18年05月日記
帰路、月は大きく奇麗だった。 千数百年前の人たちが、月にかぐや姫の存在を信じていたとしても不思議ではない。だって、その頃に空にあるもの太陽と月だけだったのだから。
妹が言うに、NHK大河ドラマ・西郷隆盛の舞台が、沖永良部島にうつってきたとのこと。思い出の地を是非みるべきだとすすめられた。NHK大河ドラマは数十年前に一度見たきりだが、僕の青春が終りを告げた沖永良部なのだから、無理してでも見るだろう。
吉良邸討ち入りに至る浪士統率の困難の道程を支えてくれたのは、吉田兼好・徒然草の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは・・」だ。 大人は、己を虚しゅうし、ひとを見る目を複眼としなくてはならない。そのことによってのみ大事を遂行することができるのである。 船橋聖一著「新忠臣蔵」も二巻を読み終えた。今日から三巻に入る。 今朝、ゆきのした文化協会の代表Tさんが「ゆきのした」5月号を持って来訪。 「永井鱗太郎の作品を愉しむ会」のことが二ページにわたって掲載されている。
彼等に僕が勝てるのは女性にもてることしかないと思っていたが、二日前に車椅子生活者になることを決意した結果、そのプライドもなくなった。
「金津に、創作の森が・・・」という新聞記事を目にしたのは今から20年前の春。それは、わたしがインドネシアの「ジャワ更紗」(=ジャワ島のローケツ染)を三年間まなんで帰国した次年の春のことでした。 その頃私は福井の市街地に住み、夫と「もっと静かな処に住みたい」と夢見て居りましたから、早速応募してOKとなり、住居を考案していましたところ今は亡き中学時代の恩師坂本豊先生(あわら市滝)の御息女で染色家の水野節子様(あわら市山室)から「金津の来られるのなら、早くろうけつ染の講座を開いて!」とのお励ましを戴きました。その頃、創作工房は既に完成していましたので陶芸の部屋で早速始めましたが、その中にただ一人旧三国町から来られたのが、今回のコラボを組んでくださった武部美枝子さんでした。 その後の「葉室ろう染クラブ」でも草木染等常にご熱心で中心的メンバーのお一人です。 講演会日程
もう少し前からパソコンに慣れておくべきだった。
一休 女をば法の御蔵という実に 釈迦も達磨もひょいひょいと生む 世の中は 起きて稼いで寝て食って 後は死ぬのを待つばかりなり 花は桜木人は武士 柱は桧魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな 正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし 今朝は染画家・加藤さん宅を訪れ、玄関ロビーを撮影していた。 ↓ 講演会日程
冒頭の挨拶をする僕の右手に握られた杖が貧弱なのである。僕の立ち姿に胸をときめかせるはずだった何人かの女性たちを失望させてしまったのではないか・・・。 そう思った僕は、昨日に健康長寿課へ相談に赴いた。が、日常生活を支援なしでこなしている僕は、要支援者には該当せず、実費購入しかないとのこと。・・どうしようか。 二週間後に迫った染画家・加藤すみ子さんの記念講演での冒頭挨拶を考えると思い悩む。
第一日目の講演者・川崎葉子さんとは久しぶりの再会だった。 御覧ください。
夜明けまでに図面修正を完了し、きょうの午前中はイコッサで打合せ。午後からは北潟湖畔荘で泊まり込みだ。おかげで「新忠臣蔵」がなかなか進まない。 昼行燈の静かな余生に入りたかったが、しかし入っていたら退屈だったかもしれない。ケセラセラだ。 議員と語ろう会日程
そこで、昨晩の来訪客持参の手作り焼酎を気分よく味わっている。
忠臣蔵に関しては丸谷才一や井上ひさしなどの著書が印象に残っていてどちらだったかは忘れたが、清水一学の悲恋として読んだような気がするが、舟橋の場合は浅野内匠頭長矩と正室・阿久利の縁に主眼をおいている。元禄の封建時代、大名の奥方といえば床の間の置物でしかなかった時代に、長矩は阿久利を人間として愛していた。それが高家筆頭・吉良上野介の邪悪を喚起し刃傷松の廊下につながり、二人は永遠に引き裂かれるのである。 引き裂かれるからこその永遠の愛と、逆説的に言えようか。 きょうの午前中は、宮谷石切場へ某あわら市議を案内した。 数年前に福井新聞記者を案内したことを思い出した。
