裂く影よ
否 あれは海を超える燕
与えられし羽をひろげ 嵐の海へ向かふ
ピピリイ ピピリイ 燕の声か 船笛か



ということはともかく
昨晩の事務所は、ビール・ワイン・ウイスキー+極上刺身の「居酒屋おまき」に変身した。男3人だけのパーテイだ。


臨席に女性が居ないという経験は私の場合滅多になく、よって勝手がわからなかったが、アルコールが胃の淵を走り回るうち緊張はほどけ自然体で時を楽しむことができた。
でもデスカッションの内容は結構かたかった。
・民主党政権は何故あんなにも堕落してしまったか
・剣岳蕎麦のつくりかた
・新幹線問題
・牧田事務所へは何故女性たちが訪れるのか
・えち鉄「湯のまち」駅前広場及び藤野厳九郎記念館展示の不合理性
     エトセトラでした。


 2012/05/30 (水) ひんやりの朝


昨夕の晩酌時。
テレビ画面は、埼玉県八潮市の住居表示変更のことをしゃべっていた。
区画整理に伴って、従来の地名「垳(がけ)」を「青葉(あおば)」に変更する案を行政が提示したことに伴い地域住民が戸惑っているというもの。
「垳=土へん+行く」はそれ自体地域の形状特性を内包している。それがどこにでもあるような安っぽい「青葉」に変更させられることへの困惑は当然すぎるほど当然だろう。


十数年前、金津町が新住居表示案を町民に提示した時に、これは暴挙だと思ったぼくはFM福井放送の生録スタジオで、「反対や反対や」としゃべったけれども施行されてしまった。
今でも新住居表示になじめない人のほうが多いみたい。

それはともかく
昨夕に、蓮如上人記念館の稲田さんが持ってきたチラシです。
興味のある方は是非どうぞ。


 2012/05/29 (火)  なにせうぞくすんで 

なにせうぞくすんで 一胡は夢よ ただ狂へ 閑吟集


CADに専念していた昨夕、突然の来訪女性あり。
ぼくは彼女を戸外のオープンカフェに案内した。


熱々珈琲キリマンジャロを飲みながらのよもやま話が進むうち、突然、「バサラってなに?」と彼女が聞く。


婆娑羅とは、南北朝時代の社会風潮をあらわす梵語で、「身分秩序を無視し公家などの権威に反発し、奢侈な振る舞いを好む美意識」で、戦国時代の下克上を裏打ちするイデオロギーともなった。


宮本輝が随筆で「人生とは永遠のなかの一瞬にすぎない」と書いていたように一胡は夢である。ひとから狂っているとみられる局面があるとしても、いいこと思われるよりもわるいこと思われつつ自然体を通すほうが、意味ある人生となるのではないか。


彼女を見送ったあと、お袋からの頼まれごとを思い出したぼくは近くのDIY店へと車を走らせた。
店舗戸外の鉢植え草花群を眺めていたぼくの背後から「牧田さん」と呼ぶ声があって振り向いた。知人女性だ。

よもやま話の最後に、「半生は夢のようだった。もう、いつ死んでもいい」というセリフを残して彼女は去っていった。


お知らせ


あわら市議会6月定例会が始まります。
予定としては
6月1日 全員協議会
6月8日 本会議(初日)
   
6月25日 本会議(最終日)
CATV放映に加えてインターネット動画配信も開始されます。





 2012/05/28 (月) 東大味


月さびて 明智が妻の 話せむ  芭蕉


福井市東大味町に全国で唯一の明智神社がある。
明智光秀顕正会の副会長をしている中島道子先生にくっついて、私たち5人はその東大味町の公民館及び明智神社で昨日の午前中を過ごした。


そこには、地元東大味地区のみなさんとともに新田義貞顕正会のひとたちも集まっていた。名刺交換をした清水英明さんは、新しく明智光秀顕正会の副会長となったひと。東京六本木で社員200名の音楽会社を経営している。


光秀の遺徳を忍ぶ集まりはFBC放送が20数年前に中島先生の光秀論を収録したDVDを見ながら進められていった。


DVD鑑賞が終わり清水さんのメッセージを聞いたあと、近くの明智神社までみんなで歩いた。





明智光秀は弘治二年(1556年)美濃から越前に逃れてきた。
当初は丸岡町の称念寺に妻子を仮寓させ、旅に出て、堺では火縄銃をマスターしたという。このことがきっかけとなって、越前守護朝倉家に士官し、鉄砲指南役として、ここ東大味地区に数年間住んでいた。天正元年(1573年)、戦いに破れた朝倉義景は自刃し、百年の栄華を誇った一乗谷朝倉文化は戦火に消えた。


 2012/05/27 (日) ジャックと豆の木 


昨晩は、三国町で開かれた「柔道整復師会・坂井支部定期総会」に顧問として出席した。会員の人たちとのさかづき交わしながらの話は肩肘はったものではなく、当然のことながら話に深みと拡がりをもたらす。
誰かがこれをノミニケーションと言っていたが、確かに酒の力は大きく実に有意義な宴会だった。


9時に宴会は終わり、代行運転にて帰宅。寝室(実は設計室と応接室と宴会室を兼ねている)のベッドに倒れこみ、泥のように眠った。

開けて今朝は4時に起床。
洗面・歯磨き・朝風呂を終えてオープンカフェに出た。



驚いたことに、昨日鉢植えしたゴーヤの苗の蔓が早くも添え木にからみついている。まるで「ジャックと豆の木」ではないか。


ジャックが植えた豆の木はどんどん伸びて雲海を通過しついに天上界に至る(スカイツリーの高さなどものの数ではない)。
ジャックは蔓を使って天上界に到達し金銀財宝を得るのだが、私は金銀財宝に興味はない。


