2012年06月

1日ー10日  11日ー20日  21日ー31日
 
2012/06/10 (日) 熱々珈琲を飲みながら

昨日の昼は教育センターで民主党の議員や党員の集まりがあった。
いろんな話がテーマとなったが、最後に「チェルノブイリ原発視察を終えて」の当地でのスライド上映及び解説を、視察団事務局長・山本正雄県議が行なった。
見ていて聞いていて原発被災の過酷さを改めて実感したが、特に当時妊婦だった人から被災後に生まれた赤ちゃんたちの異常が多いという。

視察団は「何故地震国の日本で原発などつくったのか」と、聞かれたそうだが、それが世界の常識的な見方かもしれない。

原発建屋内部で、鉄骨溶接部非破壊試験作業に従事していた知人は20年ほど前、ガンで若くして世を去った。

経済と命は全く別個の問題だと思う。

2012/06/09 (土) もう週末か
昨日は市議会定例会初日。

提出議案は次のとおりです
 議案第52号  専決処分の報告について
(損害賠償の額を定めることについて)
 議案第53号   専決処分の承認を求めることについて
(平成24年度あわら市産業団地整備事業特別会計補正予算(第1号))
 議案第54号  平成23あわら市一般会計繰越明許費繰越計算書の報告について
 議案第55号   平成23あわら市公共下水道事業会計予算繰越計算書の報告について
 議案第56号  平成24年度あわら市一般会計補正予算(第2号)
 議案第57号  あわら市印鑑の登録及び証明に関する条例等の一部を改正する条例の制定について
 議案第58号  福井坂井地区広域連合市町村圏事務組合規約の変更について
 議案第59号  福井県後期高齢者医療広域連合規約の変更について
 議案第60号  あわら市監査委員の選任について
 陳情第2号  停止中原発の運転再開を拙速に進めず、早急に「脱原発プログラム」を策定するように求める陳情書

 2012/06/08 (金) 本日は議会初日

朝起きてオープンカフェの花々に水遣りをした。
その時ふと見上げた空がすごかった。


雲が絨毯のようになって動いている。

アートは我々の生活にかかせないもの。しかし、絵や建築といった人の営みによるものが相対的でしかないのに対して、大自然がつくるアートは絶対的。
デザイナーのはしくれ(はしくれは謙遜)として私はそう思う。
ということはともかく
昨日の午後、私は芦原中学校で手話講習をやっていました。


 2012/06/07 (木) 再び夕陽恋 

昨日の夕刻、三国土木事務所での打ち合わせを終えた私は若夷海岸へ足をのばした。日本海へ落ちる夕陽にすい込まれそうだ。

私は10年前に書いたブログを思い出した。長年ブログを書いているが「感動した!」というメールが入ってきた唯一のもの。
以下紹介

01/10/20(土) 夕陽恋 


三国土木事務所での打合わせ終え、海岸に出た。
落ちる夕陽に染まる水平線からの風は冷たい。

パリで買ったダーバンのコートのえりをたててのくわえ煙草。憂愁の気分で岩畳にたたずむ私を横ぎろうとするひとつの影がある。
年の頃は42,3か。利休ねずみの鼻緒の草履、浅黄色の地に濃紺紋様の西陣、白いうなじ、島田髪の和服女性は、軽く私に会釈し去って行く。

遠ざかる彼女の細い背中は夕陽の逆光でシルエットと化した。
岩畳を散策する足取りおぼつかなく、不意の波しぶきよけようとした彼女の体が反転しよろけた。
かけつけ、「大丈夫ですか、奥さん」と声かける私に「おおきに、大丈夫どす。それにうち、今は奥さんあらしません」と彼女は言う。

うちとけ、肩並べつつ砂浜を歩いた。いつの間にかふたりの指はからみあっている。
彼女の胸の激しい鼓動が聞こえてくる。抱きしめ口づけを、と思わないでもなかったが議員なので我慢した。
別れた亭主のこと、今彼女にいいよっている幾人かの嫌な男たちのこと、そのうちのひとりが某市の議員だということ、にも関わらず自立し孤高に生きていこうとする思いききつつ、「この人にしろ私にしろ、美男美女の人生につきまとうのは、やはり悲しみと憂いなのか、それが宿命というものなのか」と私はココロでつぶやいた。

気がついたら辺りは既に闇だ。
それでは、と背をむけた私を「りりしいおかた・・・たくましいおかた。うち、貴男様のお名前まだ聞いてしません。今晩のお宿どこですの?教えてくださいな。うち、行ってもかましませんでしょ?ねえ、かましませんでしょ?」と彼女の涙声の懇願が追う。
私は「奥さん、いやもと奥さん。私は名のるほどのものではございません。貴女は私をいとしく思っているのかもしれないが、それは本当の私・裏の私を知らないからだ。どんな男でも、私よりましなのです。恋に恋してはならない。恋に恋したところでなにものも生まれはしない。貴女はいつの日か必ず真実の男性にめぐり合います。ここでさようならすることだけが、お互いを幸せにする道なのです」と答え、歩きはじめた。
背中見続けているであろう彼女の視線に耐えきれず、私はゆっくりと、しかし止まることなく歩き続けた・・・・。

こんなことを岩畳の上で夢想したのだが、こんなシチュエーション、52年のわしの人生に一度もなかったなあ。悔しいなあ。
 


 2012/06/06 (水)  佐々木小次郎


高橋義夫著・「佐々木小次郎」を読み終えた。


戦国武士の気風がまだ残滓としてあった江戸初期に現れたスーパーヒーローが宮本武蔵であるのに対して、その武蔵との「巌流島の決闘」で敗れ去った小次郎はアンチヒーローとして国民の間に定着している。