結局、杖を使うことになった。 イベントの主催者側代表として挨拶する僕の姿に胸をときめかせていた女性も沢山居た筈だが、仕方ない。背に腹は代えられない。 これからは、杖つき紋次郎と呼ばれるようになるだろう。
終了後に別室でインタビューを受けた。インターネットテレビだ。 散髪をしときゃよかったと思う。ネクタイをつけときゃよかったと思う。 六月二十日から放映されるでしょう。あわら市ホームページから閲覧できます。 この会開催の動機あるいはこれからの抱負などをいろいろ聞かれごちゃごちゃ答えたが、一番印象に残ったのは子供たちによる短歌、詩の朗読。 僕も時々は短歌、詩を読むがあくまでも黙読。きょうの涼やかな音読を聞いていて、和語がまだできあがっていなかった古代社会の文芸を垣間見たような気がする。
さあ きょうは頑張るぞ
旅に出よう テントとシュラフの入ったザックをしょい ポケットには一箱の煙草と笛をもち 旅に出よう 出発の日は雨がよい 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい 萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら そして富士の山にあるという 原始林の中にゆこう ゆっくりとあせることなく 大きな杉の古木にきたら 一層暗いその根元に腰をおろして休もう そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して 暗い古樹の下で一本の煙草を吸おう 近代社会の臭いのする その煙を 古木よ おまえは何と感じるか 原始林の中にあるという湖をさがそう そしてその岸辺にたたずんで 一本の煙草を吸おう 煙をすべて吐き出して ザックのかたわらで 静かに休もう 原始林を暗やみが包み込む頃になったら 湖に小舟をうかべよう 衣服を脱ぎすて すべらかな肌をやみにつつみ 左手に笛をもって 湖の水面を暗やみの中に漂いながら 笛をふこう 小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中 静かに眠ろう そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう 高野はこう書いて轢死した。享年20歳。今から50年前のことだ。 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。 時間のある方は是非ご来場ください。
今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。 時間のある方は是非ご来場ください。
ウオーキングやリハビリの成果といえるが、何よりも気温上昇の恩恵をうけている。 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。 時間のある方は是非ご来場ください。
四人が芦原温泉の料理屋で飲んだあくる日の朝、目覚めると、歯が猛烈に痛い。原因はわかっている。前の晩に料理屋で出された高級魚があまりにも美味く、硬さを気にせずがつがつと一気に食ってしまったからだ。 歯科医院でのレントゲン撮影の結果、差し歯にヒビが入っているとのこと。悲しいことだが、近い将来、全ての歯はなくなるだろう。 ハメマラとはよく言ったものだ。 それはさておき 今週の土曜日には刈安山を愛した「永井鱗太郎」の作品を愉しむ会が開かれます。 時間のある方は是非ご来場ください。
四人が芦原温泉の料理屋に集うて在りし日の先生を偲んだ時にはビールのピッチがはやかった。確か享年96歳だと思うが、どんなに博覧強記の人でも、人は必ず死ぬ。
印牧邦雄氏が亡くなった。
彼は悪くなった膝を手術して定年前に退職。その後奥さんが早期認知症で施設内生活者となって、今は全くの孤独生活だ。巷によくある話だが、印象深かったのは唯一の癒しが、クラシックコンサートに行くこと。メロデイが聴覚にうったえる力には絶大なものがあるのだろう。 今朝の私は「黄水仙のみた夢」の一方の主人公とも言うべき、故小泉藤和氏の墓の前に佇んでいた。 |
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過 去 日 記
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