突然の別れとなったひとたちと会ってきたい。
ただそれだけ。


 2012/05/26 (土) 植物のこと


昨日の午後に中央公民館で開かれた「ゴーヤ植裁講習会」に参加した。
自宅裏のオープンカフェをゴーヤスクリーンで包み込みたいと思ったからだ。


しかし、一時間半の講習の内容は微に入り細に入りで、ズブの素人の僕にはむつかし過ぎるような気がした。神経質にならず気楽に挑戦しようと思う。


ゴーヤも含めてだが、僕は植物が大好きになってきた。

人間と違って 植物はせっかちに動き回らない 泰然自若
人間と違って 植物は唯我独尊だ 他人は他人
人間と違って 植物は痴情事件を起こさない 性を超越
人間と違って 植物はグルメではない 太陽と水だけ
人間と違って 植物は死に臨んでも 病院や施設は不要
素晴らしきかな植物 なかでもモンステラ



ということはともかくとして


本日の朝日新聞に「ニソの杜」シンポジウムのことが載っている。中沢新一や高橋源一郎の話も聴けるみたいだ。15年程前から、「この杜を一度訪れたい」と思っていた。シンポジウムを是非聴きにいこうと思う。

 2012/05/25 (金) 昨日の一日 


昨日の午前中、僕は金津小学校グラウンドの隅にたたづみ、奉安庫跡石碑を眺めていた。





午後は、平成24年度第一回介護保険運営協議会が広域連合2階で開かれた。
今までの協議会会長・伊藤坂井市議が広域連合議会の議長になったことによる新会長の選出から始まり、続いて委員の入れ替えによる新委員の紹介があった(僕はこういう場合、速やかに親睦飲み会を開くべきだと思う)。
そのあとは、新生坂井地区広域連合組織についての説明及び在宅医療連携拠点事業の説明を受け、3時半に散会。


 2012/05/24 (木) 岩佐又兵衛


昨日の午後、僕は仲間と共に福井工大二号館八階の大講義室に居た。
中島道子さんの特別講義「国宝・常盤御前物語絵巻」の解説を聴くためである。





時代背景は源平合戦前夜。
京都鞍馬山を脱出し奥州平泉藤原秀衡のもとに身を寄せた我が子・牛若丸(のちの源義経)に一目会いたい一念で、常盤御前は侍女と共に女二人の旅に出る。しかし、道中、美濃国関ヶ原・中村宿で盗賊団に襲われ惨殺されてしまった。


後日、牛若丸は「盗賊団全員殺戮」という復讐劇を演じるのだが、かって京の五条大橋で武蔵坊弁慶と戦った時に発揮した跳躍力は五輪走り高跳び金メダリスト級のもので、絵巻にもそれが表れている。




なお、義経の跳躍力は源平合戦最後の「壇ノ浦」における八艘飛びとして後世に語り伝えられることとなった。


武蔵坊弁慶といえば・・
下の写真は盗賊団首領の顔だが、中島先生は「横綱武蔵丸そっくり」と言っていた。



この絵巻を書いた岩佐又兵衛は越前二代藩主松平忠直の庇護のもと、二十年間絵師として活躍した。下の写真は亡くなる二年前に描いた自画像。



その後江戸に出て、春日局の斡旋で徳川三代将軍・家光の庇護に入る。
戦国武将・荒木村重の子としてこの世に生まれながら、生後一年の頃、織田信長によって両親を惨殺された又兵衛は、この世への復讐を絵師として完遂したといえようか。


 2012/05/23 (水) 五月も残り一週間


昨日の厚生経済特別委員会協議会のテーマは「(仮)金津幼児園建設用地の選定について」で、僕たち委員はいくつかの候補地を見て回った。


園児にとってのいい環境を考える要素はいろいろあるが、そういうことを考えながら見て回っているうち、僕はあることに気づいた。
僕の体は小さくなり僕の心は純粋になり、要するに僕は園児と同化していったのである。


20年ほど前だったと思うが、三国在住の女性から「牧田さん、男の人というのは40歳を過ぎると幼児期への退行現象が始まると私は思うんです」と言われたことがある。
退行という言葉が適切かどうかは別として、自分の中に閉じ込められていた幼児性が再び膨らんでいくのは事実だと思う。


 2012/05/22 (火) 本日は厚生経済常任委員会


6月議会定例会は6月8日から始まります。




それはともかく
今朝のオープンカフェに降り注ぐ朝陽は神々しいほどに感動的でした。


覆された宝石のやうな朝
何人か 戸口にて 誰かとささやく
それは 神の生誕の日         西脇順三郎



この瞬間だけ僕は敬虔なキリスト教徒になっていました。


それはともかく



オープンカフェのカボスが芽をふき始めました。実がなったら読者のみなさんに進呈いたします(抽選で5名様)。


 2012/05/21 (月) バーベキューパーテイ


昨日の午後、Mくん宅裏庭ガーデンにおいて6人バーベキュー-パーテイが開かれた。


写真①  友人たちのために、ひとり、準備にいそしむ私 
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写真②  気持ちよく飲み語りあっている友人たちのために、ひとり、何も飲まず何も 食わずあくまでも寡黙に料理し続ける私 
  ↓



笹川良一は「一日一善」と言っていたが、一善は「犠牲」ではなく「喜び」を意味するのだろう。
みんなが幸せであるのならば、自分などどうでもよい。
閑話休題

本日の午前中は、金津幼稚園交通教室の関係で「交通教室ボランテイア」をやっていた。列をなして歩く園児たちが道路を横断する時に、「右を見てえ左をみてえ はい手を挙げて渡りましょう」と囁くのが拝命した仕事だが、子供たちはみなかわいい。


ということはともかく



似合いますか?