しかし武蔵は京都の吉岡一門との戦いでもそうだったが、決闘の時刻にわざと遅れてやってきてそのことによる相手のイライラを逆手にとることで勝った。現代に生きる我々の目には、卑怯ではないかと映るのだけれども、元和偃武からそう遠くない時代に生きた小次郎は「決闘(戦争・喧嘩)と恋にルールはないのだ」とうそぶき従容として死んでいくのである。


武蔵にとっておつうとの愛が人生のなかでの大きい部分を占めていたのに対して、小次郎にとっての女性とは単なる性欲の対象でしかなかった。決闘が終わるたび、泊まりの宿で血が沸き立つ体のほてりを鎮めるために飯盛女を抱くのであった。それゆえ「武蔵はヒューマニスト・小次郎は冷酷非情」という対比が現代人の間に定着しているのだが、大正の文豪・芥川龍之介は「恋愛は性欲の一変型にすぎない」と書いているし、私は文豪の言うことは信じなければならないと思うのである。


ところで
小次郎は越前・一乗谷に生まれ剣の腕を磨き、強い敵を求めての諸国行脚では、段違いの力量で相手をなぎ倒していった。その際発揮した秘技は、武蔵の「飛翔蠅割箸つかみ」に匹敵するともいえる「燕返し」であった。


「燕返し」を会得した場所は一乗滝であり、私も何度か行ったことがある。しかし「燕返し」の追体験が目的ではなかった。
私の先祖は味噌を売買する商人であった。江戸期の身分制度「士農工商」の最下層に位置していて、武とは無縁だ。


一乗滝を眺めながら、世の矛盾を考えたかったからだが、そうさせる雰囲気をこの滝は持っていた。
そして私は自宅裏につくったオープンカフェを「思索の館(やかた)」と名付けた。

 2012/06/05 (火) 蛇塚 


昨夕、オープンカフェで瞑想していた僕は、突然妻に呼ばれた。妻のサロンに入ると二人の女性が居て、「蛇塚とはなんぞや」と聞く。





金津高校裏に「蛇塚」がある。
その名は、石室内に蛇が棲んでいたことに由来する。
また周囲が住宅地になる前は、空き地に石室がそびえている状態でかっては岩屋(いわや}と呼ばれていた。そういえば僕が若い頃にしばらく住んでいた神戸市にも岩屋という地名の場所があった。


インターネットでの検索によると
蛇塚古墳はしばしば石舞台古墳と対比されが、石舞台古墳の石室は花崗岩であるが、蛇塚古墳の石室は堆積岩であるそうである。
記憶によれば奈良市の石舞台は確かに御影石でできていた。

 2012/06/04 (月)  昨日の一日


昨日は金津創作の森で「みどりと花の県民大会」が開かれた。
何故こういうものがポピュラーになってきたかというと、僕が密かに思うに、人間社会がいびつになってきたせいである。
紙面の制限上(というより能力の関係上)いびつを詳述することはできないが、いってみりゃ関係性のいびつである。


人間であるってことがすでに病気さ
なにかっていうと、手を組んで共同体を作りたがるのは病気だよ
            「私たちが好きだったこと」

と宮本輝も書いている。


人間として生まれたことの不幸をかみしめながら、僕は創作の森をあとにして「伊井さつきまつり」の会場へ向かった。





オープニングの模様をデジカメに収めたので早速帰ろうと思ったのだが「牧田さん、もうしばらく居てくださいね」と何人かに言われたのでもうしばらく居た。VIPたちの挨拶が終わるまで居た。
でも、VIPたちの挨拶は今までに何度も聴いているしなあ、と思いながら最後まで聞いて会場をあとにした。


事務所に戻ってからは「みどりと花の個人大会」に従事。すなわち鉢植えの手入れにせいだしていた。
疲れてオープンチェアに座り夕空を眺めていた時、来訪客あり。
来訪客は「ワードの操作方法がわからないの」と言う。エクセルひとすじの僕はよくわくわからないままに操作方法を教えたが、それでよかったのかどうかわからない。

 2012/06/03 (日) 橘峠 


昨日は土曜日ということで車を加賀国へ走らせた。行き先は日本海を望む海辺の喫茶店。ここで焙煎珈琲を飲んでいると、私は不思議に落ち着く。


帰りに加賀国と越前国を結ぶ古道を走り、橘峠で越前・加賀境界の標柱を見つけた。



新緑のなかで標柱の前に佇むと、古来この道を行き来した旅人たちの姿が目に浮かんでくる。


今と違って昔の旅は文字通り命がけのものだったろう。各地で山賊が出没していたに違いない。
襲われた旅人が私の先祖だったのか、襲った山賊が私の先祖だったのかそれはわからないが更に時代を遡るならば襲ったほうも襲われたほうも親族どおしであったはずだ。「人類みな兄弟」である。

 2012/06/02 (土) もう週末か 


本日の朝日新聞朝刊の天声人語は谷川健一の「土地の名は私たちと祖先、過去と現在をつなぐ伝導体の役割を果たしている」という言を紹介しているが、全く同感。

それはともかく
昨晩は議員2人+市民2人で市政勉強会が開かれた。

 2012/06/01 (金) きょうは全員協議会


昨日の晩は手話サークル。聾唖者3人健聴者3人が事務所に集まった。
そこでいろいろのデイスカッションがあったのだが


それはともかく
オープンカフェをより充実させるために大枚¥2900エンをはたいてアウトドアチェアを購入しました。事務所にいらっしゃった折には座ってみてください。


真砂なす 数なき星の其の中に 吾に向いて光る星あり

と正岡子規は歌いましたが



深夜にこの椅子に座り満天の星空を眺めていると、「どの星がそれなのだろうか」という気持ちに確かになってきます。